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【小説を書く方法】風景描写とは現実を映すのではなく創造する|風景描写で完全に作者の力量がわかる

1.風景描写①1/4 小説を書く方法


小説の中身を検証すると次のものがあります

1.風景描写(人物描写)

2、人物の動作

3.物語の展開

4.セリフ

5.状況の説明

6.内面描写

この5項目を満遍なくマスターすれば小説が書けるかといえばそうはなりません。それでは単なるレポートができるだけです。



ところで小説を書いたことがないが今後小説を書きたい人の特徴として、4と5と6ばかり書きたがるというのがあります。

それはとりもなおさず自分を書きたいということの裏返しであり読者にはなんの興味もわかない文章になります。

だれが他人の平均的な内面の秘密を読みたいと思うでしょうか。ブログのアクセスでも日記ブログのアクセスは極端に低いことからも誰もがそんなものは読みたくないのです。

ところで小説を書きたい人が一番嫌うものの一つが風景描写です。

風景描写は面倒であり、ちゃちゃと必要最低限の描写だけしてさっさと内面描写をしたいと思っている人はいるでしょうか。実はそういう人はたくさんいます。そしてその考えは完全に間違いでありそういう状況を抜けないと小説は、まともな小説は書けません。



1.風景描写②1/4

さて先に述べた1~6の内容で(風景描写/人物の動作/物語の展開/セリフ/状況の説明/内面描写)初心者がやりがちなのが内面描写と無意味のセリフの羅列ですが、実は小説を稼働させるものはその初心者が一番嫌う風景描写と人物の動作です。ある意味人物の動作も視覚的に風景であるとも言えますので、要するに風景描写こそが小説創造の肝なのです。

なぜ初心者は風景描写を嫌うのでしょうか?主人公が山から町を見下ろしていて遠くに海も見えるという風景があるとして、その全部を書こうとするからです。

映像情報は文字情報の数百万倍あると言われます。つまり見えているはずの風景をすべて書こうとするとひとつのシーンだけで一冊の本になるのです。

この膨大な映像情報をどう表現するか?実はここにこそ文章の威力があるのであり、文章技術の粋も風景描写のためにあるといっても過言ではありません。達人になると風景だけですべてを語ることができますし、風景で語る事象はとてもくっきると浮き立ちます。

ヘミングウェイトーマス・マン森鴎外ゲーテ、小説における風景描写とはなんたるかを余すろころなく教えてくれます。



③1.風景描写1月5日

山の中腹に山小屋があってその窓から谷を眺める。

そんなシーンがあって男女がキスをするという展開になるとする。

小説家志望の初心者はこの場合、女か男かどちらかを主人公にして、ひたすら内面描写をします

「この山小屋からは谷が見えた。詩織は真一が早く到着してくれればいいのにと思った。真一の自分への本当の気持ちを一秒でも早く聞きたいと思った」

さてこんな書き方では山小屋にいようと街の中の喫茶店にいようと、自宅にいようとまったく同じになるわけです。作者にとって山小屋という舞台は適当に思いついただけとなるのですね。

しかし実は思いついたことには潜在意識からの意味を含んでいるのです。だから山小屋世界を成就させてやらないといけない

「古くなった材木がどっしりと壁と屋根を作っている、頑固な老人のような山小屋の窓から詩織は谷の方を見た。ブナや椋の木々が森を作っている、故郷の神社のようなこんもりと茂ったやさし気な森からは秋の冷気が漂ってくるようだった。谷底には一筋の川が午後の遅い日差しにかすかにきらめいていた。流れる音さえ耳を澄ませば聞こえる。綿雲が森の木々に影を投げかけ、ゆっくりと東に向かって流れていく、詩織はやさしさに包まれて真一の来訪を待った」

このように風景描写を入れると何やら男女の恋の告白めいたものはこの山小屋で行われないといけなくなります。作者は明らかに山小屋のシーンを頭に想定してプロポーズを書くのですが、ちゃんと風景を描かないと、最初の文章になって山小屋などどうでもよくなってくるのです





