小説と詩の創作 文学随筆エセー
日曜日、昨夜からの不快感でたまった憂さを晴らしに、ドライブに出た。車のドアが重々しく閉まる感じが心を平静にさせる。そして、気分としてはヘリコプターを操縦するように、アクセルを踏み、ハンドルを切る。
この間、裕也とピッチングマシンで遊んだ公園にでも行ってみるかと思い当たり、車を進めた。
日曜日の朝の公園はまだ人が少ない。まだ八時だった。早朝の爽やかな空気。その冷たさは何かの始まりを予感させた。
だが今はぴたりと動かず、ところどころわずかにさざめき立っているだけ、ピーンと張り詰めた冷気は陽一の心を不思議な力で制御していた。
陽一は車を止めて公園をぶらぶら歩いた。朝の早い時間にピッチングマシンでバッティング練習をする裕也が目に入った。ライオンズの野球帽が遠くからでもわかった。遠めに見てると鋭い打球が多い。時折、大きなフライも打ち上げていた。この間と比べて、かなり練習したようだ。声をかけようと思ったら後ろから呼び止められた。
「この間はありがとうございます。あの子、本当に喜んでたんですよ。晩御飯のときもあなたと野球した話をしてました」
「野球が本当に好きなんですね」
「それもあるけど」ちょっとだけ唇を結んで
「そうそう、あの子あなたに遊んでもらったお礼の手紙を書きたいって言ってるんです。住所を教えてくれませんか」
肌身話さず持っている名刺入れから一枚取り出し、携帯と自宅の住所を書き込んだ。
「お礼状をもらったら嬉しい、そう伝えて下さい」
米沢に悪いなとは全く思わなかった。裕也の方へ向かった。洋子はその姿を感謝と悲しみの眼差しで見送った。
「よお、ずい分と脇がしまったな」
裕也のライナーをうまく受け止めながら陽一は言った。
「あ、おじさん。そうなんだ、脇がしまってると腕の力がそのままボールにぶつけられみたいなんだ」
天才かもしれないと思いながら
「あとはさ、ボールをさ、普通は上から叩けと言われてるんだよ」
洋子は陽一と裕也を遠くから見ていた。甲斐が生きていたらこうやって日曜日には公園に来て、親子でキャッチボールをしていただろう。その幻が今そこにあるのだ。
しばらくすると陽一がバットを持って構え、裕也がグラブをはめた。陽一は思いっきり振って大きなフライを何回も上げた。裕也はそのたび、歓声を上げながら取りに行った。さすが大人は違うというようなことを何回も口にしていた。それから、ライナー性のあたりを思いっきり何回か打った。それは大人の男が、フルスイングしたらどんな打球になるのかを確かめているのだった。
父親の存在は子供にとっては大事なことなのかもしれない。洋子は甲斐の思い出につかまることなく目の前の陽一を見ていた。
香山からN生命への手土産となる《名簿》作成について、その打ち合わせため二週間後の土曜日に召集がかかった。米沢は緊張の中にも新しい道の始まりに、満足と期待が交じり合った心地よさが広がるのを感じた。
香山の指定した日は米沢が用意した野球の日と重なった。洋子にまた電話する言い訳がたつと思って早速電話した。
「米村です」
ありきたりの挨拶をして
「野球のチケットの件だけど裕也くんは何て言ってる?」
「あの子はそりゃ行きたがってるわ。でもね、もううちに何かするのはやめて下さい。関係のないあなたからお世話になるいわれはないし、うちにはうちの都合があるから、いきなりピッチングマシーン送ってもらったり、チケットもらったりするのは迷惑とは言わないけど困るの」
今が暇な時期ならこの件で飲みに行こうと逆に誘って、また一歩踏み出せるのだがそんな余裕はない。撤退か。
「悪かった。昔なじみだったから何か役に立てればと思っただけなんだ。謝るよ」
無難な収め方だ、と米沢も久美もそう感じた。
「でもチケットはせっかくだから、プレゼントするよ、使ってくれ」
そういって、二週間後の土曜日のライオンズ対イーグルスの内野席のチケットを手元で眺めた。
「断っても送って来るでしょう、そうでなきゃ三島さんが持って来るんでしょうね」
「その通り」
「気持ちは嬉しいわ。わたしなんかのことを気にかけてくれて」
洋子は電話口で悲しそうに微笑んだ。そのしんみりした雰囲気が米沢にも伝わった。
「じゃあ元気で。もう連絡しない」
「あなたもね」
電話を切って二人ともため息をついた。洋子はせっかくだから裕也には見に行かせよう。できれば陽一に連れて行ってもらいたい。
米沢は洋子のことはあきらめた。とにかく仕事だと思った。考えてみればおれと陽一は不思議な関係になった。おれは香山部長に選ばれて、あいつははずされた。でもあいつは洋子に選ばれて(多分もうそうなるだろう)おれははずされた(これはすでに事実だ)。どっちの立場がいいかと言えばおれは香山部長のほうだ、だからこれでよかったのだ。仕事も女も手にいれることはできない。それにしてもおれのやりかたは正しかったことが計らずも証明されたわけだ。ただし、誰がそれを演じるかによるのだが。おれが考えて、他の奴が演じる、これはうまくいく、俺自身が演じるとあまりうまくいかない。
そしてその日は家で待つ妻への土産に寿司を買った。