【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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連載小説「あの夏の向こうに」第13話   by古荘 英雄

 

小説と詩の創作と文学エセー

 

今日は三年間で溜まった、イレギュラーな未処理案件を、整理に来たのだった。それは、表には出せないが、社内的にも正規の処理が出来ないという類のものだった。休日に一日取る必要があった。転勤の際には必ず必要な作業だった。

 

  隠匿すべきメモや書類が積もりに積もっていた。一つ一つ今一度内容を確認して、シュレッダーにかけていくのだ。

 

 

 

 

 

 発生した時には悩みの種だったが、転勤する身になってみれば、これらの書類は懐かしくもあり、面白くもあった。一つ一つのファイルが、その時の季節や風景を思い出させ、関係した人たちの表情や声を甦らせた。

 

  たとえば、保険に入る時にもらった満期保険金額を記した説明用のメモと、実際の保険金が違うという苦情があった。その数字がどこから出てきたか、今さら調べようもなかった。三十年前に募集した職員はすでに退職して、おまけに死亡していた。おそらくは、当時の予想配当額を加えた合計額を書いたのだろうが、受け取りは予想より百万円ほど少ない。今さら、金を払えとは言わないが、事実関係だけははっきりさせてほしいと言われたのだが、時間とメモだけもらって、調べようもないのでそのままにしてきた。もうあれから一年半、何も言って来ないからそれほど気にしてもいないのだろうと思った。

 

  柏木はシュレッダーにかけた。

 

 

 

 
 

  また、たとえば幽霊職員と呼ばれる者たちが何人もいた。会社に提出したタイムカードは、柏木が後で細工して作った偽物で、彼女たちの現実のタイムカードは、柏木が保存していた。

 

何かあった時のために取っておいたが、もうこれもシュレッダー行きだった。

 

  また、たとえば表には出さなかったが使い込みがあった。ある職員が月初に集金したお金を、二十件五十万円ほど月末まで会社に入れなかった。ふと弾みでそれがわかって、詰問するとちょっと借りていたのだと言う。ほかにもあるのかと聞くと、前からやっていたことがわかった。最初に二十万円集金したときにそのお金を十日ほど借りた。すぐに返すつもりだったが、中々都合がつかず、次の集金分で取りあえず入れた。そして、それも次の集金分でまかない、さらに次もそうした。そして、そういう風にお金を回し続けて今日に至っている。全体のお金の差し引きがどうなっているかは自分でもわからない。自分は今は機械的に、次の集金分で前の不足分を埋めているだけである、そういう話だった。

 
 

  柏木が計算すると、差し引きで五十万円のマイナスだった。柏木は自腹を切ってそれを埋めて、その職員の給与から、営業経費積立金という名目で月に五万円づつ徴収し十ヵ月かけて回収した。回収後、首にした。その一連の流れを記したメモと関係書類をファイルしていたが、まとめてシュレッダーにかけた。

そうやって、自分の仕事の汚れの部分にシャワーを浴びせる作業を続けて行った。

 

  夕方近くになって、ファイルがあと一つになった時、ベテランの職員が予告もなしに入って来た。彼女は三十五歳の美貌のセールスパースンで、頭も切れるが人の心を読むことにかけてはぴか一で、笑顔はすばらしく男ならくらっとするのは間違いない。こういう人は、殺伐とした職場にあっては、泥沼に咲く蓮華のように貴重で珍しい存在だった。

 

  彼女は、何か仕事をまとめたあとの、ほっとした、かつ充実した表情を浮かべて、仕事用バッグを机の上に置いた。服装は夏はたいがい白のシャツで胸元が谷間になるくらい膨らんでいるので、第三ボタンをはずすと容易にブラジャーの連結部分のあたりまで見える。営業所ではたいていボタンをはずしているので、彼女の近くにいて立って話していると、柏木はどうしても視線がそこに行ってしまう。彼女はそれを面白がっているようだった。

 
 

  仕事用のバッグのほかに、大きな紙袋もいったん机に置いた後、それを持って柏木の所に来た。

 

「所長、最後の最後まで大変ですね」

 

「ありがとう、主任。これからも是非頑張って下さい」

 

「ええ、仕事はもちろん自分のためにやっていますけど、気持ちは所長や会社のために、

 

って思ってますから」

 

  それから紙袋を柏木の机に乗せて

 

「これ、お宅にお届けしようと思ったら、支部の電気がついてたものですから。わたしの気持ちです」

 

