【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

文芸誌 草囁 合評会批評文⑤ 2020年5月 TT

あなたが悩み苦しんだ最大の原因は何か?
駄作を出してしまったということです。
以下詳しく見て行きましょう。
あなたがちゃんと書けばそれなりのレベルのものができたでしょう。
あなたの腕が上がらない最大の理由とはこうです。
孤独に刻みあげるべき文学創作活動をあちこちに小出しで書きまくっている。
激務の会社の仕事をこなしながら孤独にカフカのように村上春樹のように創作する時間を、
あなたは運営するFacebookの文学グループで後進の指導にあたり、
個人的書き込みもたゆまずやる、そんなことに使いつくしているに違いない。
そちらは日記がわりにという位置づけかもしれないがどう考えてもあなたは毎日1時間はFacebookに地の文を書いているのではないか?
そんな精神の拡散を許しながら自らのコアの部分の創造を孤独にいったいいつやるのだろう?
そしてあなたの作品にはその結果確かに凄みがない。
たまにはまるものがあってそれはとてもいいけど、なんか注意散漫になってる。あの癌闘病の女性からの手紙は面白いけどあれを50枚くらいの短編に仕上げるよりもFacebookで書き込みするほうが価値が高いと思っているのだと推察される。
ゆえにあなたの作品はそのエネルギーの80%で仕上がるハンバーガーなのである。
あなたの孤独やあなたの仕事と心の葛藤や、そういったものがひしひしと伝わってきたことは一度もない。あなたは頭がいいから、問題を文字通り処理できてしまうのだ。処理された料理は80%だ、調理され味付けはしない。処理するのだ。
そんなあなたが適当に書いてたまたま活字になった小説を酷評されたといって
傷ついて深く悩んだと言われても
あたりまえじゃないですか、これで悩まなかったらあほですよ、としか思わない。
おまけにそこに人間関係がからんでこのまま批評するとたいへんなことになるとか、
温泉街の三文時代劇か?と思ってしまう。
余計なおせっかいを書いてる暇があったらほとんどの場合自我しか書けないのだから
根本的に自分を見直したらどうかと思うのである。
こんなことに主催者側を巻き込もうとすることがまた、自分の影響力を自分で確かめて喜ぶ自我の主張の表れであり、作品もやることもすべては自我か?この人は?と思われかねない。
主催者に個人的に相談でもしたらいいのではないか?
それをしないで投稿欄に書いたのはこれはあきらかに全員に言いたかったわけであり、
全員を代表して批評がひどい、傷つく、やりかたを変えろと主張しているとも考えられる。
自分が何をやったか改めて考えFacebookの井戸端会議の議長気取りで真剣に学ぼうとする人の邪魔をするのはやめたほうがいいと思うのが私だけであれば、そもそもこの場は「井戸端会議で語ろう文学の会」だったのだ。ばかばかしい限りだ。