【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

小説を書くための想像力は単なる物思いとは違う|小説家に必要な想像力を「ナポレオン」で考える

小説家の想像力とは?ひとつの例|作家には想像力がないといけない



あたりまえなのだがこれを取り違えている人も多い。絵空事を思いつく能力と、文学創作上の想像力とは違う。この違いがわかるといわゆる自我がにじみ出るような文章も書かなくなる。
これは言葉では伝えづらいでのでたとえば創造のための想像とはどんなものかを挙げてみます。

ナポレオンと言えばだれでも知っています。
フランス革命で混乱したフランス社会に颯爽と登場し、外国の革命への干渉を防ぎ逆にロシアとイギリスを除くヨーロッパ全土を征服し、皇帝にまでなり、最後は戦争に負けてセントヘレナ島で淋しく亡くなります。
さて、ナポレオンのことを想像し、当時なぜあれだけナポレオンがフランス国民から支持を得たかを考えてみたいと思います。もちろん学術的には語りつくされているので、ここではあくまで作家的な想像をするだけです。

ナポレオンが世に出たのはなんと21歳の若さ

フランス革命は1789年に起こりました。1792年には国王ルイ16世とかのマリーアントワネットが断頭台の露と消えました。ところが1794年には革命の首謀者のロベスピエールも断頭台へ。フランスは混とんとしてオーストリアなどが一族のマリーアントワネットの復讐もかねて侵入してきました。

そこでナポレオンが登場するわけです。1793年にツーロン攻囲戦で敵を撃退した天才将軍として一機に皇帝への道を歩み始めます。

わたしが着目するのはナポレオンの年齢です

ナポレオンは1769年生まれ。フランス革命勃発時にはわずか20歳の若者です。

そして世にでたツーロン攻囲戦でさえ、24歳。
そして1804年に皇帝になったときにはまだ35歳だったのです。
そしてナポレオンに付き従った軍隊は昔ながらの国王軍ではなく寄せ集めの革命軍ですから、
みなナポレオンと同世代くらいです。
そして若者たちは後から後からあこがれのナポレオンの元へ結集していきます。

「ナポレオンとその若い軍隊」と表現したことには実際こんな事実があるわけです。
20台前半の若者たちが革命をささえ外国の侵入を防いでフランスを守っていたのです。

さてここからが作家の想像力です


24歳の天才将軍に従う20歳前後の1万人の兵士たちを想像してみてください。

なんという熱狂でしょうか。
おそらくナポレオンが馬で軍団の前を通ると、
ロックコンサートの観客の興奮がこの若い革命軍に沸き起こったことでしょう。
そしてナポレオンのために!と叫んでなんでもやったのでしょう。
この年齢からくる軍団の様子を想像し、
動画の残っていないナポレオン軍の様子を書くことこそ、
作家の想像力です。

ある意味ボヘミアンラプソディーの映画でラストのウェンブリーのコンサートに来た若者たちがクィーンの音楽に従って進軍するようなものです。そこにはクィーンではなくて神がよこしたかのような才色兼備のナポレオンがいるのです。この1790年から1810年までの20年のフランスの熱狂の雰囲気が想像できます。そして没落したのは若いナポレオンも兵団も等しく年をとったからだ、そうも考えられるのです。

これは史実の研究ではなく、革命とナポレオンの年齢からの勝手な想像です。

以上



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未来の記憶 コーアクティブコーチングの未来セッションのビジュアリゼーション体験を詩にしたものです

未来  

その日目の前に黄色い光の帯が見えた。おそるおそる触ってみると光の帯はぼくを包み込み、その内部で見上げれば、天の彼方からまっすぐに地上に差し込んだ光をぼくはさかのぼっているのだった。

やがてぼくの町が眼下に見えた。そこには今のぼくの想念がうずまく。そしてやがて町は点となりいつしか視界は青い地球が宇宙空間に浮かんでいる光景で覆われた。

しばらく呆然と母星を眺める。その全体にはぼくの想念は薄まって無意味なものに思えてただただ生命のための大気と大洋の青さに感嘆のため息をつくばかりで陸地などどうでもいいものに思えるのだった。

