【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

リルケ「秋の日」|形象詩集最高傑作の孤独がしみわたる詩

リルケ 秋の日

神品芳夫訳
 
主よ 時です まことに夏は偉大でした
いまこそ 貴方の影を 日時計の上に投げ
野に秋風を吹かしめたまえ
 
残れる果実に 最後の実りを命じたまえ
そしてなお 二日の温暖を恵み
かれらを成熟へと走らしめ やがて
最後の 甘き果汁もて 豊潤の葡萄酒となしたまえ
 
いま 家を持たぬものは ついに無宿
いま 孤独のうちにあるもの いずれは ひとり
眠られぬ夜 本を読み 長い手紙を書いて
いつか 樹々の葉が散り敷く頃
並木道を 不安げに さまよい歩くことでしょう

感想など

こういう叙情詩を解説してもほぼ意味がないものだ
なぜ この詩が人気があるかといえば
秋と孤独と 夕暮れの残光の中の神の恵み これらが美しく混ざり合ってるからだ
わたしも数えきれないほどもう長い年月
折りに触れて読み返したが
読むほどに味がでるう
詩とは元来そういうものだろう
 

欧米の詩の翻訳

詩は翻訳できないという。日本の俳句も絶対他の言語に置き換えは不可能だという。
それはそうだが、ある言語で書かれた詩の奥底に潜む人間の魂やイメージは、別の言語でも伝えることはできる。なぜならそもそも心と魂が先にあってそれを言葉で表現しているからで、心と魂は絵画や音楽のように言葉を介さないからだ。
とはいってももちろん原語のすばらしさは消えるのだが、それでもその内奥の輝きは翻訳でもかなり出てくるのだ、あとは読むものの感性の問題となる
 

戦後西ドイツの叙情詩人気度ベスト3

かつての西ドイツで近代ドイツの叙情詩の人気調査があった。第三位に輝いたのが、今回紹介するリルケの秋の日である。ちなみに2位はヘッセの霧の中 一位は、カロッサの古い泉である。それらはまた後日紹介するとしょう。
リルケは近代ドイツ最大の詩人だ。ドゥイノの悲歌などの壮大な詩を書いた。今回紹介の詩は初期のもので形象詩集の中に入っているが、哲学的宗教的な後期のものより形象詩集が一番人気があるようである。

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名詩紹介 室生犀星初めて「カラマゾフ兄弟」を読んだ晩のこと

ぼくが好きな詩を紹介しています

【初めて「カラマゾフ兄弟」を読んだ晩のこと    室生犀星

 

 私はふと心をすまして
 その晩も椎の実が屋根の上に
 時をおいてはじかれる音をきいた
 まるでこいしを遠くからうったように
 侘しく雨戸をもたたくことがあった

 

 郊外の夜は靄(もや)が深く
 しめりを帯びた庭の土の上に
 かなり重い静かな音を立てて
 椎の実は
 ぽつりぽつりと落ちてきた
 それは誰でも彼(か)の実のおちる音を
 かって聞いたものがお互いに感じるように
 温かい静かなしかも内気な歩みで
 あたりに忍んで来るもののようであった

 私は書物を閉じて
 雨戸を繰って庭の靄を眺めた
 温かい晩の靄は一つの生き物のように
 その濡れた地と梢とにかかっていた
 自分は彼(か)の愛すべき孤独な小さな音響が
 実に自然に、寂然として
 目の前に落ちるのをきいていた
 都会のはずれにある町の
 しかも奥深い百姓家の離れの一室に
 私は父を亡(うしな)って
 遠く郷里から帰って座っていた
 あたかも自らがその生涯の央(なかば)に立って
 しかも「苦しんだ芸術」に
 あとの生涯にゆだねつくそうと心に決めた
 深い晩のことであった
 

解説というか感想

この詩は父親の葬式から東京に戻った日の夜のことを書いてるようですね。
心には父に対する様々な思いや悲しみや寂しさが渦巻いていることでしょう。
そのすべてを吸収するのが椎の実が落ちるナチュラサウンドであり
カラマーゾフの兄弟 なのですね
だからカラーマゾフの世界がひたひたと静かに心の底を通り過ぎていく。
椎の実が落ちる音がそれに伴奏を奏でる
そんな風に父の死の後の夜が更けていく
 
なんとも言えない深さと静けさを感じるのです。
そして深さと静けさを与えたらこの詩はほかのことは何も言わない。
それが人間に与える影響は言葉の意味より大きいのだと思います
 

