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自作の小説「ひと吹きの風が語るもの」第6話

第6話
 

 変な人だなやっぱり、と煙草に火をつけ、煙を吐き出しながら陽一は物思いに耽った。たとえ公のことでもちょっと例外を作って、自分で持っていけばいいものを。

 

 甲斐の営業所と同じような光景があった。がらんとした空間を煌々と照らす蛍光灯。無機質に時を刻むありふれた丸い時計。壁一面を使って張り出された営業部隊の個人成績グラフ。各種営業施策と保険規定の張り紙。一応陽一の個性で作り出した空間。陽一の城と言っていい職場。陽一もまたここにいるとある種の自信を持てるのだった。

 

自分の空間を眺めながら米沢のことを考えた。

 

 やがて煙草を潰しながら、大きく息を吐いた。

 

 おれは明日暇だ。頼まれたことはきちんとやらなくちゃ。まあ、あの少年は素直でいい子だったし、洋子は久美の妹だし、きっと気晴らし以上のものになるだろう。洋子が首をかしげてにこっと笑って「ありがとうございます」と言ったら自分はやはりぞくっとするんじゃないのかな、あの表情は久美そっくりだった、などと思いながら事務所のシャッターを下ろした。

 

 

 

 留守だったら宅配ボックスがある、と米沢に教えられた。陽一はマンションのエントランスに車を横付けした。そしてオートロックの前に立ち部屋番号を押そうとしたが、やっぱり代理の自分が挨拶して置いて来るなんて変だし米沢に悪いと思い直して、宅配ボックスに入れようと決めた。

 

 立派なマンションだった。築五年。エントランスは広くエレベーターに行くまでに中庭のようなところを横目に長い廊下をがあった。屋上には庭園があり、かなたのF市の都心の景観や逆方向の海が見えるという。

 

甲斐が生きていた頃は二人でローンの支払いのために色々苦労もしただろうに、死んでしまえば保険がおりて、あっという間に支払いが終わってしまったのだ。死んでしまえば何のために苦労して生きていたんだ?とさえ思えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

外に出て宅配ボックスを開けて操作が終わって車に戻った。

 

 そこに洋子が二人の子供を連れて戻って来た。どのみちいなかったから宅配ボックスで正解だったなと考えながら、出会い頭だったのでとにかく挨拶した。

 

「こんにちは」

 

「あら、こんにちは」

 

 首を左にかすかにかしげてにっこりと笑う。これは参ってしまうなと思った。これだけの笑顔で不幸な事故で夫をうしなうような貧乏くじを引くなんて世の中わからないものだと思った。

 

「おじちゃん、ぼくのこと覚えてる?」

 

 陽一は裕也の目線までかがんだ。

 

「覚えてるよ、朝早い時間の散歩の途中で会ったからすごくよく覚えてるよ」

 

「おじちゃん、ミカのことおぼえてる?」

 

妹の印象はほとんどない。ホテルのレストランと帰りにパーキングで会った時にちらっと見た程度だった。

 

「覚えてるよ、元気だった?」

 

元気だった?と後につけるのは便利な言い回しだと妙に納得した。

 

「ありがとう。リカはとてもげんきよ。ママにもせんせいにもいわれるよ」

 

 これこれという感じで洋子が娘をいなして居住まいを正して

 

「今日は何か?」

 

 米沢が裕也に誕生日プレゼントでピッチングマシンを贈りたいということだったが、仕事の都合で自分が代役を引き受けた。ついては宅配ボックスに入れたのであとはよろしく・・・ということを伝えるだけなのに、少し照れて焦ってうまくいかなかった。

 

「いや、米沢さんからですね。頼まれて代理でですね・・・ぼくはちょっと宅配に届けただけですから、あの、ピッチングマシンを・・・」

 

「ピッチングマシン!」

 

裕也が歓声を上げた。

 

 余裕のある驚き方で洋子も目を丸くして静かに言った。

 

「わたしは米沢さんに断ったんですけどね。米沢さんからいただくいわれもありませんし、一度に二つのプレゼントを上げるわけにもいきませんし」

 

「ねえママ、ぼくプレステをパスしてピッチングマシンにしたい」

 

「それはわがままよ。プレステを第一どうするの」

 

 陽一は落としどころを見つけた満足気な顔で言葉を入れた。

 

「プレステはぼくが買いましょう。米沢さんが余計なことをしたから、ややこしくなりましたね。後輩として責任持って引き取りましょう」

 