やがてぼくの周りには7色の光の帯で囲まれる。ぼくを連れてきた黄色の帯のほかに、ピンクと赤と緑と青と黄緑と紫とが地球を背景に揺れていた。ぼくは何気なく紫の帯に触れるとやはり光は手の中に入り込みそのまま今度は地上に向かってぼくを運ぶのだった。ぼくはその町を見下ろしやがてその町に降り立った。よく見ると天から紫の光が差し込んでいた。そしてぼくはその町のオーラが見知ったものとは違うのだとわかった。

ぼくは目の前のマンションに入り、301号室へ行く。ドアが開き男が出てくる。60歳になったぼくが今日来ることは知っていたとつぶやいて奥に通してくれた。そしてぼくと彼の間に広がる長い長い時を隔てながらなお、本人同士の愛着によって二人は結ばれぼくは彼に尋ねるだ。

「今はどう?」

彼が口を開く。ぼくは聞きたいだろうか?自分の人生の行く末を?しかし元気でなんとかやっているらしい彼の姿からは出てくる言葉が悲劇的とも思えない。しかし彼の表情にある翳りはなんなのだろうか?ぼくには知らない未来の出来事の果てに今彼はこうして笑っているのだろうか。


トルストイの「復活」を再読する それは春が訪れたロシアの大地で踊って歌う若きカチューシャの笑顔から始まる HF

スルトイの復活を読んでいる。

中学1年から2年にかけて読んで以来実に40年ぶいくらいだ。そしてあの頃はほとんど意味がわからず、でもトルストイの小説だからと頑張ってはいたが面白くなく読んでいたので、半世紀近く経った今はじめて復活を読んでいるようなものだ。

今、トルストイが復活を書いたときのように私も年齢を重ねてこの本を読むととてつもなく面白い。思うにこの本を味わうための条件がひとつあるのだがそれはある程度年を取っているということだ。

なぜなら若い時にこれを読むと、本の主旨もトルストイに意図もすべてを超えて冒頭箇所の、ネフリュードフとカチューシャの美しい恋物語に酔いしれるのだが年を取って読むとその素晴らしいタッチが、実は老いたトルストイが青春に距離を置いたからこそのものだとわかる。

 

 

そう思ってはじめてその後の贖罪と神への道がわかってくるというものだ。

なお復活はアンナカレーニナよりも戦争と平和よりも、近代的でとても面白い。もしかしたらトルストイ最高傑作ではないか?などと思いながら読み進めている。

 

anisaku.hatenablog.com

 

 

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女神が歌う舞台の片隅で

【女神が歌う舞台の片隅で】第2稿 12/01/0:46

眠りに入るために灯りを消して、眠りが来るまでの微かな時間、ぼくは夢に先駆けてやって来る「イメージ」を夜ごと目にする。ヒーロー願望や歴史のIFなど無意識の渇望を満たす他愛ないイメージを楽しむのが眠りへと入るドアになって久しいが、その中にずっと昔から時折やってきてはしばらくつきまとうイメージがある。

