【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

自作の小説「軍医の幻影」 カロッサをモデルにした戦争と文学をテーマにした小品

かつて参加していた文芸誌らんぷに掲載した小説です

ドイツの詩人作家であるハンス・カロッサをモデルにしています

カロッサは第一次大戦に軍医として従軍してルーマニア日記も書きましたが

そのカロッサが終戦直後にフランスの戦線からドイツに還る様子を小説にしたものです。

 

軍医の幻影.pdf

 

 

境界の村で

境界の村で                古荘英雄

 

灰色の海面が大きくゆっくりとうねっている。うねりとうねりがぶつかる所では白い波頭が生まれ、沖合いのあちこちに数多く踊っている。うねりはそのリズムの中で、定期的に岸の方にも来る。それはそのまま岩場にせき止められ、あるいはしぶきを上げ、あるいはそのまま岩の隙間に流れ込んで行く。徐々にではあるが確実に水の陣地が増えて行く。

謙二が立っている大きな岩も、あと二、三分もすればすっかり水の中だ。世の中のごたごたのすべてを一日の終りに覆い隠す海の働き。この境目は、謙二の中にも同様の区切りを築くようでもあり、謙二は潮の満ちる様をすぐそばで見るのが好きだった。

秋は深まり、夕暮れ時は世界の滅亡を思わせるほど物悲しかった。こんな村が未だに日本に残っているのだなと、赴任当事はその事実に対しての驚きがあったが、やがて慣れてしまってみれば、それはすでに残骸にしか過ぎないことに気づく。

ともかく仕事中は仕事が最優先であり、心の端っこにすら紅葉の赤のひとかけらも印象を落とさないよう、謙二は心がけた。

 この村は路地ばかりで車は入れない。海岸線に沿って唯一の車道が走っているが、それはまるで村の外壁の跡のようなもので、しかも離合するのもやっとで、おのずと国道から、その通称海岸通が枝分かれするあたりの空き地に車は停めることになる。

 ここへ来るたび、謙二はまずは波打ち際に下りて海を眺める。そして自分の立った岩場に水が来ると、茶色の重い鞄を提げて村へ入る。

 車で通ると県道沿いの狭い集落に過ぎないが、歩いてその中に入ると、確かな世界を感じるのだった。

 村は大半が老人世帯であり、じわじわと一人になる者が増えていた。毎月一度、五年間通い続けたから、人の生き死にの話にも数多く接した。その都度死亡保険金やがん保険の給付の精算手続きをして来た。

人々は毛細血管のようなあぜ道を、ゆっくりと、ゆっくりと歩いた。人間という動物は本来これくらいのスピードで動くものだと妙に納得できるリズムだ。それはそのリズムの時にこそ、太陽の光の微妙な揺らぎや波音のかすかな変調や、植物が頭をもたげ地に帰る様を体感できるからだろう。感覚に訴える世界の調べはこれほどまでに多彩であり、何を今さら退屈しのぎに文化や芸術が必要になるだろうか。壊した分だけ埋め立てているだけなのだということがよくわかる。

それもこの村によそから来た者の感想であった。

密集して建っている家々の屋根にはあちこちに猫がおり、転寝をしたり、じゃれあったり、けんかしたり、屋根から屋根へ飛び移ったり、二階の戸の隙間や、古くなって破損してできた壁の穴から自由自在に家の中へ入ったりと、この村では猫という動物は屋根に住むものだと思えてしまう。謙二はこの村の猫が好きだった。猫がかわいいというのも単純な理由の一つだったが、それよりも猫がこのように暮らしている間は、村は続くのだということがはっきりしていたからだった。

そんな村の中を謙二は東京のオフィス街を歩くかのように歩いた。

よく通る大きな声で謙二は挨拶したものだ。

「こんにちは」 

「おや、東洋さん、今日も元気じゃね」

「鈴木さんからいつも元気を分けてもらってますから」

 腰がそろそろ直角に曲がろうかという鈴木さんとすれ違いながら、相手の十倍の声で話す。

 道端の雑草が謙二の勢いで吹き飛ばされそうになる。猫たちは下界で何が起ころうと、まるっきし関心がなさそうに、欠伸をしている。

 当初から概ね老人たちはゆっくりとにこにこ挨拶してくれたが、謙二の元気が近付くと、苦しげに顔をしかめる者もいた。異なる時間のリズムとオーラを撒き散らしながら闊歩する謙二は、彼らには完全なよそ者だったのである。

 謙二は大きな木造家屋の前で立ち止まった。訪問する前には、玄関先で息を整え、それから呼びかける。この村にはチャイムを鳴らすより、鍵のかかることのない玄関ドアを開けて、大声で呼ぶのが礼儀にかなうやりかただった。

「中山さん、こんにちは。東洋生命の大木です」

 物音が消え「はーい」と返事がする。しかし、声のした場所から玄関までは距離があるらしく、足音がやっと聞こえて、徐々に大きくなった。

 やがてお金を持って七十半ばのお婆さんが現れる。

 見慣れた光景だった。お婆さんはニコニコ笑って玄関先に座っている。その、海風に吹かれ、さらにまた時の風雨にさらされてきた顔は、人間の誇りとして刻み込まれた皺で覆われていた。髪は後ろに上げているが、皺にふさわしい白であり、いたずらに黒く染めようとはしない。黒っぽい灰色の着物に白い前掛けをしている。

 玄関は六畳くらいの土間に、腰掛けるのにちょうどいい上り段がある。謙二はそこに腰掛けて玄関から上がったところの六畳の和室を眺めた。何に使うでもなく、他のすべての部屋につながる要のような空間だった。

