かつて叙情詩の時代は
韻を踏む
575などで音を整える
という音楽的な響きが重視されていました
俳句や短歌でその日その時の心情は十分表現できます
でもなぜ今ここにいるのか
これからどこう向かうのか?
私の中の二つの感情が葛藤している
などは俳句や短歌では表現できません
昔は漢詩を書いていましたが
明治以降は新体詩が生まれ漢文素養が消えて行って
ついに現在は新体詩の後継者としての現代詩となっています
さて詩の書き方です
言葉のリズムの時代から意味のリズムの時代になった
言葉という点ではリズムはありませんね
そして淡々と書こうと激しく書こうと言葉の音の響きに美はなくなったのが現代詩です
では散文と詩を分かつものはなんでしょうか
TSエリオットは素晴らしくよく書かれたら詩も小説も同じだと言いましたが
やはり詩は詩のどくとくな表現がありますね
ぼくはそれは意味の響きだと思っています
たとえばランボーの
また見つかったよ 何がさ? 永遠というもの 入日と一緒に逝ってしまった海のことだ
これは言葉のリズムは翻訳でもありますがない
でも意味が響いている 入日と一緒に逝ってしまった海 というのは
暗喩の爆弾のようなものでおそるべき表現です
またTSエリオットの
底なしの深淵を越えてあなたはわたしに手を差し伸べてくださる
という一節がある夫人の肖像という詩にでてくるのですが
この一行のために膨大な繰り返しのような詩句を散りばめる
すべては底なしの深淵を越えて・・・がより一層響くための仕掛けに見える
ということで詩は意味の余韻とメロディです
意味とは人間が本能で持つ根源的イメージを言葉にしたもの
言葉を粘土のように練って創造した概念
エリオットの底なしの深淵というイメージは根源的意味であり
入日と一緒に逝ってしまった海 は概念を作り出し忘れていた何かを思い出せる
さてここで例題をみてもらいまう
ぼくは悲しい
という一行があります
これだけだと文学ではないし当然詩でもありません
では
君に振られて ぼくは悲しい
年末のボーナスが減ったので ぼくは悲しい
世界には5歳になれずに死んでいく子供たちの存在を知って ぼくは悲しい
3つの文章がありますが
だれでも3番目の文章にすこし文学的なものを感じるでしょう
ではさらにそのあとです
君に振られて ぼくは悲しい
夕日を眺めていると旅に出たい衝動が襲ってきた
年末のボーナスが減ったので ぼくは悲しい
家に帰ると妻はどうせ皮肉と愚痴を言うだろう
世界には5歳になれずに死んでいく子供たちがいる!それを知って ぼくは悲しい
なのに死を前に子供たちは両親に微笑みながらありがとうとささやくのだ
こうなると3番目の文章は詩になっているのではないかと思います
これが意味の響きです
ぼくは悲しいという平凡な文章ですが
どんな事象を受けて悲しいのか?
そして悲しみのあとどうなるのか?
という3つの意味がどう重なるかで意味のメロディーが決まってきます
これを壮大にやっているのが現代詩です
さらに意味は暗喩=メタファーでやる
ランボーの入日の海のような表現だとイメージが疾走しますよね
世界には5歳になれずに死んでいく子供たちがいる!それを知って ぼくは悲しい
なのに死を前に子供たちは両親に微笑みながらありがとうとささやくのだ
ぼくの悲しみなどその輝きの前にはただの見物人のため息に過ぎない
冬枯れの木々の先端が空に向かうのを見るとき
人はその天のかなたに
子供たちの最後の微笑みを受け止め抱きしめ
慈雨に変えて地上に戻してくれる存在の形をを探してしまうのだ
実は饒舌であり 激しい感情表現なのです
5歳を前にママに微笑みながら死んでいく子供
とだけ書くと
その意味に耐え切れないので人は
5歳になれずに時の海に還元される子供たちの魂は美しすぎて
ぼくの悲しみなどその輝きの前にはただの見物人のため息に過ぎない
と言わざるを得なくなるのです
つまりこれも詩というものが生まれるひとつの動機です
感情を表現するのではなく
その感情をささえるためにより本質的に考えるということです
意味は暗喩にするとより普遍化します
意味を確定すればするほどその日その時その場にいた人しかわからにものになります
しかし意味を暗喩で示し意味と意味を共振させるとその場にいない人でも
外国の異なる文化の人でも 共感できるものになるのです
つまりそれこそが現代における詩だと思います
言葉と言葉
一行と一行
一節と一節
では最後の小説はどう違うのでしょうか
小説とはセンテンスごとで共振させるから、振動はかすかでもいい
でも詩はガチンコの振動勝負。
小説は意味そのものではなく人物であったり風景であったり、物語であったりそうしたものが、日常を越えて全体で意味を示します
詩は一気に言葉で意味を示します
なのであり方が違うということです
そしてどちらの表現が好きかはこれはもう性向によるでしょう