それは高校1年の秋の文化祭だった。ギターの弾き語りでコンサート出場を目指したぼくはしかし、予選突破のために歌うことをあきらめ、声楽を学んでいるケイコにヴォーカルを頼んだのだった。そして当日、ぼくとケイコは舞台に立ち、ぼくは自分で歌えない分自分のエネルギーのすべてをギターに注いだのだった。最初の曲がはじまり、ぼくがギターを奏でると女神のような声でケイコが歌う。ありふれた古いフォークソングが特別な装いを見せた。それから2曲目の木綿のハンカチーフは一部分だけぼくも歌ったがぼくの声は彼女の声に押し上げられながら昇っていったのだった。それからラストの3曲目はロッドスチュワートのセイリング。もともとぼくはこの歌をやるために文化祭に参加したのだ。あの美しいイントロ部分をぼくがきちんとギターで弾くと、ロッドスチュワートのしゃがれ声の代わりにケイコのソプラノが高校の体育館に響き渡ったのだった。そこでコンサートの空気感は完全に変化した。建物もみんなの心もケイコの歌声に包まれた。ぼくは隣で演奏しながら彼女の顔を覗き込む。この子はほんとに女神なんじゃないだろうか。セイリングのサビへと入っていく。ぼくはゾーンに入って無意識に演奏している自分を気持ちよく眺めている。この瞬間を忘れないと誓いながらセイリングの歌詞をぼそぼそつぶやくように歌う。やがてケイコは両手を大きく広げて最終段の歌詞を発声する。ぼくもそこは一緒に大声で歌う。「We are sailing~~~We are sailing~~~」

夜ごと眠りに来る前にイメージが来る。それは向こうからやって来るのだとしたら、イメージは一生の間、ぼくにケイコを連れて来るのだろう。あれ以来、ケイコがぼくの中から消えたことはない。ぼくは一生の間、高校の体育館に花開いたぼくとケイコの夢の舞台を何度も何度も眺め味わい、繰り返して彼女の声を聴き、上気した彼女の横顔を見つめる。それはぼくの青春そのものだったのだ。

【かなり面白い長編小説の書き出し】量販店「伊豆沖ランド」の倒産記者会見|序章から第二章途中まで

序 嵐の店内放送


「明日は台風19号の影響により、お客様の安全確保を考慮し、臨時休業とさせていただきます」

首を洗う気分で立ち寄った本社から最寄りの営業店の店内に、この放送が流れたとき、山岸はほっと胸をなでおろした。

3時間まえのことだ。

大型台風の来襲に店を開けるか締めるかで、伊豆沖ランド株式会社の法務部長である山岸は、社長に相談を受けていた。

社長は大手量販店である伊豆沖ランドの二代目でマスコミ受けしか考えない困った二代目であった。

「山岸部長、店を締めるのと開けるのとどっちが目立つかな?」

「開けたらお客様の役には立ちますが来店中にけがをしたらたいへんです。死んだりしたら店さえ閉まっていれば死なずに済んだと訴訟があるかもしれません」

「嵐の中、真夜中でも空いてる伊豆沖ランド!マスコミが讃えて放送しないかな?」

「でも海岸通りにある支店などはほんとに死人がでるかもしれませんよ」

「それは自己責任だろう」

「そうなったとき社長がテレビカメラに向かってそういった瞬間株価が暴落しますよ」

「では閉店の理由を告げるのに法的に完全に言うとどうなる?」

山岸は少し考えてから言った。

日本国憲法で保障された移動の自由と購入の権利を駆使して来店したもかかわらず、お客様が当店の都合で私は買えなかった、そのため窓ガラスの補強ができずそのため割れたガラスで全治2週間の大けがをした、そのようにお客様が主張されることを回避するために

また

お客様が自由意志により、憲法にのっとって当店に来る選択をした結果、怪我をすることのないようにお客様の安全のために閉店してます。したがって外出における怪我の責任もそれによって生じた室内での怪我への責任も当店は負いません。憲法とも矛盾するものではありません」

社長はご機嫌になった

「どうだろう、そのまま発表したら。受けるだろう」

「・・・・・・」

社長は秘書と広報担当の部長を呼んだ。

そして何やら指示している。

「有意義な話し合いだったね、山岸部長。もう帰っていいよ、台風だ、君もご家族のそばにいたまえ」

伊豆沖ランド株式会社は二代目のあほ社長がマスコミ受けをだけねらって動いてる後ろから、先代からの番頭である海村専務が実務を仕切っていた。そして二代目社長の言う通りにした結果、会社に損失を与えた社員は専務に飛ばされるか首にされていた。社員は平から役員まで社長のあほ回路につきあいつつ、専務の鬼軍曹ぶりに対応できなければ生き残れなかった