 謙二は受け取ったお金を数え始める。106万6438円。いつもちょうど用意してくれる。

「じゃあ、領収証です」一枚ではなく、六十七件の保険の、一件づつにつき一枚渡す。それは会社のコンピューターがあらかじめ打ち出し、毎月同じ日に全国に一斉に送られてくる集金用領収証で、謙二は自分の印鑑だけ最後に押せばよかった。お婆さんの家の分のみならず、この村で入ってもらった人は皆お婆さんに保険料を払いに来るのだった。それをまとめて謙二が預かる。違法行為であるが、不正が混ざらない限り最も効果的なやり方だった。そして不正の入る余地はないと謙二たちは認識していた。

 もともと、この村の集金は営業職員時代にこのお婆さんがやっていたが、定年退職で後輩に引き継いだ。が、その後輩がすぐにやめてしまい、その後引き継いだ新人もすぐにやめてしまった。それで、大事なお客さんだし、先祖代々親しい人たちだから、営業所長自身で集金してほしいとのたっての申し出があり、謙二の前の所長からそういうことになった。

「勇太郎君は来年一年生ですよね」

「ええ、早いものですよ。この間こそ生まれたと思ったのに」

 ニコニコ顔のままお婆さんは答える。

「お兄ちゃんみたいにやんちゃっ子になったら、また親の苦労が増えるでしょうけどね。今日なんか修一は隣の漁師町に遊びにいってね。港で大変なことしたんですよ」

「と、いいますと?何かいたずらでも」

「いたずらっていうことでもないんだけどね。港で漁師町の子どもたちがね、発泡スチロールで人一人乗れるくらいのいかだを作ってたんだって、それで一人づつそれに乗って港を一周してたらしいんだけど、その子たちは水に落ちても泳げるし小さいときから港にはしょっちゅう飛び込んでたし、ずぶぬれになっても走って五分もすりゃ家に帰り着けるからね。面白がって掛け声出しながらはしゃいでたんだって。それで、修一が来たときお前もやれよと勧められたらしくてね」

「恐々と港の中を一周したんですね」

「ああ、それだけでも怖かったろうね。あの子はちょっとしかまだ泳げないからね。でも見栄っ張りだから」

謙二はお婆さんが孫の話をするのが好きだ。謙二自身は関東の郊外で生まれて、周りは何の変哲もない住宅街で、池袋まで一時間弱電車でかかるところで、どこかに行くには必ず池袋を経由したから、池袋というのも特別な地位をしめてはいたが、日常的には買い物は近くの大きなショッピングセンターに行くだけだったので、何の変哲もない住宅街が幼年時代の宇宙のすべてといってよかった。そこは猫の額のような公園でも息抜きにになるようなコンクリートに固められた人口の街だった。

お婆さんの孫の話は、興味深かった。港を発砲スチロールの筏で一周するなどと、なんといううらやましいことだろうと思う。それは子どもにとって、楽しいだけではなく、全神経を研ぎ澄まし、運動能力と度胸のすべてを使う大冒険だと容易にわかった。そのとき、どれだけ緊張しても、一生記憶に残る体験として、途方もない充実感を味わえるのだ。

お婆さんの話は続いた。

「それだけならいいんだけどちょうど帰ってきた漁船があってぶつかりそうになって、あわててよけた漁船の罵声と大波でいかだは転覆してね、何とか自力でへばりついて陸に上がったときは友達は皆逃げてて一人で漁師に怒られて腹をたてて帰って来たんですよ」

 残酷な子どもというのは普遍的な存在だ。エゴイストですぐに徒党を組んで正義の前から逃げ出し、人身御供を置きたがる。こんな卑劣な存在からちゃんとした大人に昇華するわけはないから、やっぱり人類に精神的な進化は起こらない。

「前にもあの子は濡れて帰ってきたことがあるんですよ。ドッジボールがグランドから転がって海に落ちてね、投げた修一のせいだからって皆が取って来いってはやし立てたんですよ」

「小学校は海のすぐ隣なんですよね。このあたりは本当に海ってものが生きてく時にいつもそばにあるって感じですよね」

 お婆さんはゆっくりと頷く。頷くことを知っているからこそ、頷いている途中なのだとわかる、そんな速さでゆっくりと頭が動く。

 違う種族の動物だとまで感じることすらある。

「そのときのことを作文に書いたらほら、この学校の文集に載ってるんですよ、よく書けてるって」

 謙二はざっと読んでみた。

 

 

捧げもの                    中山修一

 

 ぼくの大事な思い出を、何かはわからないけど心の中の一番大事なものに捧げます。それは目を閉じると広がり深まる闇なのだけど、その奥の方か、その向こう側に何かがあるって、小さい時から感じてました。最近ますますそこに何かの気配を感じています。もう少しでその何かと会えるような気がしています。それはぼくがいろんなときに、ぼくが生きてるっていうことを感謝する相手なのかもしれません。

ぼくの大事な思い出というのは出来事というよりは「もの」です。

晩秋の朝の光の中、小学校のグランドから車道を転がり、その下の海に落ちたドッジボールのことです。誰も取れないほど強いボールを投げるぼくは、普段から敵方には嫌がられてました。その日も結構相手にぶつけてたし、やられた方は意味のないくらい強く投げる奴だとぼくを恨む人もいたし、ぼくの強いボールが抜けて海に落ちた時、ここぞとばかり皆がぼくを責めたのも気持ちはわかりました。ぼくは責任を追求され、ぼくはそれを拾いに行かねばならなくなりました。知らんふりができたでしょうか?

