【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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自作の小説 「ひと吹きの風が語るもの」 第一話

 

 

小説と詩と文学と

 

 

 

 陽一は一人散歩に出た。大勢で泊まったりする時は、自分だけの時間を持つために必ず皆より一時間くらい早く起きるようにしていた。今では体の方が意識していて、勝手に目が覚める。ジャージにティーシャツでスニーカーを履いて出発した。

 

 盛夏とはいえY高原の早朝の空気は冷たい。山道を歩けば細い道がうねうねと続く。鬱蒼と生い茂る草木のトンネルに研ぎ澄ますまされた五感で、その日予定されていたゴルフコンペのためにスイングのイメージを描きながら、あるいは香山本部長のもとで仕事をした二年間の思い出にふけりながら、粛々と歩き続けた。

 

梅雨が開ける頃、かつての上司の香山からメールが届いた。大事な話があるから夏休みにT支社時代のメンバーで集ろうと。場所はT支社時代によく会議で使ったY高原の例のホテル。会議室やOA機器完備の作業室があり、近隣にゴルフ場が五つそろっていて、ミーティングをするにはもってこいの場所だった。

 

追って電話もあった。はずさず必ず来いと半ば命令だった。

 

あの頃も、香山支社長はものを言うとすべてが命令口調だった。そのあくの強い我はしかし不思議な魅力があり、カリスマ的なリーダーとなった。と言っても、そのあくの強さを受け入れるのは部下次第のところがあり、はまらない部下ばかりの時はどなるだけの存在になってしまう。あのT支社の二年間、陽一と米沢と北小路、向井、そして多田にとってはまさにはまりの状態で爆発的な実績が上がった。二年間で上期最優秀賞、下期最優秀賞を連続四回取った。それは会社始まって以来のことだった。各メンバーも、営業所部門の賞は総なめに近い状態で取った。香山は本部長へ栄転し、メンバー一人一人もそれぞれ上昇気流に乗った。

 

当時のメンバーは皆ゴルフが好きだった。ゴルフという楽しみごとを控えて会議をすると、前向きな気持ちになれていい案が出たり、問題に対して積極的な正しい方向性を持った心構えが形成された。そういうわけで当時の会議はY高原のホテルで行われた。そのホテルは、T支社時代を象徴する場所でもあったのだ。

 

この散歩の前日、全員がそろうとホテルの会議室で香山は言ったのだった。

 

「九月に常務会がある。今回は九人の地区本部長も呼ばれている。内容は支社の削減だ。百二十三支社を五三支社に減らすことが決まっている」

 

場がどよめいた。

 

「日本人の役員たちはもうすでに合意している。事実上外資に併合されて以来、向こうの言いなりになってるからな。だが、われわれの気持ちを強く訴えることも必要だと思っている。おれは抗議をするつもりだ。その結果、何も変わらないようならおれが処分されて終わりかもしれない。そうなった時にな。つまりそこまで救い難いほどに気持ちが萎えて外人の言いなりにしかならないんだったらな。ちょっと考えがあってな」

 

 

 

 

 

 

 そして香山は、すでにN生命の友人を通して香山と香山が連れて行くスタッフで、N生命において新しい部署を作るという合意を取り付けているという話をした。常務会で逆転すればその限りでないという条件も飲んでもらっていた。N生命の友人は学生時代からのつきあいで、香山の気持ちを日本人としてもよく理解したし、会社の中で影響力もあったので待ってくれることになったという。その友人は、常務会は結局は外人の意見だけが通ると確信しているらしい。彼は、香山がT支社長だった時にはたまたまN生命のT支社長であったので、香山たちがどれだけの働きをするかを正確に予測していた。さらに、香山が会社から手土産にもっていくと約束したとある業界団体の詳細を極めた膨大な名簿も魅力的だった。その名簿と、名簿に基づいて香山の会社からN生命への乗り換えの営業をする部隊を手に入れればN生命首都圏団体開拓部長のその友人としては手放しで喜べる話だったのだ。

 

皆改めて香山の行動力と売り込みのうまさとに感心した。そしてできれば今の会社に再び魂が入ることを望んだが、それが絶望的である以上、N生命にいくのも悪くないと思った。

 

「秋の常務会の結果次第では会社を辞めるつもりだが、おれに着いて来て欲しい」

 

 皆が香山かららものを頼まれたこれが最初だった。これまでは命令以外に受けた事がない。それでも気持ちよく動いてきた面々である。頭を下げられれば断ることなどありえず、皆同意した。

 

 

 

 

 物思いに耽って歩き続けているうち、どうやら目も覚めて来た。そろそろ引き返して温泉につかろうかと思い始めた時だった。

 

向こうから小さな男の子がやって来るのに気がついた。その男の子は大き目の野球帽を被っていて、遠くからでも目立った。ブルーのティーシャツの胸に、ミッキーマウスの顔が見えてくると、濃い緑色の半ズボン、白い靴、など様子がよく分かるようになった。鼻は子供らしい小ささで、頬にはまだ幼児の透明感がのこっている。多分小学校二年か三年くらいだろう。

 

 こんな早い時間に人気のない山の中を一人で散歩か、と訝しく思い、すれ違いざまに声をかけた。

 

「一人かい?散歩してるの」

 

「ううん。パパに会おうと思って」

 

 そこはたまたま緑のトンネルが途切れており、遠くまで視界の開けた展望スポットだった。

 

「パパと待ち合わせなのかい」

 

「ううん。うちにはパパはいない。でもママがね。心の中にいるから一人きりでいる時なんかはパパに会えるかもしれないって教えてくれたんだ」

 

 陽一はかわいそうなことを聞いたと思った。

 

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