今日まで気をつけていたが店内放送で

日本国憲法にもとづき・・・」

と流れたらおれは首だなと山岸は鬱々と三時間を過ごしたのだった。

社長に指示を受けた広報部長が全店舗にメールを打つべく原稿を読んでいると大型台風を心配してうろうろしていた鬼専務の目に留まった。そして瞬く間に原稿は破り捨てられたのだった。

そして山岸はモーツァルトでも聞く気分で何度も流れる店内放送にうっとりしていた。


「明日は台風19号の影響により、お客様の安全確保を考慮し、臨時休業とさせていただきます」


第一章 第一話|量販店「伊豆沖ランド」の倒産記者会見 


 おれは20年、伊豆沖ランドで死ぬほど働いた。肉を切り魚をさばき自転車を修理し、水を運び、釘を運び、カーテンを仕入れ、ゴミ箱を仕入れ、おばあさんにトイレの場所を教えおじいさんがレジで5分かけて823円を財布から取り出すのをじっと待ってやった。

 おれは学校をでて伊豆沖ランドの新入社員研修で自衛隊入間基地で2泊3日の体験入隊をして軍隊の行進とベッドメイクを学び、富士山登山をして、自転車で静岡から東京まで漕いだ。

 研修後、仙台に赴任し、以後青森に赴任し、盛岡、秋田、山形と、東北の主要都市を一年おきに転勤したから同期の間で付けらたあだなは「伊達政宗」だった。

 俺の本名は山台直人だったから、まるで山形と仙台出身の両親がいるようだったから仙台と山形の両方を踏破したときは大笑いのネタにされたものだ。下の名前の直人もおやじがタイガーマスクが好きだったという理由でつけられていて、あれは伊達直人だから、伊達が東北に絡むわけだったので、俺が東北周遊の転勤をして伊達政宗と呼ばれることにはいろんな皮肉やからかいも含まれていたのだ。

 伊豆沖ランドでの20年、おれは20年分の体験をした。つまり凡庸に生きてきた。同期の中には30年分の体験をして出世したやつもいるし50年分の体験をして、もう若死にしたやつもいる。寿命だけは、競争してはだめだ、はやくもなく遅くもなく適当にやり過ごすのが一番だ。

 さて入社20年目のこの秋、会社は倒産した。

続く

 

第一章 第二話 

20年働いた伊豆沖ランドが倒産した。そして二代目社長は全然気にしていなかった。彼は資産20億を持っている。おれなら、7回生まれ変わっても暮らせるお金だ。

同期の総務課の花屋根によるとこうなったら記者会見で世の中に謝るしかないと嬉しそうに話していたそうだがまさかほんとに記者会見をするとは思わなかった。

都内の某有名ホテルの一室に記者が50人も集まった。いとう伊豆沖ランドは有名な会社だからワイドショー向けになるのだが、俺たちの不幸がワイドショーになるのかと思うと店舗内のテレビを破壊したくなる衝動に襲われた。

さておれは10台の売り物のテレビを電気掃除機でぶったたいて破壊してそのまま店を出た。そして記者会見場に入った。伊豆沖ランドのテレビコマーシャルでも有名なユニフォームを着て。


司会者の花屋根が言う。

本日は弊社の云々~~~~~~

そして社長が話し出す。

ゼニアのスーツに赤のネクタイ。温和な二代目の表情で、静かに語りだす。楽しそうだ。

記者「今回はインドに一気に1000店舗出店してぜんぜん流行らなかったのが原因での倒産との話ですが、経営責任について、また見通しの甘さについてはどうお考えですか」

社長「父の代からの専務が独断専行で決めたのですが(嘘をつけ、専務の反対を振り切ってお前が決めただろう)結果については私が責任を負うつもりです(過程もプロセスも途中経過も発端もみなおまえの責任だろう)」