喧嘩するか従うか、そこまで相手を追い詰めたらいけないと思います。喧嘩できない人は、従いたくないとき逃げるしかなくなるからです。その日だけならいいけど、学校そのものからだったり、この世から逃げてしまう人もいるのだから、だからこそ、そんな時にはやし立てたらいけないし、見て見ぬ振りをするのも同罪です。ぼくは喧嘩をすれば一対五まで勝つ自信があるから、余裕で敢えて従いました。でも、あのはやし立てごっこはこれから先、絶対にしないほうがいいです。したらぼくはその人たちをなぐります。これだけは言っときます。誰が誰を何の理由でなどと話し合いません。ぼくが見かけたらそのままなぐりかかっていきます。

ともかくその日、ぼくはボールを追いかけて学校を出て車道を越え、その下のわずかな砂浜に降りました。そしてまだ波打ち際に浮いていたボールに手を伸ばしたけど、わずかに届かずにそれはだんだんと離れていきました。その時すごくあせってまずいと感じました。たった五センチくらいの差だったのが、二メートルくらいになったときの情けなさといったらありません。取りに行け、取りに行けと皆が道の上に一列に並んではやし立てていました。

やがてぼくが膝まで水につかって、ボールとともにさらに歩を進めようとした時です。先生の大声がぼくを止めたのでした。

その時、海は青く水蒸気が見えていました。ボールが朝の光に波とともに揺らめき立ち、穏やかなひと時でした。ぼくはすっかり海の美しさに打たれていました。そしてボールを見つめました。もう十メートルくらい離れていました。

あれは生きたボールとの別れだったのだと思います。二、三日もすればいろんなごみの流れ着くあの浅瀬で、見かけるだろうけどそこではものはもう死んでいるのです。あのときあそこでぼくら子供たちと別れていくボールは、ものとしての寿命を終えようとしていたのです。

午前の光が海面にきらびやかに反射していました。その輝きの中で、ぼくたちの心が染み込みぼくたちを映していた、ものとしてのボールは、ぼくたちのはるか遠くへ、海のかなたへ、「生きている」から「死んでいる」の境目のかなたへ、未来へ 、ゆっくりと沖へ向かって旅を始めたのでした。

 そのあとで、ぼくは先生に叱られ母に叱られ、はやし立てたクラスの人たちは何のおとがめもなく、やっぱりこうなるんだと思いながら、誰にも文句を言わず一日を過ごしました。怒りよりボールとの別れが美しすぎて、思い出が壊れてしまうと思ったからです。

 でももう思い出は、この作文を書いたことでぼくの中の大事な何かに捧げられました。だから皆に言います。あんな風に大勢で友達をからかわないこと、誰かやってたらやめるように言うこと。一人一人が気をつけるべきことです。もし誰も気をつけなければ、ぼくはさっきも書きましたけど皆をなぐります。時にはぼくが負けるでしょう。でもぼくはなぐり続けますから、人を大勢でからかうときはぼくとの喧嘩を覚悟して下さい。大勢だから安全で楽しむだけだと思わないでください。先生にも親にも、一人でからかえばしかられるけど二十人ならおとがめなしだと計算しないでください。

ぼくは戦います。思い出のために、未来の友達のために、今この時、そこにいたくてたまらない場所から泣く泣く逃げ出してしまう人たちのために。

 

 謙二は穏やかに尋ねた。

「学校でいじめがあるんですか」

「友達が転校したさきでいじめられて登校拒否になったって聞いてショックを受けてたからね。思うところがあったんだね。いい作文ですよ」

 五年生の文章には見えなかった。きっと強い思いが大人びた、統一感を生んだのだろうと思った。ただ東京の小学校でこの文章を文集に載せる教師はいないだろうとも思った。暴力反対と一部の親が騒ぎ立てる。多くの親がそう思っていなくても、声高に主張する一部の人に世の中は引きずられるのだ。

「先生も立派ですね。この文章を文集のトップに載せるなんてですね、でもこの作文のせいで今日はずぶぬれになったのかもしれないですね」

 にこにこゆっくり頷く。

 心配していないのだ。結局は大人になってすべては体験として昇華するのだと、悟っているのだ。大人になれないほど弱い血統でなければ、あとは何もしなくても大人になるのだ。七十年を越えて生きると、植物的な思考になるのか、それともこの村に住んでいる人の特性なのか。

「ところで勇太郎君の同級生はこの村に何人いるんですか」

「子どもは減ったからねえ。たしか・・・・・・」

そして一人一人の顔を思い出しているようだった。思い出そうと努力するおばあさんの顔は頬の皺が縦に伸びきり水路のようだった。

「二人しかいないね。わたしが学校に上がる時は二十人くらいはいたけどね」

「みんな学資保険に入ってもらうといいですけど」

「わたしから言うときましょう」

 そして思い出したように付け足した。

「天戸さんとこの長男が今度結婚するのよ。まだ保険に入ってないからね。この間ちょっと奥さんに保険の話したから、今日でも行くといいよ。長男は市役所で働いてる」

「いつもすみません」

 ありがたい情報センターだなと思う。お婆さんは所長をよこせと言った代わりに実によく情報をくれる。それも半分話をつけてくれている。先祖代々のこの村の保険に関わるすべてを仕切っていると言って良い。それだけに途中でやめられては困るので所長という立場のものと接しているのだった。

 それから入院中の年寄りたちの噂を聞いた。誰がどんな病気で入院中で、誰はもう危なくて誰それは退院できるがもう一人暮らしに耐えられず、老人ホームに入る予定だとか、大阪の息子のところに行くのだが泣いて村に残りたいと訴えてるとか、老人世帯の生き死にと、体力の限界のあと、人生の最後の場面の展望とか様々に話しを聞いた。謙二はいつも思うのだが、この父祖の霊に満ち満ちた故郷を離れ、生まれてから七十年以上住み続けた村を離れ、人生の最後を縁もゆかりもない場所で送ることになるのはとんでもない不合理な話しだ。何かが間違ってしまって修正できなくなったのだ。

