作品は書いてしまえば他人事です。その境地になるくらい真剣に書いたら批評など気にならなくなります。うまくなりたいとかほめられたいとかいうのは論外です。それは文学することと何の関係もありません。食事に来たのに食堂の床材を気にして楢材じゃなくちゃだめだ、桜が一番だ、なんでパイン材なんだ?どこの大工だ一体?だから工務店に頼むなと言ったのに。日本家屋の職人としての大工が創った床の食堂でないと食堂とは言えない。
と食堂で騒いで食事には目もくれないでいるのがきのう今日のサブローグループです。
だいたい自分の内面を言葉にする作業で充実して力を出し切ったあとにはそれが他人にどう映ってもどうでもいいはずです。自分が読んで自分がこれを完成とすると決断できたらもう完成であり、もう自分とは別物であり、精神の記念碑なんです。
それの存在意義は自分の生きた証だからです。
それを他人がほめないとかけなしたとか、傷ついたとか、人間関係がどーしたこーしたとか、相談にのれとかのらないとか、文学をなめんじゃねーよ
それの存在意義は自分の生きた証だからです。
それを他人がほめないとかけなしたとか、傷ついたとか、人間関係がどーしたこーしたとか、相談にのれとかのらないとか、文学をなめんじゃねーよ