女性記者「潔くて武士みたいですね。社員の方々になんて言いますか?」

社長「いたらない私についてきてくれて(いや、誰もついていってなかったぞ)ありがとう。専務に気を使いすぎて(専務が先月死んでから一気につぶれていったな、会社は)暴走をとめられず申し訳ない気持ちでいっぱいです。できるだけのことはしていきます」

こんな調子で社長の記者会見が続いていたら信じられたに光景が目の前に広がった。

足のない専務が空中に漂いながら「うらめしや~~~」とつぶやきながら登場したのだ。

人類史上初の、テレビに映った幽霊である

第一章 第三話|伊豆沖ランド倒産の記者会見   

おれはテレビを叩き壊した電気掃除機のスイッチを無意識に押した。電気のつかない掃除機とはほうきのことか?ほうきを掃除機を言ったやつは知らないが。

とにかく掃除機のスイッチをおして専務の幽霊に向かって突進した。おれは今やNHkのテレビカメラにさえ写されている。桑子キャスターがあの端正な唇で夜の9時に、

「伊豆沖ランドの社員が電気掃除機を片手に記者会見に乱入しました」と記事を読む姿を想像するとファイトが出た。おまけに朝には和久田麻由子アナも「社員の男が電気掃除機で専務の幽霊を吸い込みました。掃除機にはテレビのガラスや部品が付着していたとのことです」と言ってくれるんだ、きっと。

おれは専務の幽霊を掃除機で吸い込んだ。

専務が消えると記者たちの拍手を浴びた。社長は自分より目立ったおれを睨みつけて首だと叫んだ。

「はっ?どうせ倒産だろう?」

「いや首が先だ」

わけのわからないおれたちの会話の隙に専務の幽霊が掃除機から脱出した。

そして社長に取りついたようだった。

社長は再び席に座った。そして立て板に水のように話し出した

驚くべき内容だった


第二章 第一話


その頃、偽装葬式をやって会社に死んだと思わせた先代からの重鎮、湯船専務はちゃんと日本の足で歩いて、エルトン・マーキュリーのインドカレー店で、キャバ嬢の船越美紀と社長秘書の船越紀子と三人で特製インドカレーナムライス特盛セットを食べていた。