 父祖たちの霊を収めた墓場も、村はずれの山のふもとから中腹まで広がっていてそこは日常使う道でもあり、どの墓がどの家の墓で、最近の葬式のあの人はあそこに入ると、子どもでも知っていたのだ。謙二にとっては全く驚異的な話だった。

それから十軒の契約先を廻って、その途中郵便局長とすれ違い、ライバルとして軽く頭を下げあうが、向こうは貯金ももらうから中々同じようにはやれない。

最後にお婆さんに紹介してもらった天戸さんの家に向かう。

 もう日は暮れていたが、西の空には夕焼けが、不気味などす黒さで残っていた。烏の最後の一鳴きが広場に響いた。夜が告げられたのだった。

 玄関前でゆっくりと長く息を吐く。そして一気に吸い込む。さらに続けて大きく吐き出す。訪問前の儀式だった。

 玄関ドアを開けようとした時

「こんばんは」と、謙二の脇をすり抜けて、高校生くらいの女の子がドアを開けた。そして「ただいま」と奥に向かって大声で言って

「お客さんよ」と告げた。

「母が来ますから」とにっこりと笑う。幼さの中にも華やかさがあって、謙二は思わず緊張の糸が緩んでしまいそうになった。何より老人の中に混ざる若さは神秘的だった。

 母親は夕食の支度の最中で、慌しそうに玄関先に出てくる。娘と同じ種類の笑顔を浮かべて、大人になっても未だに屈託のない態度を持ち続け、落ち着いて振舞う。

「中山さんのところに来ている保険屋さんですね。今日電話をもらいました。いい評判を聞いてますよ。保険のことはあなたに聞けば大丈夫だって」

 自分自身もそのように思っているので、いいえそんなことはないです、という気もしない。ゆっくりとかつしっかりと二三度うなずき、用件を切り出した。

「息子さんがご結婚なさると伺いました。おめでとうございます。こういった保険がありますのでご検討いただければと思いまして」

とパンフレットを渡す。

「生年月日を教えていただければ詳しい資料を作れます。その上で、一度ご本人様にお会いできればと思います」

 この時間帯で長居は無用と生年月日を聞いて、ついでに家族全員の分も聞いて家を出た。さっきの女の子は十七歳、美津江

という名だった。

 恵まれた家庭だった。三世代が一緒に暮らし、人生の最後の日々を子どもと孫に毎日囲まれて過ごせる稀有な立場だ。だが、次の世代はそううまくはいかないだろう。現に結婚する息子の新居は川向こうの町になるという。しかし、そこそこ車で三十分なら上出来だと言えるだろう。この家はこの村にあって、あるべき人間たちがきちんと配備されている最後の城のように感じた。夕暮れ時に水面に沈む岩のように、時間が経てば消えてしまうのが摂理なのかもしれない。

 

 予定通りの訪問が終わった。車に戻る途中、思いついてもう一軒寄った。

 先月の訪問の際に、死亡保険金の支払い手続きが済んだ小さな家の前で、複式呼吸による心の調律もせずに、そのままドアを開けた。自分本来の自然な行動だったのだ。

 これから村の墓場が始まる、裏の山に登る道の脇にその家はあった。

「おや、東洋さん、こんばんは」

 謙二は神妙に挨拶を返した。平屋で四DKの家はきちんとものが置かれ、玄関を登って右側に仏間があった。遺影を前に謙二は手を合わせた。

「お茶でも飲んでいって下さい。来てくれて嬉しかったですよ」

謙二は無言で頷き、お婆さんが運んできた日本茶に手を伸ばした。「もう、落ち着かれましたか」

「ええ、ええ」

お婆さんはにこやかに繰り返すばかりである。

 このお婆さんの微笑みには心を打たれた。夫の死を本当に乗り越えているのが謙二には信じられなかった。長年連れ添った夫を亡くしたばかりのお婆さんは、悲しみを超越して、すべては先祖伝来のこの土地の土に戻るのだという単純な哲学で、生死を一体化させていた。そのような叡智が刻んだ皺は、この村の老人に共通のものだった。

 あの日、謙二は帰り際に、車に向かう途中広場を横切りながら、いつものように山を見た。海際には墓はなく神社とその両側に立つ枯れた松の木がシンボルのように目立ち、その松に烏がとまっているのを見ると芭蕉の俳句そのもののような場面に立ち会ったようで、何かを発見したような気分になる。夕闇が視界をふさぎ、神社と松の木の輪郭が消えようとした頃、何かが松の木から飛び降りた。烏より大きく枝が落ちたかとも思ったが、別の物体のようであり、余所者だからその辺を凝視していたから気づいたようなものの、住人であればそもそも視界が途切れる時間帯に山の神社などに目をやりはしない。

 凝視を続けてある時点ではっきりとわかった。人が飛び降りて、木の枝と地面の途中でぶら下がっている!謙二はそこまでの五百メートルくらいの距離と、五十段の石段を飛ぶように走った。本当に飛べないことが、もどかしく感じるほど全力で走った。

 その老人のからだは二メートルくらいの高さに浮いており、一人ではどうしょうもなかった。わざわざ木に登り、高い位置に枝に縄を縛り、首に巻きつけ飛び降りたのだ。後で見つかった遺書によると、村を見下ろせる神社で、日が暮れて村が見えなくなるまで眺め続け、思い出に耽り、いよいよ闇の中に没し去る時、この世からあの世へ飛び移りたいと書いていたそうでその通りにしたのだ。

 謙二は大声で村中に呼びかけながら階段を駆け下り、中山のお婆さんの家までまた大声で訴えながら走った。その日は村を上げての大騒ぎとなり、謙二は村中に感謝され、今や転勤間近の頃合になって絶大な信用を得たのだった。

