人はみな 生きているといろんなバランスが壊れていく
よく言われることだが 生まれた時はみんなまっさらだ。あたかもパソコンの工場出荷時のように。工場出荷時の状態をデフォルトという。人も生まれた時はデフォルト状態だ。
そしてパソコンが使っているうちにぐちゃぐちゃになるように、人もまた生きていくうちにぐちゃぐちゃになるのだ。パソコンの場合は、デフォルトに戻すという機能があって、ぐちゃぐちゃを戻せなくなったらデフォルトにすれば解決する
人も自分をデフォルトに戻すすべを知るべきなのだ
ずっと昔 プロ野球で3回三冠王になった落合がこんな意味のことを言っていた
「試合でピッチャーと対戦すると自分の形を崩される それがピッチャーの仕事だから。練習というのは、そのピッチャーをどう打つかではなくて、試合でくずされた自分の形を取り戻すことにある」
つまり バッティングフォームをデフォルトに戻すのが練習と言ってるわけだ
なるほどなあと思った。
自分の本来の形が発揮できればもう大丈夫という前提があるわけだが、もしかしたら、プロであればみんなデフォルトに戻ればすごいんだろうとも思う
翻って私たちの人生の場面でも仕事の場面でも、デフォルトであればほんとに素晴らしいんだろうなと思う。落合同様に、デフォルトに戻る練習を日々行えばいいのだ。
ぼくの場合、それは文学することであり、そのほかに瞑想やイメトレがある
文学が人をデフォルトに戻すとき
文学の場合は 読んでる間、聞いてる間、実生活に崩されたバランスは回復しているのである。たとえ 読み終わったとたんにバランスの壊れた世界に飲み込まれるにしろ
その最中はニュートラルになっていることで心が最新再生されるのである。
そんな作用を起こすものが文学なのであり、そうでない文学は自分にとっては文学ではないともいえる
デフォルトの自分を取り戻してバランスを回復しょう