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自作の小説「ひと吹きの風が語るもの」第7話

第7話
 

 米沢にはメールでプレゼントを届けたことだけを報告した。自分だけの思い出にしたかったのかもしれない。せめてこの土日だけは誰にも話さず余韻を噛み締めていたかったのかもしれない。陽一にとってはそういう出来事だった。

 

その土曜日の夜、バーボンのグラスを脇に置き、プレステのソフトをセットした。ワールドカップサッカーというような意味のタイトルを持つそのゲームは、国別に選手が控えまで丁寧に用意され、戦術やフォーメーションも選べるようになっていた。

 

酒も回ってきて、ゲームも進み陽一の日本チームがイングランドのチームに負けたときだった。メールの返事が来た。

 

 

 

    今日はありがとう。どんなかんじだったか教えて下さい。

 

                          米沢

 

             追伸

 

             洋子さんは喜んでくれたかな?

 

 

 

 何の意味があるのかと、馬鹿馬鹿しかったが一応ピッチングマシーンの金を出すのは米沢だったから、洋子が喜んでいたと言ってやれば満足するのだろうと、それだけを書いて送信した。

 

 

 

 それから米沢と会うこともなく、メールの返事も来なかった。マシン代だけはすぐに振り込まれてきた。少し報告がそっけなくて怒ってるのかと心配もしたが、考えてみれば、米沢が洋子の子供にプレゼントを贈るのは、妻子への裏切り行為だし、頼まれて持って行ってやったのに勝手に妬まれるなどとんでもないという気もした。

 

 というのも考えすぎで、使いこみ発覚依頼調査を続けた結果最悪の事態になっていたのも事実。米沢の営業所の職員は実に三千三百万を着服していたのだった。米沢にはプライベートの時間がなくなったらしい。

 

 着服した金額は二百件近い顧客から小額づつ丹念に掠め取られていた。一件一件が計画的で、ばれないように全体をうまく回転させ、小額だったから、多少ミスがあってもごまかせていたとのことだ。その職員が風邪で休んだ時に代理で集金したことから異常がわかり、そこから徹底的に調べたからわかったようなもので、普通の所長は気づいても調査もそこそこにしてお茶を濁してここまではしない。米沢はみずからの首を締めるようなことを汗だくになってやっているのだった。それは香山の教えに基づいていた。経営には清濁併せ呑む場面がたくさんあるが、金銭に関しては原則のみ、例外はない。それにしても、性来の几帳面さも手伝って一円単位で正確に使いこみ額をはじき出していた。あとはこれに基づいて行動あるのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 香山本部長は抗議のため立ち上がった。会議の前に一緒に立ち上がろうと合意していた他の本部長たちは座ったままだった。本社常務会専用会議室の

 

時間は止まった。

 

 常務会には全国九ブロックの地区本部長も呼ばれていた。

 

社長の横に座っている、四十歳くらいのイギリス人が総数百二十三の支社を五十三にまで減らすと一方的に告げた。常務会といっても今では実効支配する外資の伝達機関に過ぎなかったので役員たちは無言だった。

 

 戦略的な意見具申は一切聞かないとの話だった。会社を破綻させた連中の言うことなど聴く耳持たぬと言う所か、それでも当初直談判に行った有志たちもいたがWHYとNOしか言わなかったという。おまけに社内公用語は英語となり、何か正式な申し出は英語に限るとなり、皆白けてしまった。

 

 すでに優秀な人間もかなりの数が会社を去っていた。六十五支社の廃止はさらなるリストラを要し、大幅なポスト削減はモチベーションの低下を招き、社内文化の根底を変化させる。玉石共に打ち砕くということだろうが、破綻させた責任は真摯に受け止めるものの、いいものは残したいし、それはこれからも強力な武器になりうると信じていた。だから、全く別の会社にするような改革は逆効果だ、そういう話を事前にして香山は抗議の同志を募った。そして他の地区本部長八人は全員話に乗ったのだった。

 

 相手の施策が事前に香山たちに漏れていたのと同様に、この動きも相手に知られた。地区本部長全員が立ち上がり、それに男気を感じた役員全員が立ち上がれば混乱は収まらなくなる。支社廃止の見直しとなる状況を恐れたイギリスのマネージャーは、廃止後の地区本部制度の存続とポストの温存を確約した。香山は鼻で笑ったが他の八人は突然の話に心から喜んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議室の時間が止まったがすぐに動き始めた。他の連中の性根を見切った香山は「これは間違っている。方針もしかり、しかし何より救い難いのはそれを受け入れるわれわれの心構えだ」と場を一喝して席を離れ、イギリス人のマネージャーに近づいた。

 

 周囲は色めき立ったが、香山が手を差し出したので少し落ち着いた。マネージャーも落ち着いて香山と握手した。

 

「あなただけが胆の座った経営者だ。ここにいる他の連中は破綻と共に堕落した。あなたに言いたいのはうちの優秀な社員を引き止めて伸ばす場を確保して欲しいということだ。全員をやめさせようとしているように見える」

 

 そう英語で言って香山は会議室から出て行った。

 

 その夜、香山派の面々は香山からメールを受け取った。

 

 米沢、多田、北小路に届いたメールは

 

 

 

 おれはやめる。N生命に行く。すぐに準備にかかれ。

 

                      香山

 

というものだった。

 

 一方、向井と陽一に届いたメールは少し内容が違っていた。

 

 

 

おれはやめる。N生命に行く。今回一緒に行くのは米沢、北小路、多田の三人だ。軌道に乗ったらおまえも呼びたいと思っている。それまでさらなる研鑚を心がけてくれ。

 

                             香山

 

 

 

 はずされたことの落胆は強烈だった。ディスプレイから目を離しキーボードを何の意味もなく眺めていた。やがて立ち上がり、窓を開けて住宅街の薄ぼんやりした闇を眺めた。目が慣れるに連れて町の輪郭が見えてくる。月が雲間から現れ、煌々と夜空を照らす。どこかで犬が一声吼えた。窓を閉めてテレビをつける。しばらく緊張をほぐしながら、ぼんやりと画面を眺め、頭はあちこちに思いを巡らせていた。裏切られたという思いが胸の底に重々しく沈んでいた。

 

しばらくして米沢からもメールが来た。使い込みの処理に目途が立った時、洋子の上の子を野球に誘ったがまた忙しくなるのでいけなくなる。代わりを頼みたいという内容だった。いったいこの人は何だとあきれた。

 

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