 葬式は華やかだった。脇差をつけた男たちが棺を担いで村を一周する。その後ろに親族の行列が続くのだが、子どものいない夫婦だったので妻のほかは、村の世話役たちが並ぶ。この行列は変則的であれ、作らなければならなかった。そして、村中の人が行列に紙ふぶきをかけ、行列の先頭の人がシンバルを叩く。より良い世界への旅立ちに見えた。

 六十年間、渡し舟をこいで、年をとってからはディーゼルエンジンのついた船を操縦し、無免許がばれて営業を禁止され、陰口を叩かれ、妻からなじられ、病の床について寝たきりとなり、面倒見切れないと施設に移ることが決まった日だったという。最後の信じがたい力を使って歩き、石段を登り木によじ登り、後は身を倒して、わずか宙を飛んだのだった。

「これ以上ない幸せな最後だったと思います」

 噂では責め殺して保険金をもらって喜んでいると、とことん誹謗されているが、奥さんは保険金の手続きの時、謙二に向かってしみじみとつぶやいたのだった。本当だろうと思う。奥さんに責められて苦しかったのかどうかわからない。当事者でないと知り得ないことがたくさんあるだろう。奥さんに苦労をかけまいと思ったのかもしれない。きっとそうなんだろうと謙二は自分の中では決めている。

 あの日あの時、老人はどんな思いで木の枝にまたがり村を眺めたことだろう。遺影を前に深く考える。遺影は船を漕ぐ全身像であり、背景の海もはっきり写っていた。普通ではなく極めて風変わりであった。毎日死ぬまで見る写真に、一番あの人らしい姿が写ってないないのはおかしなことですと、お婆さんが風変わりな遺影を頼んだのである。大きな顔写真を見たくないからだという、悪意の評判など気にしていなかった。その中傷の渦も潮の満ち引きで風化して、やがて皆互いに認め合う仲になり、火葬場の炎で骨にくっ付くすべてのものは焼き払われる。

老人の瞳は少年のようでもあり、同時に深い哲学を秘めていた。そして謙二に語りかけて来るのだった。

あの日の夕暮れ、謙二が眺めていた松の枯れ木の上から村を眺め渡して、心はつぶやき続けていたのである。

 

・・・通り過ぎて来た数多のわたしが この夕暮れ 重なり始め やがて一つに収束する。わたしが一つになる。許せないわたしも誇らしいわたしも この世の理屈を越えて一つになっていく。世界が時間の中に 夜の中に沈んでいくのにあわせて ますます加速して一つになって行く

そのとき これが最後の風であると そこに現れたありとあらゆるわたしが はっきりと知る 誰一人反駁するわたしはいない これが最後の風であると

その風と離れることは不思議なことだ その風が含む匂いや感触や声や風景や そういったことすべてと離れることは不思議なことだ そんなことがあるのだろうかとさえ疑うほどに不思議なことだ 

それは何かを越えて未知への思いを生み出しては それごと連れ去るものだ

その最後の風の奥深く すでに世界そのものとなったわたしが 自らを感じ尽くす・・・

 

 遺影から言葉が切々とやってくる。この村そのものが語りかけて来るようだ。ほおっておくと取り込まれそうになる。それは謙二には耐えられない。

 父祖の土地に飛び込んだのだ。飛び込める場所がなかったらどうなっていたのだろう。海辺の小さな平野で潮が満ち潮が引くように生きていく。皆土から生まれ土に返る。昔から誰もが持っている共通の心情だ。この村の老人たちに死の恐怖はないように見えた。もし一人で見知らぬ街のアパートや路上で死のうとすれば、世界からはじけだされるかのように破滅していったことだろう。

 丁寧にお婆さんと挨拶を交わし、家を出た。

 車に戻った。エンジンをかける。営業所まで四十分ほどのドライブとなる。夜の田舎道を軽快に運転しながら考える。死亡保険金を受け取った人をその翌月に必ず訪問するのは、病的な癖だろうか。誰かが死んだ後で遺族と話すのは、まるで納まりの着いた後日談を聞くようであり、それはつまり、死んだ人たちの不安定な物語に対する、補償のようなものを欲しがるということだろうか。謙二には分からなかった。

 ラジオをかけて気分を変える。そして有里のことを思い出す。この世の生のあらゆるものを代表する彼女のイメージが広がり、ラジオから音声や音楽が流れ、古の共同体から、現代へ戻ってくる。

正月休みには会えるが、それも慌しい。

 あの頃は敬子と結婚するつもりでいた。遠距離恋愛も五年を超えて、次に転勤になったらそれを機にと漠然と、しかしはっきりと考えていた。

 そんな時代の思い出だ。

世界文学の名作マイベスト30|詩から小説まで150作品から選ぶ最終8作品とは?

私の中の世界文学の名作品に敢えて順位をつけてみました。 前半は気分で。後半はエクセルを使って約150作品から厳密に消去法をしました

youtu.be

動画中で使用したエクセルデータを掲載しています

よろしかったらご覧ください

 

 

 

堀辰雄『風立ちぬ』の深読み解説|動画付き(わが祖母に捧ぐ)

youtu.be

みなさんこんにちわ 古荘です

今回は堀辰雄の名作風立ちぬ について

お話していきます

ジブリが同名の映画を出したこともあって相当有名なタイトルになりましたね

 

実は私は過去にも風立ちぬについて話しました

今回は久々に通読したのでそれを記念しての動画となります

 

それでは風立ちぬについて 見て行きましょう



風立ちぬ と 海の墓地

 海の墓地の写真

 

1. 序曲  序     美しい高原  

  この美しすぎる高原で風立ちぬ と呟く

  それはヴァレリーの海の墓地の一節

  海の墓地に対比させてこれは「高原の墓地」だ

 

物語の全体

 

2. 序曲 春 風立ちぬ 冬 死のかげの谷と5つの大見出しとなっている

 

    序曲で美しい時を過ごした女性

    高原で一緒に過ごした絵を描く女性と婚約している

    彼女は結核である

           

そして

   「春」     

     節子の家  婚約 病気

      転地    春 サナトリウムへ 八ヶ岳

次にサナトリウム生活の忘れられに場面が散文詩としてそれぞれシンボリックに描かれている あまりにも悲しく美しい  

 

   風立ちぬ

     夏まで サナトリウムでの二人の精神生活 

   「冬」

    手記で   秋と冬を書く 死への道

   「死のかげの谷」

     死後の手記 去年手記の切れた日取りあたりから1年後手記を開始

           死後 ひとりで生きる主人公

 

3.どんな構成の小説なのか?

