文学創作 小説 詩 ポエム エセーのためのカフェ
境界の村
お別れに
第一話
ハーモニカのテストで不本意な失敗をしたぼくは、すっかりひねくれてしまって、授業が終わった時、自分のハーモニカで机を激しく叩いた。ぼくの中では瞬間的にすべての責任はハーモニカにあるのだということになってしまった。ハーモニカの裏切りによってぼくの華々しい成功は阻止されてしまった、そういう風に頭の奥深いところで自動的に物語が出来上がってしまっていた。
うまく吹けた者はクラスの中でも五~六人であり、男で最後まで鮮やかに曲を奏でた者はいなかった。ほとんどの者は詰まりながら、失敗しながら、どうにかこうにか最後まで演奏する、といった体のテスト結果だった。だから前日の家の練習で何度も完璧に近く吹けていたぼくは、皆の拍手喝采と亜季の賛嘆の表情を手にすることができると確信していたのだ。
それがどうしても出出しを過ぎて次の旋律のところで、何故か一つ息を吸うところがずれてしまって、何度やっても同じようにずれてしまって、遂に修復できないまま、先生に時間切れを宣告されてしまったのだ。ぼくの練習の成果の大半は日の目さえみることがなくなってしまった。オリンピックの金メダル候補のスケート選手が、スタート直後に転んでしまって、すべてが終わってしまうシーンを見たことがあるが、まさにあれだった。
おまけにぼくと敵対するグループの奴らが待ってましたとばかり、ぼくの失敗を真似して、わざわざハーモニカを吹いて一音ずらして、「あれ?」っと言うぼくのあせりと共に出たせりふまで再現するのであった。
その後で亜季はいつものように素晴らしい演奏で皆にため息をつかせた。敵対グループの連中もぼくの失敗を忘れて、亜季のハーモニカに聞き入った。彼女はピアノと声楽を習っていて、音楽については段違いの実力だったから、ぼくらは別格として彼女の演奏を楽しんでいた。しかし彼女以外に、彼女に近い演奏をする者が出た時は、拍手してそのがんばりを讃えていた。
背中を丸めて下を向いてぼくが教室から出ようとすると、亜季が
後ろからぼくの肩を叩いた。
「最初の所だけしか聞けなかったけど、すごく練習したこと、よくわかったよ。あそこで詰まらなかったら、きっと最後までいい演奏ができてたのよね。私にも経験があるけど、練習すればするほど、魔がさすっていうか、ああいうことがあるのよね。今回は最初だけになっちゃったけど、素敵な演奏だったよ」
ぼくは机を叩いた後、ジーパンのポケットに無造作に突っ込んだハーモニカを取り出した。少しだけ逡巡したぼくを亜季は促した。ぼくは穏やかな気持ちで練習通りに吹けた。あたりにいる者たちが拍手してくれた。
亜季の前でいいところを見せる最後のチャンスだったから、がんばったのだった。本番で失敗したおかげでぼくは自分の想像以上の思い出を手にすることとなった。
ミルは一見何の変哲も無い雑種の日本猫だった。だが一歩踏み込んで観察すると、実にエレガントな雌猫だった。
ミルは暇さえあればからだを舐める。その頻度は病的であり、胸元の毛は白く光輝き、背中の茶と黒とグレイが混ざり合ったような何とも言えない色合いも、艶々していて獣らしさがなく、背骨に沿った中心部分の黒々とした筋は神さびてさえいた。
そもそも顔立ち自体が素晴らしかった。目元は背中と同じような艶がかかった微妙な色合いで、それ以外は真っ白。その土台にきれいな二つの瞳、よく引き締まった口元がある。髯の生え方も微妙な上向き加減が何とも気品に溢れ、それは明らかに他の猫の角度と違っている。耳の大きさも適度で、ニャーと啼く時の開いた口もライオンのように威厳がありながら、人間の女のように媚がある、そして背中の曲がり方も単に猫背と言ってしまってはとうていその曲線美を伝えることはできず、足の先の丸みでさえもかわいらしかった。つまり、ミルはあらゆる面で他の猫に勝っていた。
ぼくの家族は皆こんな風に信じていた。と同時に誰に話しても理解する人はいなかった。
ミルは外ではたいてい雄猫と一緒だった。また餌時に雄猫を連れて来て自分の餌を食べさせ、自分の分がないと母にニャーと啼いて訴えては、自分の分を食べさせる人があるかね、と叱られていた
ぼくの村には整然とした猫社会の秩序があった。まず、村は猫たちにとって四つの縄張りに分かれていた。