名詩紹介 室生犀星初めて「カラマゾフ兄弟」を読んだ晩のこと
【初めて「カラマゾフ兄弟」を読んだ晩のこと 室生犀星】
私はふと心をすまして
その晩も椎の実が屋根の上に
時をおいてはじかれる音をきいた
まるでこいしを遠くからうったように
侘しく雨戸をもたたくことがあった
郊外の夜は靄(もや)が深く
しめりを帯びた庭の土の上に
かなり重い静かな音を立てて
椎の実は
ぽつりぽつりと落ちてきた
それは誰でも彼(か)の実のおちる音を
かって聞いたものがお互いに感じるように
温かい静かなしかも内気な歩みで
あたりに忍んで来るもののようであった
私は書物を閉じて
雨戸を繰って庭の靄を眺めた
温かい晩の靄は一つの生き物のように
その濡れた地と梢とにかかっていた
自分は彼(か)の愛すべき孤独な小さな音響が
実に自然に、寂然として
目の前に落ちるのをきいていた
都会のはずれにある町の
しかも奥深い百姓家の離れの一室に
私は父を亡(うしな)って
遠く郷里から帰って座っていた
あたかも自らがその生涯の央(なかば)に立って
しかも「苦しんだ芸術」に
あとの生涯にゆだねつくそうと心に決めた
深い晩のことであった
解説というか感想
詩の解説って野暮だと思う
発表した作品はもう作者のものではない TT
作品は書いてしまえば他人事です。その境地になるくらい真剣に書いたら批評など気にならなくなります。うまくなりたいとかほめられたいとかいうのは論外です。それは文学することと何の関係もありません。食事に来たのに食堂の床材を気にして楢材じゃなくちゃだめだ、桜が一番だ、なんでパイン材なんだ?どこの大工だ一体?だから工務店に頼むなと言ったのに。日本家屋の職人としての大工が創った床の食堂でないと食堂とは言えない。
と食堂で騒いで食事には目もくれないでいるのがきのう今日のサブローグループです。
それの存在意義は自分の生きた証だからです。
それを他人がほめないとかけなしたとか、傷ついたとか、人間関係がどーしたこーしたとか、相談にのれとかのらないとか、文学をなめんじゃねーよ
作家の目で読むドン・キホーテ NA
作家の目でドン・キホーテを読んでみる
物を書いてる作家としてドン・キホーテを読むと多くのことを発見する。
あれは読み始めると1ページごとに爆笑するほど面白いのだが
一番重要なことはそこにあるのではない。
作家として読むのであれば
なぜドン・キホーテが近代小説の父になっているか
を意識して読まなければならない。
あれは、当時の、まさにアロンソ・キハーノが没頭した
騎士物語のパロディなのだということ。
本当は真面目に騎士が姫君に叙勲を受けて騎士となり、
冒険して悪と戦う、そういう世界なのにそれがねじれているのである。
完ぺきにパロディにして笑い話にしているのだ。
パロディ化するということは、前提として徹底的に対象化するということだ。
セルバンテスには誰よりも騎士物語のポイントがわかっており、
一番面白いつぼの部分を滑稽に焼き直しているからこそ爆笑するのである。
そして、しかしドン・キホーテ個人の中ではそれは滑稽でもなく
本人にとっては真面目な話なのである。
にもかかわらず、それは滑稽で悲惨である。
にもかかわらず爆笑するのである。
文学日記 文学的故郷を持っていますか? HF
文学的故郷を持っていますか?
ヘルマン・ヘッセに「世界文学をどう読むか」という100ページにも満たない小冊子がある。冒頭からいきなり素晴らしい一文で始まるのだが作家を目指す人にはぜひおすすめの随筆である。
その中にこんなくだりがある。
「自分はあらゆる本を読みインドやロシアやフランスの詩や小説も読むが、精神的な故郷は18世紀の南ドイツの文学である」
さて私自身の文学的故郷はというとやはりある。
ヘッセの郷愁、春の嵐、詩集。
カロッサの幼い頃、青春変転、美しき惑いの年 詩集
シュティフターの 晩夏 石さまざま
ケラーの 緑のハインリヒ
ゲーテは入らない。ヘッセも荒野のオオカミや、ガラス玉演技などは入らない。
尊敬する作品と、愛好する作品と、故郷となる作品は違うのである。
4人のドイツ人の記載の作品こそが本来の私であって、あとは人生の紆余曲折を経て読み込んで行って感動したのである。もともとは南ドイツとオーストリアとスイスのドイツ語の作家の翻訳が私の精神を形成したのである。
ということはヘッセと同じ故郷の出身なのだと思った。
武者小路実篤の若き日の思い出が文学の世界の入り口だった HF
文学日記 はじめて村上春樹を読んだ日のこと
大学を卒業して半年の間に、同じサークルだったK子と何度か会った。
ある時は大学の近くで夜食事をしたし、あるときは大学の近くで昼お茶を飲んだ。
なぜK子と会っていたかよく思い出せない。就職してしばらくの間は大学時代が恋しくて
サークルにいって後輩たちと話すのが楽しくK子もそんな風に思ってみたいでよくキャンパスで出会っていたのだ。
大学時代には二人で会うことはなかったが、卒業したら急に親しくなった。
日曜のたびに電話をしていた時期もあった。結局何事も起こらず二人のこういう仲も終わったのだがK子がぼくに残していったものがある。
村上春樹だ。
あるとき喫茶店で待ち合わせていて、ぼくが店に入ったとき彼女は村上春樹の最新作の小説を読んで暇をつぶしていた。
「何を読んでるの?」
と聞くと
「村上春樹っていう作家、知ってる?」
「知らない」
「割と面白いよ、最新作は初の長編で『羊を巡る冒険』っていうのよ」
へえ、と思ったぼくはほどなく
『1973年のピンボール』にはまって何度も読んだ。
この乾いた哀愁のような世界、でも確かな自分を持ち合わせた強さを感じる主人公が
とても好きになった。1985年の秋のことだ。
そしてその年の冬『羊を巡る冒険『を読んで素晴らしい才能だと思った。
やがてぼくは大阪に転勤になり、大学時代から続いた東京生活を終えた。最後のK子に餞別に財布をもらった。カード入れのポケットがたくさんついていたがなぜだかわずかに大きくてカードを入れられなかった。でもその財布は結婚するまで持っていた。
村上春樹をほとんどの人が知らない時代の思い出だ。