  2の物語をこんな書き方で書いている

  散文詩 序曲と風立ちぬは小説の文章というより場面場面が散文詩である 

      美しすぎる

  手記1  もう散文詩は作れない あまりにも生々しく手記でしか書けない

  手記2  ここでも手記でしか書けない

 

 

4.執筆の事情 実話

  矢野綾子という婚約者との実話がベース 美術学校を出た女性

  1933年 22歳 に出会い(美しい村に描写)1935年24歳に結核で死去。

  36~37年風立ちぬ執筆 38年出版

  アンネフランクの日記やヴィクター・フランクルの夜と霧の中

  などは文学的才能がなくても事実を書くだけで読むものの心を震わせる

  風立ちぬはまさにそうしたもの。ところが書いたのが天才作家堀辰雄である

  稀有な作品となったのである

 

堀辰雄も1953年結核で死去。

結核が治るようになったのは・・・

  先ず,1955(昭和30)年にほぼ確立 したストマイ,ヒドラジッド(以下ヒドラ),パス の3剤併用で多くの結核患者が死なないで済むよう になり,1975(昭和50)年のリファンピシン,ピラ ジナミドを含む短期化学療法の開発で結核は本当に 治るようになったと言われます。

 

5.風立ちぬ は何が描かれているのか?

 どんなことが表現されたのか?

 まずタイトルのヴァレリーの海の墓地の示す死と永遠は当然

 死ではなく小説だからもっと生々しい

  私見

  死が決まっているものの 覚悟 哀れ 

  それにつきそい見守る私 そして生き残る自分は二人の存在意義を模索するが

  死にゆく彼女には死しかない

  出征兵士がよく読んだという 死にゆくものと生き残るものの小説だからだ

  生きられるだけ生きましょうね

や そんなに長く生きられたらいいでしょうね

  などは 身につまされたことでしょう

  

ノルウェイの森

一方最近3度目の通読をしましたがあれは死ぬかどうかわからない直子と絶対死なない渡辺君の曖昧な

  ドラマ。

  ところで

  私の祖母はに比べれば節子はまだいい。

  移民の妻としてペルーへ。結核。夫の死。

  財産の処分 3人の子供を日本へ返す リマの駅で永久の別れ。

  そして風立ちぬの節子の最後の日々をアンデスの山中のサナトリウムでひとりで。

  節子よりもきつく 父たちは私よりもきつい悲劇を生きた 死んだ

 でもやがて子供たちは日本で成長しその子供が生まれそのまた子供が生まれた

 ペルーの死の床でそんな、自分がいない未来を夢にみただろうか。

 

純文学ランキング
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村上春樹「ノルウェイの森」の世界を徹底解釈するとネガティブになった話

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⓪大衆には色とりどりの花を|その中に識者にだけわかる芸術をいれるのだ トーマス・マン ゲーテとの対話より

 

花で読まれているのではないか?

 

村上春樹の世界は短編小説なんだよ

長編にすると齟齬が生まれるのだ

 

キズキと直子とぼくは集合的無意識でつながっている

そしてぼくが緑と近づくほどにその世界が混乱し 幻聴が起こり 最後の一線を越えてぼくと緑の絆が出来上がった時 直子は自殺した

冒頭井戸でみんなつながる

このモチーフはカフカでも騎士団長でもネジ巻鳥でも繰り返される

誰かの無意識が誰かに影響を与える

 

②長編から来る印象というのが残るかというとそれは確かに残るでも 随所に村上春樹本人が顔を出すから感情移入できない

この文体で書けるのはピンボールまで、羊で限界だったのではないか

堀辰雄の文体でカラマーゾフが駆けないように

チャンドラーやフィッツジェラルド風の会話がわざとらしすぎて腹が立ってくる

いかにもチャンドラーのやりそうな会話を キャラの薄いぼくが使うから

皮肉とエゴを感じる

それを突き抜けても良い話だったけど 未処理でしょう

 

またディテールが展開しすぎて楽しい短編にはなるけど長編として統合がいまいちか

不要なディテールがたくさんあるように思う 永沢さんとハツミさん、突撃隊なんかなんのために登場したのか?突撃隊はまあ 蛍という短編で元々いたからあれだけど突撃隊の必然は完全に消えている

 

それに的確にデティールが処理されてないので いったい何の話だったかわからなくなりそう。

 

レイコさんのレズビアンの少女の話ってなんだ?

そもそもレイコさんってなんだ?最後の年上女性とセックスしたいから登場するのか?

