村上春樹の文体
村上春樹の文体は心地いい。読んでると安心さえする。物語よりも人気の秘密は明らかに文体にある。
そのからくりはこうだ。
デビュー以来変わらない彼の文体は、まず不安を奏でる、そして世をはかなむセリフを混ぜる、しかし、やってることは結構うまくいってるし、そんなことから不安ではかなげに進む文体の途中途中に静かな自信に満ちた確信と断言を入れ込むのである。
だからカフカとは似ても似つかない。
若者は村上春樹を読むとまず自分のこのどうしょうもない人生と生活への共感者を得たと感じる。そしてその人物がやさしく自分と同様のテンポで語るのに、あちこちで静かな自信の足跡を残しながら進むのでいつのまにか自分も自信をもっていいのかもしれないと心地良くなるのであす。
いわば麻薬のようなものだ。
村上春樹の文体でなまずを眺めるシーンを書くと以上を踏まえてこうなるのだ。
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3メートルだ。
海面からその黒い存在まで3メートルもあった。だが太陽光線は水底まで進みその黒い生き物が微かにうごめく姿を見せてくれる。
まるで心の闇の中のコアの部分にいる言いようのないカルマのようなものかもしれないとミナミは思った。
だがナマズはゆるぎなくそこにいる。
これが猫だとそうはいかない。猫はたとえばライオンのように見えたり犬のように見えたり老婆のようも幼女のようにも見えるものだ。でもナマズはナマズ以外の何者にも見えない。ちょうどミナミの毎日が絶望以外のなにものでもないように。
そういうことだ。
3メートルとミナミはつぶやいた。
なにが?
とキリルが聴き返した。
ミナミは寂しそうに笑った。嬉しそうに笑うにはどうすればいいか、両親が離婚して以来わからなくなっていた。
やれやれ。
キリルはミナミのそのえくぼが出そうで出ない表情をこれでもう3年も眺めている。