【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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いつの日か子供たちは思い出すだろう

夏休みに家族で海へ行き

白い雲がもくもくと水平線に湧きがるのを見たことを

お母さんとおじいさんとおばあさんがいて

お父さんはいなかった

お父さんはその年の春に事故で亡くなっていた・・・・・・


ある夜会社から帰り夕刊を見ていたら、夫婦喧嘩の後で奥さんを驚かそうとふざけて13階のベランダから落ちて死んだサラリーマンの記事があった。夫も妻も37歳。ぼくより二つ年上で、滑稽な死だけど奥さんにはどれほどつらい出来事だろうかと思ったのだった。

次の日会社に行くと、同期から電話があって「Wさんはなんで自殺なんかしたんだよ、おまえ、同じ埼玉県にいるからなんか知らないのか」と必死な声で問い詰められたのだった。

ぼくは理解した。あの滑稽な死を迎えた37歳のサラリーマンとは彼のことだった。ということは37歳の妻とはは自動的に彼女ということになる。



彼女と出会ったのは10年前だった。針の先ほどの注意を1分前にするだけで彼が死ぬことはなく彼女の人生は今まで通りに流れていたのだった。悔やんでも悔やみきれないほどのわずかな差。彼女は自分の態度と言葉が彼を殺したと考えるようになる。原因のすべては自分にあると考えるようになる。そんな道が未来に向かって一瞬のうちに伸びたのだ。

生まれたばかりの彼女の自責の念は生涯消えることはない。

彼女を救うのは長い長い時間だけだ。彼があのように死んだことを毎日少しづつ受け入れていって寄せ返す波が作り出す海岸線のように彼女の心の地形が変わるのを待つことだけが救いだろう。そうなれば100歳の彼女は穏やかに振り返るかもしれない。でももう彼の人生は中断し、彼女の人生は一瞬のうちに彼に対する余生となって正常のものではなく、極めて例外的なおまけのような時間の切れ端のようになってしまったと感じてしまうけど、子供たちには唯一無二の母親であることに変わりはなく、彼女は自分を支えることができないとすら思ってしまうのだった。


彼女の二人の子供たちはやがて父の死を乗り越えて大人になってあの夏の海を思い出すだろう。とりわけあの入道雲を。お父さんはいないがみんなでみたあの入道雲を。悲しい表情ばかりの母さんの、自分たちに笑いかけるあの笑顔を。

いつの日か子供たちは自分の子供に思い出を語るだろう。

そんな日がきても彼女があの夏を思い出すことはない。

彼女は何も思い出さない。彼女は子供が成長し、自分が老いていき、死が訪れて彼に謝る日が来ることを待つだけになっている。その時にこそ彼女の自責の念と後悔と悲しみとが世界に溶けて消えるのだ。

そんな風にその日を迎えることができるのだろうか、これから先、彼女の人生が長く続くのかさえわからない。生きている間はもう彼のためにできることはなく、死の床の一瞬のために彼女は生きている。そこで彼女の心はようやく溶けて、彼女のかつてのあの笑顔がよみがえるのだろう。ほんの一瞬、死と生の狭間で。なにもかもこれでよかったのだと神々のように微笑むのだろう。


****

あのとき彼女の道ははるか未来に向かって伸びていた。

今度彼女を見かけるのは一生涯ほどの長い時間が過ぎたあとだと、ぼくは思ったものだった。

彼女が彼に謝る時が近づいたと、そろそろ感じ始める頃。その時ぼくは彼女の子供たちに、幼いころ見た入道雲について、それを彼女に伝えるように話したい。

そして今

時は流れ

その時が来たのだった。







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