カフカでも50代の佐伯さんとカフカ君がセックスする





③ところでなぜミッシェルではなくてノルウェイの森なんだろうか

なんとなくビートルズで森の雰囲気があればいいのか

 

ぼくの世代なら ステアウェイトゥヘヴン か ホテルカリフォルニアか。

 

④キャラ

女は全員同一人物 レイコさんと緑と直子とハツミさん レズビアンの少女にさえにどんな違いがあるのか

男も全員同一人物 キズキ 永沢 ぼくは同じキャラ

全員がぼくの妄想

女性は村上春樹の理想的に都合のいいセリフをしゃべってるだけ

小谷野敦の批評

 

みんななんでもしそうなキャラだからみんな制限がないからみんな同じになる

ぼくの全セリフを永沢さんが言っても不思議ではない

レイコさんの全セリフをハツミさんが言っても不思議ではない

逆もまた。

表情のないマネキンのような登場人物たち

この世界を稼働させる作者村上春樹のエネルギーだけが 人間くささを出している

⑤どの作品でも女性とすぐ寝る

セックスして射精するのは村上作品では都合よく精神的儀式です

ぜひそんな世界で生きたいものだ(笑)

しかも

相手は必ず美人で賢くやさしく人の心のよくわかる女性

そしてどの作品でも ぼく に男性的魅力は感じないのだがなぜ寝れるかというと

男も女も村上春樹だからだ

 

まるで実験室のモルモットの観察のように女と寝る

 

あるいは同時に2人好きになって何が悪いのか?そもそもそれが自然であり

制限は受けないということ

一度に好きになるのは1人だけ、というのは結婚制度を存続させるための共同幻想

まして男は今目の前にいる女を抱きたいしちょっとかわいくて気が合えば好きになるし

そんな中で最高の女は3~4人はいるものさ

 

だから好きになろうとセックスしようと直子は直子でとても大切に思っているのだから

誠実ですと 小説中に叫んでいる

⑥若者だけを頂点とするヒエラルキー

娘二人を自殺で失くした直子の両親は葬式で世間体しか気にしないとんでもない人たちとしている

僕の同世代しか人間ではない かくも偏狭に世界を観れば絶望しかなくて

かくも他世代を無視して世界を見れば 行き詰まり 共感はなく うつろになるだろう

さらに

若者の死は美しく重大事件として設定されるが緑の父の死などは 池に住む亀が死んだように語られる 汚いもの どうでもいいものとして処理される 

 

それに直子の父の弟のことで子孫に害がでているように書かれているが

そのまま。直子まで死んだら父は弟のことを思うだろう もっと強く。

こういうのを未処理というと本人は

無意識化の物語を言葉で考えてはいけないみたいに言うから深い井戸に石を投げるようなものだ



⑦コロナの時みたいな精神衛星の潔癖症

一日中手を洗っている

 

⑧堕落しない 一切の堕落をせずに生きようとしている

坂口安吾堕落論で行けば 堕落をよしとせずそのまま死ぬのである

特攻隊の兵士は神聖だが帰還すれば闇屋になる

戦争未亡人は聖なる女性だが 戦争が終われば再婚して別の男の子供を生む

でも

だからといってそれを嘆いてはいけない 生きるとはそういうものだ

人間の本性に逆らう偶像を作って人々を操っていたのだ

堕落して本性として生きよう

 

村上春樹のぼくは 堕落を拒否して不自然な人間として永遠の戦地にいるのだ

しかも

 

あくまで体制側にいるぼく

ちゃんと学校にいき授業に出る どうでもいいことだけどというが

どうでもいいことはちゃんとやるのが村上春樹に主人公

きっと安保闘争に賛成しながら活動には参加せず授業に出たのだろうと思う

昔の日本には勝ち組・負け組はなかった 

自分のルートをコースを歩けば全員が引き分けだった

オフコースした人だけが負けたりする

高校も商業も工業も大学も この学校のこの成績だとこういう会社

というルートが出来上がっていて結婚相手もその範囲内

人生は共同体の中で営まれていたのが戦後バブルまでの日本だった

実はよかったのはバブルではなくその直前までの秩序だった

 

で 安保闘争とはその破壊の祝祭でもあった まあ一揆です

政治的には不合理な活動です だから復権しない

 

キズキの死も直子の姉の死も直子の死も 必然、災害のようにあきらめるしかない

決して悲しんでいるようには見えない ショックで旅行に言ったとは書いてるけどひとつもショックを受けてない 結局レイコさんとセックスして癒されるという意味不明な。





⑨書評

 

柄谷行人は、村上の作風を保田與重郎などに連なる「ロマンティック・アイロニー」であるとし、そこに描かれる「風景」は人の意思に従属する「人工的なもの」だと述べた

 

世界なんかない

すべては村上春樹の内面空間

 

上野千鶴子は、鼎談集『男流文学論』(小倉千加子富岡多恵子共著、筑摩書房、1992年1月)において『ノルウェイの森』を論評し、次のように述べている。「はっきり言って、ほんと、下手だもの、この小説。ディーテールには短篇小説的な面白さがときどきあるわけよ。だけど全体としてそれをこういうふうに九百枚に伸ばせるような力量が何もない。

 

この世界になぜレイコさんや永沢さんやハツミさんが登場するのかは謎だ

面白いけど レイコさんのレズビアンレイプのような話ってなんだ?

 

富岡多恵子は、上記鼎談集において近松門左衛門の「情をこめる」という言葉を引用し、『ノルウェイの森』について「ことばに情がこもってない」と評する。それは「情をこめるようなことば遣いを現代というのがさせない」からかもしれないと述べている

 

とにかく堕落しないために正面から真の言葉で語りはしない

見たいものだけを見る その範囲内で沸き起こる感情にだけ関心をもつぼく

 

中島梓は、『ねじまき鳥クロニクル』について、「面白い」と認めつつも「骨のストーリーだけにしてみるとこれはほとんどどうしようもない三流のレディースコミックみたいなものである。」と述べている

 

ノルウェイの森も骨のストーリーだけみると

高校時代の自殺した親友の彼女が病んで自殺するまでの間

ぼくは学校生活を楽しみながらちょこっと見舞いに行ったという話になるか

 

