逆不条理で文学を読む理由を考える
①気晴らし 退屈しのぎ
②物語を楽しむ 文章を楽しむ
③生きる意味を知りたい 考えたい
世界と宇宙 神について知りたい 考えたい
生きる意味を求めるのが若者だけど 見つからない
なぜか そもそも
③生きる意味はないあらである
生きてること そのものが意味
意味を捉える主体は自意識ではなく潜在意識
生きてることは意味をもつ
その生きてる上にいる人間に生きる意味はない
実存に意味はあるが現存在に意味はないみたいな
この区分けがわかると人生の諸問題は神なしで解けてしまう
不条理とはアプリケーションとしての自分がちゃんとやっていて他のアプリケーションもちゃんとやっているのに OSが悪いために何かが狂っていく
知らぬ間に狂う OSで起こる出来事には何もできなからその状態でやってくのみ
これが反抗
さてカミユの不条理には一点おかしなところがある
それはアプリケーションは立派でOSがおかしいということ
逆不条理とは
OSはちゃんとしてるのにアプリケーションがおかしいということ
するとこうなる
不条理
すべてがちゃんとなってるのになんとなくおかしくなる
逆不条理
自分も周りの人もいい加減に生きてるのに それなりになんとかなっている みたいな(笑)
で実は社会がデフォルト状態の時は逆不条理である
心身のあらゆる動きは生きるために作動しているから生きることは意味であり
そのOSに乗っかってる自意識=意思と思考をもった人間は意味は捉えようがない
現存在と実存に分けて考えることで整理される
時代 国 人間関係
#アルベールカミユ の #シーシュポスの神話 をネタに
雑談していきます
自分勝手な不条理論です