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発見2
ぼくはリトルリーグで野球をはじめて以来、春休みも夏休みも冬休みも、野球抜きの生活をしたことがなかった。
だからその日、朝からグラウンド以外のところへ行く用事で、ごく普通のシューズを履いて、ジーンズにスプリングコートのようなものを羽織って出かけるのはなんとなく心が踊った。おまけに肩を気にしなくていいのだ。
高校二年の夏の甲子園へ向けて、地区大会で酷使されて肩が壊れた。7月14日の準々決勝で負けた夜に激痛が走って翌日病院へ行った。
最初は一週間で治ると思った。
一ヶ月経った。
3ヶ月経った。
年が明けた。
まったく治らないことで焦りと絶望感がピークに達しての休部だった。うしろめたさも手伝ったのだと思うが監督はすんなりと受けてくれた。なんといっても二百球を一人で投げ切った翌日に、また百五十球投げさせるような起用をしたのだ。
バスを降りたら目の前にその寺があった。
横断歩道を渡り、寺への石段を見上げる。バカバカしいくらいの高さだった。どうしてもっと低いところに寺を建てなかったのか、昔の人はなにを考えてたんだろう、そんな風なことを思うともなく思った。
石段といえば小学校の頃はよく走って登った。石段を見るとトレーニングの道具に見えた。しかし、子供の筋肉はあまり酷使してもいけないという当時の指導者の言葉で、石段トレーニングへのマイブームは去った。なつかしい気分を抱えて二百段はあろうかという階段を登っていった。
それにしても昨夜の電話には驚いた。
ハルミ先生は社会の先生だった。1年のとき担任で、2年になっても担任だった。授業はうまいとは思っていた。結構みんなが笑うのだ。教科書に書いてないこと熱心にを伝えながら、それでいて教科書の内容がぼくらの頭に残るように気をつかってくれていた。
中でも日本史の授業には熱が入っているのがはっきりとわかった。さらに言うと、ほとんど記述のない日本の神話などについて面白おかしく話してくれた。ただそこは受験にはでないので頭の休憩として聞いていた。