小谷野敦は、『ノルウェイの森』の書評で、「巷間あたかも春樹作品の主題であるかのように言われている『喪失』だの『孤独』だの、そんなことはどうでもいいのだ。(中略) 美人ばかり、あるいは主人公の好みの女ばかり出てきて、しかもそれが簡単に主人公と『寝て』くれて、かつ二十代の間に『何人かの女の子と寝た』なぞと言うやつに、どうして感情移入できるか」と述べている

 

その意味ではぼくは豪傑だ

そしてそんなことない セックスなんかしたくもない 勉強もしたくもない

といいながらやることはやって楽しくもないとうそぶく最低の人間だ

 

蓮實重彦は、「『村上春樹の小説は、結婚詐欺の小説である』ということであります。最新作を読んでいなくてもそのくらいはわかる」と述べている

 

小説世界では女も村上春樹そのものじゃないか

 

渡辺みえこは、『ノルウェイの森』に登場するレズビアンの少女について、その描き方が差別的であると論じている

 

それを言えばぼくが認めない人間はサル扱いです

緑の父、直子の両親 施設のおじさんなど みんな影が薄く程度の低い大人として述べられている

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【文学的故郷とは何か?】ヘッセ『世界文学をどう読むか』から|ドイツ文学の純朴な精神と朗らかな生の歩みを味わう

あなたは 文学的故郷を持っていますか?

ヘルマン・ヘッセ著「世界文学をどう読むか」

ヘルマン・ヘッセ著「世界文学をどう読むか」という100ページにも満たない小冊子がある。冒頭からいきなり素晴らしい一文で始まるのだが作家を目指す人にはぜひおすすめの随筆である。

その中にこんなくだりがある。

「自分はあらゆる本を読みインドやロシアやフランスの詩や小説も読むが、精神的な故郷は18世紀の南ドイツの文学である」
ヘッセの精神的故郷である18世紀の南ドイツ文学、南ドイツ音楽とはどんなものか

それは少し時代の変動はあるもののおおむねメーリケやジャン・パウルなどの世界である。そしてモーツァルトやバッハの世界でもあるようだ。(オーストリアは南ドイツ)

ヘッセは晩年次のような詩を記しています
ヘルダーリン頌歌』やメーリケの小説『画家ノルテンを再読して』モーツァルトのオペラ『再びフィガロの結婚の入場券をもって』
精神的故郷の詩人や音楽家への感謝と賛歌の詩を書いたのです

私の文学的故郷

さて私自身の文学的故郷はというとやはりある。

ヘッセの郷愁、春の嵐、詩集

anisaku.hatenablog.com

カロッサの幼い頃、青春変転、美しき惑いの年 詩集

anisaku.hatenablog.com

シュティフターの 晩夏 石さまざま

anisaku.hatenablog.com

ケラーの 緑のハインリヒ

スイスの作家ケラーと「緑のハインリヒ」 - 【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

 
ヘッセが18世紀の南ドイツとしたものを
私は19世紀から20世紀前半のドイツとなっているのである。

これが私の文学的故郷である。

ドストエフスキーアンドレジード、カミユにカフカトーマス・マンヘミングウェイなども好きだが故郷というとこうなる。

ゲーテは入らない。ヘッセも荒野のオオカミや、ガラス玉演技などは入らない。

尊敬する作品と、愛好する作品と、故郷となる作品は違うのである。

4人のドイツ人の記載の作品こそが本来の私であって、あとは人生の紆余曲折を経て読み込んで行って感動したのである。もともとは南ドイツとオーストリアとスイスのドイツ語の作家の翻訳が私の精神を形成したのである。

 

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語源で考える「古典」と「clssic」の本当の意味|ホメロスとダンテと荀子

音楽でも文学でも classicの翻訳が古典である

クラシック音楽はクラシックミュージック

クラシック文学は古典文学となる

なので19世紀のフローベルやバルザックトルストイを古典文学というと

近代文学だ、古典と言えるのはシェイクスピアとか源氏物語とかギリシャローマや古代中国だと言う意見も出て来る

これは翻訳が悪いのである

もともと日本にはこんにち言われる古典文学の概念はなく 古典といういかにもな語句を与えてしまった そこから齟齬が生まれたのである

クラシックの語源とは?

古代ローマで 国家の危機に際してローマ市民は2通りの貢献をしたのだとか。

ひとつはみずから兵士になって戦うこと。

もうひとつは財をはたいて艦隊を寄付すること。

もちろん命をささげる行為は崇高なのだけど 軍事的にみれば

1人が一人の兵士を寄付するよりも 一人が数隻の艦隊を寄付するほうがすごい

この寄付された艦隊をクラシスと呼ぶ

そして寄付した人のことをクラシススと言います

そうです

クラシックの語源とは国家の危機に際して艦隊を寄付する人のことなのです

転じて 人生の危機に素晴らしい文学や芸術を運んでくれるものをクラシックと呼ぶようになった だからクラシックとは古典ではなく最高という意味もありますね

クラシコ・イタリア WBCワールド・ベースボール・クラシック

なんかもそうです

なのでクラシック文学というのは古い本のことではなくて

優れていれば現代文学でもクラシックなのです

荀子の言葉 

東洋でも荀子の言葉がこの概念を示しています

夫(そ)れ学は通のために非ざるなり。窮して苦しまず、憂えて意(こころ)衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるが為なり」とあり、本当の学問とは、立身出世や就職などのために(通になるため)ではなく、「窮して苦しまず、憂えて意(こころ)衰えず、禍福終始を知って惑わざるがためなり」と説いています。

人生の危機に際してクラシスとなって助けてくれるものこそ学問だと述べているわけですね

 

世界の名作文学から古典、クラシックとはなにか? を深く考えてみました #ダンテ神曲講義 と #厳選classicチャンネル を参考にしました

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今道友信著「ダンテ神曲講義」の序、「ホメロスと序」に書かれた古典の意義と意味に触発されて、なぜ私は古典文学を読むのか?を考えてみました

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