作家の目でドン・キホーテを読んでみる
物を書いてる作家としてドン・キホーテを読むと多くのことを発見する。
あれは読み始めると1ページごとに爆笑するほど面白いのだが
一番重要なことはそこにあるのではない。
作家として読むのであれば
なぜドン・キホーテが近代小説の父になっているか
を意識して読まなければならない。
あれは、当時の、まさにアロンソ・キハーノが没頭した
騎士物語のパロディなのだということ。
本当は真面目に騎士が姫君に叙勲を受けて騎士となり、
冒険して悪と戦う、そういう世界なのにそれがねじれているのである。
完ぺきにパロディにして笑い話にしているのだ。
パロディ化するということは、前提として徹底的に対象化するということだ。
セルバンテスには誰よりも騎士物語のポイントがわかっており、
一番面白いつぼの部分を滑稽に焼き直しているからこそ爆笑するのである。
そして、しかしドン・キホーテ個人の中ではそれは滑稽でもなく
本人にとっては真面目な話なのである。
にもかかわらず、それは滑稽で悲惨である。
にもかかわらず爆笑するのである。