【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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連載小説「あの夏の向こうに」第9話  by古荘 英雄

 

小説と詩の創作と文学エセー

 
 

 本棚が空っぽになったら次は衣装棚の中、再び今度は服をダンボールに詰めて行く。こちらはもう詰めていくだけなので早かった。今、来ている五着のサマースーツと十枚の夏物のシャツ、それと靴下を別にして、さらに夏の私服と下着を残して残りはすべて整理した。

 

  麻美は六畳の部屋に行き、クローゼットの中を確かめるべく、ドアと引き出しを全部開けてみた。

 

「そっちは使っていなかったんだよ。開けたこともないくらいだよ」

 

そう言って柏木が覗き込んでると、麻美が閉めたある引き出しの中に何か白いものが見えたような気がした。

 

「ちょっと」と言ってもう一度開けると、奥の方に白い三角形が覗いている。ほんの二、三ミリの突起のようなものだった。

 

  下の引き出しを開けると何もない、どうやら引き出しの向こう側に落ちているようだった。引き出しを三つとも取り出してみると、床に封筒が落ちてきた。宛名はなかった。

 

何かとても大事なもののような気がした柏木は開封してみた。そこには便箋がぎっしり詰め込まれていた。最初の何行か読んでみると、麻美が言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

宮津さんが、わたしのお姉さんに宛てて書いたものよ」

 

クローゼットの薄暗い中で、麻美とちょっとだけ見詰め合った柏木は、明るい所に持ち出した。麻美はその先を読みたい思いを押さえながら冷静を保った。

 

  ベッドに並んで座り、二人は黙ってそれぞれに読んだ。便箋は全部で十二枚にも及んでいた。多少脈絡のないところもあったが、明るい青色のインクで丁寧に書かれていた。柏木は、自分ならワープロでないとこんな長い文章を作り上げることは出来ないと思いつつ、この文章の主の几帳面さとか生真面目さとかをやや病的に感じた。これだけのことを、文章にするくらいなら、一度飲みに行って話せばいいことのように思えてならなかったのだ。

 

それは不思議な手紙だった。玲子にあてて、自分に関わることすべてを記そうと試みているように見えた。

 

玲子という引力の周りで、自分の生がどのように形成されていたか、養子である兄信一との関係や、果樹園の将来のことや、自分自身の夢や計画や、玲子と暮らすために建てたこの家のことや、その他、思いつくことは漏れなく言葉に変えていた。半生記のようでもあった。

 

 

 

そして、それらが玲子を失ったがためにどのように崩れ去って行ったかも、行き届いた文章で克明に描かれていた。もともとは玲子とは無関係のものまで、大きな中心が消えたがために影響を受けたとされていた。そして、それにも関わらず玲子への感謝と、西野との未来への祝福の言葉がはっきりと刻まれていたのである。そして、自分自身の新しい、未知なる未来への意欲を、感じさせる言葉もはっきりとあった。

 

長い時間をかけて全部を読み終えた。

 

「遺書みたいね・・・・・・」

 

「いや、別れた女におれは大丈夫だって大げさに言ってるだけだよ・・・・・・」

 

柏木にとっては未知の物語だった。麻美にとっては姉の、取り戻せないと思われていた後悔の念を、埋めるかもしれない死者からのメッセージだった。

 

「この手紙、ご両親に渡さないとね」

 

  麻美はしんみりした声で、きっぱりと言った。 

 

  柏木と麻美は、手紙を持って家主を訪れた。

 

 

 

 

  廊下を歩く音が聞こえ、サンダルを履く気配がすると、玄関の戸ががらがらと開く。

 

「あら、柏木さん、またお見えになりましたね。転勤のご挨拶は先ほどいただきましたけれど」

 

奥さんがにこやかに語る影で麻美は少し決まりが悪そうだった。

 

「こんにちは、わたし、佐々木です。玲子の妹です」

 

麻美はぺこりと頭を下げた。

 

「今日、二人で部屋の掃除をしていたら、悠太さんの手紙が出てきました」

 

  奥さんの表情ははっきりと変わった。そして、一瞬言葉を失った。

 

  午前の光に海面がきらきらと輝いていた。空と寸分違わぬ濃い青で、荒れ気味だった。風がまだ止んでおらず、白い波頭があちこちで現れては消えていた。空は高く、深かった。風の動きが雲の早い動きからはっきりと見て取れた。海の方へ下る斜面に、敷き詰められたように並ぶ蜜柑の木々が、小刻みに揺れて、あたかもこの山全体が生きていて、風を受けて身震いしているかのようでもあった。

 

  柏木が手にした手紙に目を落とし、玄関脇の水溜まりに移った青空がきれいだと思った時、奥さんが言った。

 

「とても不思議な気持ちです。その、お手に持たれてるのがそうですか」

 

「はい」

 

  柏木は手紙を差し出した。奥さんは割れ物でも扱うように丁寧に受け取り、封筒から取り出して、ざっと全体を見た。

 

「ありがとうございます、なんとお礼を言ったらいいか。でもこれは麻美さん、あなたのお姉さんにあてた手紙ですね」

 

「姉あてですけど、悠太さんの遺品ですから、御両親にお渡しします。もし、必要があるとお考えであれば姉にはまた後日お渡し下さい」

 

「わかりました、それではとにかく読ませていただきます。」

 

「失礼します」

 

  二人は柏木の部屋に戻った。麻美にとっては少し神経の疲れる対面であった。悠太の両親は、婚約破棄された息子が自殺したようなものだと考えていたので、事故以来、玲子を怨んでおり、当然、麻美に対しても玲子の妹ということでそれなりのわだかまりがあると思ったのだ。

 

 

 

ママはその夜、ラメールを開けるのはやめた。少し風邪気味で、結局開店時間になっても直らなかった。熱っぽかったし、咳も出た。しかし、ことのほか波音が聞こえる夜だったから、しばらくそれを味わってから帰ることにした。

 

波音を聞くために、この店を買ったようなものだった。

 

・・・・・・・・続く

 

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