  中を開けるとアンドリューカーネギーが使っていたのと同じものという触れ込みのバッグが入っていた。

 

「前々から欲しいっておしゃってたでしょう」

 

「ありがとう。最高に嬉しいです」

 

  

 

本当に嬉しかった。いくらかわからないが、とにかく高そうなそのバッグを、受け取るのも仕事の一つだと丁重に礼を言った。

 

「そういえば支部長が入院給付金の手続きをしたあの漁師さん、歩けるようになったんですって」

 

「そうですか、じゃああの手伝ってた若い人は、果樹園に帰るんですかね」

 

「もしかしたら、そのまま漁師になるかもしれないですね」

 

「どうして?」

 

「あの人、あの家の長男だけど、養子なんですよ。子供ができなくて養子を迎えたら、弟さんがすぐに生まれたんで、どうするんだろうって、街じゃ噂になってたそうです。高校の時は信一さんって人は、養子だということに悩んで、家出してあの漁師さんの家で働いていたこともあるんですよ。実子の方が死んでしまって、ご両親も複雑な心中だろうって、皆同情してます」

 

  またびっくりした。どうしてこんなはっきりとした事実を、麻美や西野は自分に教えてくれてないのか、やはり期限付きの人間とは無意識に距離を置いていたのか?

 

「知らなかったな。なるほどね」

 

  柏木は感慨深く何度もゆっくりと肯いた。

 

「ちょっと目をつぶって下さい」

 

  唐突だったので思わず言う通りにした。そして彼女の唇が自分の唇に触れるの感じた。その濡れた感触もはっきりとわかった。

 

「わたしからの気持ちです」

 

と言ってにっこりと笑うと、本当にきれいで今の行為も実にしゃれていて、握手と何らかわらないさわやかさだけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「妹もよろしくって言ってました」

 

「えっ?」

 

「ラメールのママをやってます」

 

「えっ!そうなんですか。最後の最後にびっくりです」

 

 結構あの店では会社のぐちもしゃべった。支社の連中も誰も知らず、自分だけの店にしていたつもりだった。任期中なら、真っ青になるところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さすがというか、主任、やられたね」

 

「麻美さん、いいお嬢さんですけどね、お二人はぴったりだと思ってましたけど」

 

 彼女は出て行った。

 

  最後のファイルは自分が直接タッチしていなくて、前任者のころのクレーム関係で、そのまま捨てようかとも思ったが、やはり念のために目を通した。

 

  それは、山で死んだ二十四歳の男性の、保険金支払に関する会社と遺族のやり取りのメモと、関係書類の一式だった。会社側が中々保険金支払いを決定せず、自殺ではないかとの疑いを捨てなかったために話しがこじれたのだった。加入後ちょうど一年たったばかりの事故でもあり、はなっからの計画的な自殺、ひょっとして保険金殺人の可能性もあり、などと所見があった。

 

  事故の内容は滑稽なものだった。夏山で頼まれて写真を撮ることになった。アングルの調整のため、後ろにずり下がっていたところ、誤って崖から転落した。

 

  これだけだった。本人が自分の死を認識していたかどうか。ちょっと驚いて次の瞬間には死んだか、それとも、踏むべき足場がないとわかった瞬間に、死を覚悟して、人生のパノラマ回想が起こって、永遠のような瞬間の中で死んでいったか、とにかく滑稽な話しであり、かつそれだけに悲惨な話しだった。

 

  遺族の名前が柏木の胸を刺した。それは柏木の家主だった。そして、この死亡した被保険者の部屋に、柏木は住んでいたのだった。

 

  部屋のクローゼットから手紙が見つかったように、またしても引っ越しのための後片付けで重要なものを見つけてしまった。もっと早かったら、この街にいる間にいろんなことを変えることが出来ただろうに、そんな思いにとらわれ、いたずらに時が過ぎてしまったことが、自分の責任のような気がした。

 

  保険金は最終的には払われた。しかし、遺族側が災害扱いを主張し、通常死亡の倍の要求をしてくるかもしれないという所見があり、そのために、前任者がファイル一式を残していったものらしい、今となってはそれはとんちんかんな杞憂だった。

 

  柏木はそのファイルをシュレッダーにかけた。そして、海を見た。

 

  この海は三年間いつも意識の脇にあった。夕日を浴びて、真っ赤になった海と空が、柏木の胸に迫った。

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