【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

詩を深く考える

 詩を深く考える①


詩を書く人は多い。

前にも言いましたが、10文字くらい書いて改行して10行から20行くらい書けば詩に見えますから、一億総詩人だっていいんですけど、プロの俳句と素人の俳句、プロの短歌と素人の短歌がはっきり違うように、うまい詩とそうでない詩ははっきりわかります。これは小説にもいえることで、短歌なら57577で書けば誰もが短歌を作ったと言えるのですが、小説にも実はそういう構造としての約束事に近いものがあるけど、誰もそれを練習しない、そんな話を前回書きました。

さて詩には構造としての約束事があるか?約束事とは効果的なこと、作品としての成否を握るほどのポイント、ということですが、それがあるのか?

あるんですね。

だからこれがある詩は素晴らしいし、ない詩は読んでてばからしい。

今私は30枚以上の小説を書くことを条件に小説グループをやっていて、前にもいいましたがいずれサブローグループに合併してもらえばと考えてもいます。で、小説で30枚も書いてもらうと、力量がはっきりわかるんですね。そもそも書けない人がほとんど。小説を30枚以上で完成させている時点で、力量があるとなります。

では詩はどうでしょうか。長ければいいわけでもないけど、ひとつの視座として、長さが書けることは大事です。それは思想性と構造の構築ができるということだからです。では短い詩だと力量が測れないか?実は短ければ短いほど瞬間的にうまい下手がわかります。俳句彩短歌はプロの場合、うまいなあと感心しますね。

Facebookで見かける10行くらいの詩って、まずゴミのような詩です。

下手です。

続く

詩を深く考える②

私は今小説なら30枚、詩なら10編を加入審査の時にお願いしています。実はあれ、詩もやってます。

で、長詩は思弁性と構造の想像力の測りにはなるけど、叙情詩は短い詩、短詩もすごいのはあるわけなので、10編読ませてもらうことにしています。

1編はまぐれがあります。5編だと自分史上最高傑作が5編来るからすごいものばかりになる。

で、10編が自分史上最高作としても、素晴らしい詩を10編も書けたらそれはもう才能だから10編としています。で、10編読むと文体や、思考の傾向や感性の癖などもわかるから、まず素人さんを評価するにははずれないと思っています

この詩のうまい下手っていったいなんなのでしょう?

続く

詩を深く考える③

詩は言葉の力で精神を切り裂くものです。あるいは精神をふるわせるものです。

穏やかにゆりかごのように揺らす心地よいものもあれば、嵐の海のようにひっくり返すようなものもあるし、闇夜に光る稲妻のように、その閃光で周囲を照らすものあれば、太陽のように月のように光を投げかけるものもあります。

つまりこう感じる詩は優れた詩でそうでないのは改行した日記です。

さて、詩が10行あるとします。今から書くことを計算して書いても仕方がありませんが、結果としてそうなっている詩はすごい。

1行目と2行目の間にもう一行ある。

各行に間にすべてもうひとつの行、あるいはもう一つページがあって、

10行なのに10ページ分くらいのことが書かれている

1行目と7行目が響きあっている、3行目が9行目の意味としての伏線になっている。

などなど、無駄なくすべての言葉が他の言葉とオーケストラのように、響きあい、その音響の余韻がまた別の音楽を作り、一遍の詩を読むことで、ひとつの宇宙に浸ることのできる詩。

そんな詩がありますね。

そしてそうではないけどそんな詩を目指している詩をときどき見かけるわけです

続く

詩を深く考える ④まとめ

印象派という絵画の形式がありますね。
自我の出た作品というのは遠近法もままならぬ子どもの落書きですが、しかし印象派のように詩や小説を書くと、全く違うものやまったく違う発想で作品創作ができます。
たとえば、ある小学校の体育の授業中に教室に忍び込んで子供たちの持ち物を見たとします。こう書くと今の小学校は警備が厳重で部外者がそんなことはできないという人がいます。そして仮にの話ですというと、仮の話は興味がないと政治家みたいなことを言う人もいます。救えない人たちです
で、子供たちの持ち物をみて、それを刻銘に書いていくこと、それが詩における小説における印象派的手法です。あれは光だけで具象化させる技なので、それを応用するわけですね
さて、そうやると、すべての子供の家庭の様子や経済力や、子供の好きなことや、幼いながらの人生の歴史などを、30人分くらいかけるわけです。
そしてそのとき、作者の自我が入る余地はありません。
素人は自分のことしか興味がない。そして誰もが興味のない本人の日常的な感覚を日常的な言葉で書いてしまう、そんなものは日記です。
で、子供たちの持ち物の連なりは宇宙を創るのです。べつに教室でなくても、電車に乗ってる人達、ファミレスにいる人たち、なんでもいいのですが、とにかく詩人的視点が輝くとき、すべては光輝くのですね。

そんな詩を読んでみたいと思っています。現代のリアルに生きてる人達の。