 そういう問題じゃないというようなことを洋子は言ったが、今さら受け取らないというのも、米沢にはともかく隣のF市からわざわざ届けてくれた陽一に失礼だし、裕也にもかわいそうだとも思った。洋子は大きく息を吸って、決心したようにため息をついた。

 

「じゃあそうしてもらいましょう。プレステは本当にいいのね、裕也」

 

 

 

 

 

 

「うん!」

 

「わざわざF市からいらしてくださったんでしょう。本当にありがとうございます」と神妙に言う。凛とした、男の上位に位置する表情で、そこにはまた違う魅力があった。 

 

上がってお茶でもと、社交辞令ばかりとも言えない誘いがあり、社交辞令として断って帰ろうとしてすでに車のドアにキーを挿したときだった。

 

「ねえ、せっかくだからぼくが打つとこ見てってよ」

 

「これ、だめよ裕也、おじさんは忙しいのよ」

 

キーを入れながら言った。

 

「公園はどこ?遠かったら乗ってく?」

 

 

 

 ピッチングマシンで遊べる公園まで歩いて一分だった。場所を聞いて陽一は車から降りて歩いた。洋子たち三人は一旦部屋に戻って仕度を済ませてから来た。子供たちは嬉しそうだった。

 

 公園は湖を囲むように作られていた。芝生の広い空き地があり、ラグビーの練習をしている若者たちもいた。その脇でフリースビーやキャッチボールやサッカーボールのけりあいをしている家族連れがいた。裕也はそういう子供達を見て得意げな顔をしているように見えた。

 

 そのまま持ってきたピッチングマシンを裕也は地面において、プレゼント用の包装をびりびりと破った。若き球界のエースの間の抜けた笑顔が、箱一杯に広がっていた。

 

箱を開け、中身を取り出した。そして準備は終わった。

 

「おじさん、グローブでぼくの打つ球をとってみて」

 

陽一は甲斐の形見と思われるグローブを受け取って手にはめた。

 

「これって大事なものでしょう」と洋子を振り返った。

 

「三島さん、大切に使ってくれそうだから」

 

 いよいよ電源も入って最初の一球が飛び出ようとしていた。マシンのすぐ後ろに立って、陽一は裕也の真剣な顔を見た。やがてボールが裕也の方へスーっと飛んでいった。ほぼど真ん中に入った。ボールの下をこするようにバットが振り切られ、ふわっとしたフライが上がった。それは陽一の正面に来て、グローブになんなんくボールを収めた。

 

「ナイスバッティング」

 

「ナイスキャッチング」と声を掛け合った。

 

 二球目が飛び出た。今度もフライだが高めの球を同じようにこすり上げた。フライは裕也の真上に飛んだ。

 

 三球目。ゴロ。四球目。ゆるいライナー。五球目。フライ。すべて正面に飛び、陽一はからだの前でボールを処理できた。

 

「中々うまいじゃないか。ちゃんとボールを捉えてるぞ」

 

「おじさんの頭の上をこえてみせるからね」そして周囲を得意げな顔で見渡した。よほど嬉しいようだ。

 

 

 

 

 

 

二十分くらい裕也はボールを打ち続けた。半分以上はボールの下をこすってゆるいフライが上がったので、陽一はそれを取ることが楽しかった。ゴロはあまりなかった。そのへんのところは打ち方に癖があるのだろうと思われた。芯で捉えたあたりは数えるほどだった。その場合でも強いゴロとなり、陽一の左右を抜けていった。ライナーや大飛球となって頭の上を越えるあたりは出なかった。

 

見てるとちょっと不服そうだ。ここはアドバイスの一つでも、と思って

 

「最後までボールを見て、頭を残して、特に脇を締めて振りきるんだ」

 

「うん」と大きな声で返事して、アドバイス通りにやってみせた。打球はぐんと伸びて陽一は拾いに走った。中々筋がいいと思った。

 

「そろそろ行くよ」切り上げ時とばかり陽一は言って洋子に頭を下げた。

 

「本当にありがとうございました。あんなに喜んで遊ぶのは久しぶりです」

 

「おじさん、またきてね。ぼく、練習しておじさんの頭の上をこえてみせるよ」

 

「こんどはミカとあそんでね」

 

「わかった、また遊ぼうね、じゃあね」

 

 最後にまた他の家族連れを眺め渡して、裕也は満足げな表情をした。

 陽一は買い取ったプレステを小脇に抱えて公園から立ち去った

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