 風景描写のこつは、何を書けばその風景の全体像を表現できるかを考えること、それとそのときの主人公の心情にあわせること、たとえば上の文章も、もし不安やよくない展開を暗示するなら、窓のそとは大雨で、木々は雨風に揺れている、川は氾濫しているという風にすると、とても分かりやすい。
つまり風景描写というのは実は内面描写なのです。そして風景で内面を表現するのはとても楽しい作業になるのです。
小説を書くときの大きなポイントの一つは風景描写。これが苦手というのはあり得ない。それは世界創造が嫌だというのに等しい。


立原道造の詩を読むと風景だけ書けばいかに内面描写になるかがよくわかります。また大江健三郎であっても四国の山の描写がなくてはギー兄さんの生活はぼやけて来るからしっかり描いている。

 これに人物の動作を加えるともう物語がなくてもそこに小説世界が生まれるのです。

同じ表現を二度しないとか、できるだけ端的に書くとか、登場させた人やものは全部決着をつけるとかは作文の技術であって小説の方法ではありません。
ネットには作文の技術を教える人は多くても小説作法を教える人はいません、なぜなら風景描写は書いたことのない人は問題意識がそこに行かないからです


さて風景描写の名手はヘミングウェイ、わずかに書くだけでパリ全体をイメージさせるあの技術はすごい、そしてトルストイの描写はもはや神業であります。あとは森鴎外の端的すぎるあの文章も見事に風景を描写しています。小説の勉強ということなら通読せずに谷崎潤一郎三島由紀夫や芥川などの風景描写の箇所を集中して読んで研究してみるとよいでしょう。志賀直哉堀辰雄も風景なしで小説なしというのがわかります。
そして鳥や木や川のことを書きたいけど植物や鳥のことを知らないというのであれば、昔は本をかって鳥の本を読み、そこから鳥の飛び方を理解し文章に落としていました。
森を書くには日本の植生をわからなければ書けないからそれを調べる。トルストイ戦争と平和を書いたときナポレオン戦争の本が図書館ができるくらいたまったといいますし、歴史小説の作家はたいていそうです。
小説を書くのに雲のことも知らず適当に白い雲が流れるとか書かない方がいいです。


今はググればいくらでもそういうことが調べられます。

 自分で得た情報、原情報、生情報、それは収集の仕方ははっきりってどうでもいいと思います。
問題はその情報をいかに自分の小説世界に咀嚼して表現するかということですね。この原情報の咀嚼能力が文学的才能でもあるわけです

トーマス・マンはヨセフを書くときにはエジプト学者に、ファウスト博士の時には音楽学者になったくらいの文献を読み咀嚼したとか。



そんな天才は別にしても、山

の風景を描くときに鳥とかかずに百舌鳥とかキツツキとか具体的に書いてその鳥の習性や飛び方などを知るとそれを作中に入れて奥行きが広がりますね。またブナの木の落ち葉はどんな?とか椋は?杉は?とか季節ごとの雲の種類とか、そんな細かいことを作中に咀嚼して入れ込むことが創造ですね。

神は細部に宿る



ハリウッド映画でホワイトハウスの模型を爆発させるシーンがありますが、あの模型はどうせ映像になるのは外側だけだったのですが、(インデペンデントデイ)なんと模型製作は中身のソファーの位置まで当時の知りえるホワイトハウスの中と全く同じように作られていて創作側の臨場感を高揚させたそうです。


また古代ギリシャのだれか著名な彫刻家が、神殿に設置する神の像を、
「どうせ前しか見られないのだから後ろは適当でいいじゃないか」と言われたときに「神々が見ているから」と誰の目にも触れることのない裏側も精緻に作成したとか。.

創作とはこのようなものでしょう。
だから効果を考えて単に鳥といってもいいのですが、小説を勉強している人は、ぜひ、山を書くならそういうことを調べて咀嚼して作中にいれてもらいたいと思います


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