音楽でも文学でも classicの翻訳が古典である
クラシック音楽はクラシックミュージック
クラシック文学は古典文学となる
なので19世紀のフローベルやバルザックやトルストイを古典文学というと
近代文学だ、古典と言えるのはシェイクスピアとか源氏物語とかギリシャローマや古代中国だと言う意見も出て来る
これは翻訳が悪いのである
もともと日本にはこんにち言われる古典文学の概念はなく 古典といういかにもな語句を与えてしまった そこから齟齬が生まれたのである
クラシックの語源とは?
古代ローマで 国家の危機に際してローマ市民は2通りの貢献をしたのだとか。
ひとつはみずから兵士になって戦うこと。
もうひとつは財をはたいて艦隊を寄付すること。
もちろん命をささげる行為は崇高なのだけど 軍事的にみれば
1人が一人の兵士を寄付するよりも 一人が数隻の艦隊を寄付するほうがすごい
この寄付された艦隊をクラシスと呼ぶ
そして寄付した人のことをクラシススと言います
そうです
クラシックの語源とは国家の危機に際して艦隊を寄付する人のことなのです
転じて 人生の危機に素晴らしい文学や芸術を運んでくれるものをクラシックと呼ぶようになった だからクラシックとは古典ではなく最高という意味もありますね
クラシコ・イタリア WBCワールド・ベースボール・クラシック
なんかもそうです
なのでクラシック文学というのは古い本のことではなくて
優れていれば現代文学でもクラシックなのです
荀子の言葉
東洋でも荀子の言葉がこの概念を示しています
夫(そ)れ学は通のために非ざるなり。窮して苦しまず、憂えて意(こころ)衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるが為なり」とあり、本当の学問とは、立身出世や就職などのために(通になるため)ではなく、「窮して苦しまず、憂えて意(こころ)衰えず、禍福終始を知って惑わざるがためなり」と説いています。
人生の危機に際してクラシスとなって助けてくれるものこそ学問だと述べているわけですね
世界の名作文学から古典、クラシックとはなにか? を深く考えてみました #ダンテ神曲講義 と #厳選classicチャンネル を参考にしました
今道友信著「ダンテ神曲講義」の序、「ホメロスと序」に書かれた古典の意義と意味に触発されて、なぜ私は古典文学を読むのか?を考えてみました