詩の解説って野暮だと思う

解説を書いた人の世界観でその詩を味わうことになるからです。
でも
詩を自分で味わうにはこの詩でも一回読んだだけではまず無理です。
ぼくがこの詩を自分のものにできたと思ったのは
たぶん5回読み終わったとき。しかもそれは最初に読んで1っか月くらいかかっています。
じわじわとしみこんでくる詩というものがあり
というか詩とは本来そういうもので何度も読んでいる間に
あるときその詩が自分のものになるのです
でも 普通忙しくて一回しか読まないことがほとんど。
そんなとき誰かが書いた解説は 詩から受けた印象が言葉になっていたりして役立ちます。
 
そんな意味でこの詩の解説を書こうとしたけどもうかなり余計なことを書いてしまいました。
 

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発表した作品はもう作者のものではない TT

作品は書いてしまえば他人事です。その境地になるくらい真剣に書いたら批評など気にならなくなります。うまくなりたいとかほめられたいとかいうのは論外です。それは文学することと何の関係もありません。食事に来たのに食堂の床材を気にして楢材じゃなくちゃだめだ、桜が一番だ、なんでパイン材なんだ?どこの大工だ一体?だから工務店に頼むなと言ったのに。日本家屋の職人としての大工が創った床の食堂でないと食堂とは言えない。
と食堂で騒いで食事には目もくれないでいるのがきのう今日のサブローグループです。


だいたい自分の内面を言葉にする作業で充実して力を出し切ったあとにはそれが他人にどう映ってもどうでもいいはずです。自分が読んで自分がこれを完成とすると決断できたらもう完成であり、もう自分とは別物であり、精神の記念碑なんです。
それの存在意義は自分の生きた証だからです。

それを他人がほめないとかけなしたとか、傷ついたとか、人間関係がどーしたこーしたとか、相談にのれとかのらないとか、文学をなめんじゃねーよ

作家の目で読むドン・キホーテ NA


作家の目でドン・キホーテを読んでみる

物を書いてる作家としてドン・キホーテを読むと多くのことを発見する。

あれは読み始めると1ページごとに爆笑するほど面白いのだが

一番重要なことはそこにあるのではない。

作家として読むのであれば

なぜドン・キホーテが近代小説の父になっているか

を意識して読まなければならない。


あれは、当時の、まさにアロンソ・キハーノが没頭した

騎士物語のパロディなのだということ。

本当は真面目に騎士が姫君に叙勲を受けて騎士となり、

冒険して悪と戦う、そういう世界なのにそれがねじれているのである。

完ぺきにパロディにして笑い話にしているのだ。

それはカフカにさえ通じるのである。

カフカは現実を暗く深くパロディ化して書いたのである。

セルバンテスは果てしなく明るく深くパロディ化したのである

パロディ化するということは、前提として徹底的に対象化するということだ。

セルバンテスには誰よりも騎士物語のポイントがわかっており、

一番面白いつぼの部分を滑稽に焼き直しているからこそ爆笑するのである。

こんな風に物事を対象化して、

再構成して世界を作り直す作業はセルバンテスが始めたといっても過言ではないのである。



滑稽な真面目さは悲惨を生むがそれこそ人間の姿

そして、しかしドン・キホーテ個人の中ではそれは滑稽でもなく

本人にとっては真面目な話なのである。

しかしそれを俯瞰するセルバンテス

これはシーデ・ハメーテ・ベネンヘリというイスラム人が書いたと、

さらなるパロディを作っている。

そしてはたからみたら滑稽な狂人であるドン・キホーテは、本人は

真面目にその騎士的世界で生きて活動しているのだということも抑えておくべきだ。

ドン・キホーテの、いちいちの出来事への対応は真摯であり、

吐くセリフは名言だらけ。深く濃く柔らかい。

狂人だと知ってなければ賢者に見えるだろう。

にもかかわらず、それは滑稽で悲惨である。

にもかかわらず爆笑するのである。

ゆえにドン・キホーテには自我のかけらもなく、

あらゆる近代文学のビッグバンとしての位置づけになるのである。

文学日記 文学的故郷を持っていますか?  HF


文学的故郷を持っていますか?

