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連載小説  聖徳太子の遺書   2018/2/22  序

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聖徳太子の遺書


    序に変えて

 球団から解雇の話をもらってから目まぐるしく時が流れた。

 プロ野球の投手として、もう一花咲かせたいというぼくの希望に妻の同意を得てから、合同トライアウトへ向けてトレーニングをはじめた。一人では投球練習もままならないことから、学生時代の仲間に頼んでキャッチャーをしてもらったり、バッターボックスに入ってもらったりした。そんなぼくの練習をハルミ先生が何度か見学に来て、あなたならできると励ましてくれた。

そして迎えたトライアウト当日のピッチング。結局打者3人に対してヒット3本という散々は結果となり、再契約の道は絶たれた。

ところがバッティングピッチャーでの契約の話がホークスから来た。三軍まで揃えた強豪チームはなんとその三軍のためのバッティングピッチャーを揃えようとしているのだった。「捨てる神あれば拾う神」ありだった。野球に携わる仕事がしたかったのでぼくはすぐに契約した。妻は福岡に行くことを快く承諾してくれた。

 「捨てる神あれば拾う神あり」とは、なつかしいあの非常勤講師の口癖だった。高校二年の春休み、肩を痛めて野球部の練習に参加できなかったぼくは、ひょんなことから担任だったハルミ先生とともに、ハルミ先生の恩師であるあの非常勤講師とともに奇妙な旅をしたのだった。

 もう遠すぎる思い出になってしまった。しかしあの事件があったからこそ、肩の回復に励みふたたび投手として蘇り、大学でブレイクしてプロ野球選手になることができた。十年間、常に1軍半ではあったが素晴らしい年月だった。

 あの春休み、ぼくは何があっても「捨てる神あれば拾う神あり」とつぶやくあの非常勤講師に知らず知らず影響を受けたのだと思う。

 

 今、プロ野球選手として投手生命が終わるにあたり、気持ちの整理をつけるためにもあの事件を書いてみたい。ボールを投げることにかけては研究もしたし、努力もしたが文章を書くなどというのははじめてだ。はたしてハルミ先生と孔子先生(非常勤講師にぼくがつけたあだ名)との冒険を正確に表現できるか不安だが、ピッチャーとはいつもマウンドで不安と戦う仕事でもあった。今さら不安から逃げようとも思わない。

あれが最初の人生の転機だった。今二度目の転機を迎えて、あのことを書き連ねるのは正鵠を得ていると言えるだろう。思えば一度は捨てた野球に拾われて人生を目いっぱいチャレンジできた。これもあの非常勤講師のおかげだ。今感謝の念を込めて彼の思い出とぼくらの冒険をここに記したいと思う。