ヘルマン・ヘッセに「世界文学をどう読むか」という100ページにも満たない小冊子がある。冒頭からいきなり素晴らしい一文で始まるのだが作家を目指す人にはぜひおすすめの随筆である。

その中にこんなくだりがある。

「自分はあらゆる本を読みインドやロシアやフランスの詩や小説も読むが、精神的な故郷は18世紀の南ドイツの文学である」

それは少し時代の変動はあるもののおおむねゲーテや、メーリケやジャン・パウルなどの世界である。そしてモーツァルトやバッハの世界でもあるようだ。

さて私自身の文学的故郷はというとやはりある。

ヘッセの郷愁、春の嵐、詩集。

カロッサの幼い頃、青春変転、美しき惑いの年 詩集

シュティフターの 晩夏 石さまざま

ケラーの 緑のハインリヒ


これが私の文学的故郷である。ドストエフスキーアンドレジード、カミユにカフカトーマス・マンヘミングウェイなども好きだが故郷というとこうなる。

ゲーテは入らない。ヘッセも荒野のオオカミや、ガラス玉演技などは入らない。

尊敬する作品と、愛好する作品と、故郷となる作品は違うのである。

4人のドイツ人の記載の作品こそが本来の私であって、あとは人生の紆余曲折を経て読み込んで行って感動したのである。もともとは南ドイツとオーストリアとスイスのドイツ語の作家の翻訳が私の精神を形成したのである。

ということはヘッセと同じ故郷の出身なのだと思った。

武者小路実篤の若き日の思い出が文学の世界の入り口だった HF

キックオフ
中学一年生の冬のことだった。突然姉が文学本を読み始めた。そしてその流れ弾が私にあたった。
武者小路実篤の「若き日の思い出」があの日目についたのである。
炬燵に座ってぱらぱらと読んでみる。文学本は芥龍之介の羅生門をもっていたがなんでこんなつまらない話が名作なんだと12歳の私は思っていた。
しかし武者小路という苗字がなんだかおもしろさを予感させたのだった。
読み始めて30分経った。
普通に読める文章だ。
そろそろ寝るか、もう10時だ。と早寝早起きの私は思ったのだが炬燵で気持ちがいいのに眠くならない。
1時間半が過ぎた。
この辺りまで来ると面白くやめられなくなっていた。


そして12時くらいに一気に読み終えてしまった。私の初の文学体験だった。
若き日の思い出」はたぶん5回は読んでいる。今でもこの小説について講演で1時間話してくださいと言われたら話せる自信がある。(笑)
裏話だが、熱中して読んだ本当の理由は、女主人公の名前が当時片思いの女の子と同じ名前だったのだ。しかしそのおかげで私は武者小路実篤の市販されている本を中二のときにすべて読んだのである。
文学へのキックオフだった。

文学日記 はじめて村上春樹を読んだ日のこと

 大学を卒業して半年の間に、同じサークルだったK子と何度か会った。
ある時は大学の近くで夜食事をしたし、あるときは大学の近くで昼お茶を飲んだ。
なぜK子と会っていたかよく思い出せない。就職してしばらくの間は大学時代が恋しくて
サークルにいって後輩たちと話すのが楽しくK子もそんな風に思ってみたいでよくキャンパスで出会っていたのだ。
 大学時代には二人で会うことはなかったが、卒業したら急に親しくなった。
 日曜のたびに電話をしていた時期もあった。結局何事も起こらず二人のこういう仲も終わったのだがK子がぼくに残していったものがある。

村上春樹だ。

あるとき喫茶店で待ち合わせていて、ぼくが店に入ったとき彼女は村上春樹の最新作の小説を読んで暇をつぶしていた。
「何を読んでるの?」
と聞くと
村上春樹っていう作家、知ってる?」
「知らない」
「割と面白いよ、最新作は初の長編で『羊を巡る冒険』っていうのよ」
へえ、と思ったぼくはほどなく
『1973年のピンボール』にはまって何度も読んだ。
この乾いた哀愁のような世界、でも確かな自分を持ち合わせた強さを感じる主人公が
とても好きになった。1985年の秋のことだ。
 そしてその年の冬『羊を巡る冒険『を読んで素晴らしい才能だと思った。
 やがてぼくは大阪に転勤になり、大学時代から続いた東京生活を終えた。最後のK子に餞別に財布をもらった。カード入れのポケットがたくさんついていたがなぜだかわずかに大きくてカードを入れられなかった。でもその財布は結婚するまで持っていた。

村上春樹をほとんどの人が知らない時代の思い出だ。