この姉妹は美人だが姉は社長の愛人で妹はエルトンの親戚の愛人だった。

エルトンの親戚はインドでの伊豆沖ランド1000店舗進出作戦の現地総責任者で名前を

フレディ・ジョンと言った。

湯船は二代目の伊豆沖洋を失脚させるために一世一代の大芝居を撃ったのだが、それは湯船がこの船越姉妹の祖父であったから可能な話だった。


最初にエルトン・マーキュリーの店でフレディ・ジョンと名刺交換したときは、二枚の名刺を眺めて「からかっていますか?」

と得意のサンスクリット語で質問した。すると流暢なタミル語で返事が来て

「我々はインドのアーリア人から滅ぼされたアーンドラ朝の末裔だからサンスクリット語はしゃべらない」

とグーグル翻訳ソフトがAI音声で訳してくれた。


「インドに伊豆沖ランドを展開したら成功間違いなしです」フレディが日本語で言った。

「きっとガンジス川で水浴びしている人も伊豆沖ランドに来るでしょう」

「どうして?」と湯船が聴くと

スーパー銭湯のすばらしさは身をもって体験したよ」

とフレディは答える。

「伊豆沖ランドは大量に紙や木や機械を売る場所であり風呂屋ではないぞ」

湯船が言うと

スーパー銭湯の専務だから湯船さんという名前なのかと思った」

とエルトンマーキューリーまで言う始末。

「いっそスーパー銭湯を1000個作るか」

「そしたら私たちもインド旅行に行くわ」

エルトンとフレディが口を揃えて美紀と紀子に言った

「泥の中にでもあると思っているのか、インドのことを」


その時湯船は壮大な失脚計画が頭の中で渦巻くのを感じた。


第二章 第二話|ついに物語はAI的に自己増殖をはじめ作者もどうなるかわからない

その頃、山台は屋台でおでんを食べ乍らスマホをいじっていた。

読者はその頃とはどの出来事に対してその頃かといぶかると思うが、その辺は追及してはだめだ。その頃というのはもう時間軸が崩壊したからこそ使う言葉なのである。

ネオンを見ながらホットウイスキーを飲みながらこんにゃくと大根を食べる。熱い。

今日はキムヒソンに写メをもらった。彼女は釜山在住の夫に死別した韓国人である。出会い系でしりあって2週間。とうとう写真をゲットしてみたらこれが嘘みたいに美人だ。おれもついに運が向いてきたかと、得意のサンスクリット語で返事を書いた。伊豆沖ランドでは湯船専務が開催するサンスクリット語会話を楽しむ会というサークルがあって山台は東北転勤時代に暇つぶしにマスターしていまではリグヴェーダが原語で読める、なんて話はただの嘘である。

ヒソンは42歳。韓流ドラマで社長のグラスに毒を入れてひそかにテーブルに運ぶような、そんな顔つきの女だった。

日本人と再婚したいという。理由は、日本での永住権がもらえるからだと。できれば日本海沿岸の長崎から福岡のあたりに居住する日本人と再婚して釜山と日本をクルーザーで行ったり来たりしたいという。おれだって、釜山の妻と福岡の妻との間をいったりきたりしたいが、おれのあだ名は伊達政宗だ。それをやるなら秋田とウラジオストックの間を行き来してロシア人とつきあうしかないが、韓国人とロシア人と言えばどちらも専門のバーがあるくらい女性がきれいだ。

そんな妄想にふけりながら おでんを食べていると突然屋台の隣で男がギターを弾きながら歌いだした。

どこからどうみても福山雅治だった


第二章 第三話|伊豆沖ランド倒産記者会見 


おれが屋台でホットウイスキーツーフィンガーで飲みながら、ヒソンにできたらちょっと妖艶な写メを送ってくれとラインの翻訳ソフトを使いながら入力していると、いきなりおれよりも格好のいい男が歌い始めた。

どこからどうみても福山雅治で、桜坂を見事に歌った。おれよりうまい。

拍手して道端に置いている缶の中に100円入れた。

すると俺も知ってる小夜というスナック「小夜」のママが福山を呼びに来た。そして痴話げんかを始めた。福山雅治と痴話げんかができるなんて幸せな女だ、おれにとっては小夜ママは色気を感じないのだが、福山には女なんだろう。

おれはこの桜坂をヒソンに送った。するとヒソンがハングル文字で送ってきてlineが翻訳して文字になったのは

「あなたの方がかっこいい」だった。

お世辞でないことはわかった。おれもそう思っていたからだが俺の場合は、不遜にも負けを認めたくないかそう思いたいだけでヒソンの場合は、日本の永住権のためならなんでも言おうと思っていたのだった。

夜は更けていく。屋台のおやじがいつのまにかいなくなっている。今日はラグビーワールドカップで日本がスコットランドに勝ったから飲みに行くんだとおれに屋台を預けて仲間と湯船美紀のいるキャバクラ「雪女」にいった。雪女は毎年冬に客が店内で一人死ぬというロシアンルーレットのような店だった。

おれはスコットランドでもイングランドでもアイルランドでもなく伊豆沖ランドの社員だった。

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文学的創造における自我と普遍的自己 NA

文学的創造における自我と普遍的自己~Oさんのつぶやきから~

①「君の別れの言葉が頭の中でいつまでも舞い落ちる

でもやがて青空を背景に凛として裸の樹木が立ち尽くす時が来る

そのときは生きる意味が枯葉に覆われても

新たな意味を天に問いかける矢として

ぼくの魂は樹木中に乗りうつるのだ」


という文章をOさんのつぶやきのコメント欄に書いた。

自我ではなく普遍的自己を示しているとも書いた。

ぼくの感想、ぼくの心情を書いているのだがこれは自我ではない。この文章をわたくしが書くときとても多くのことを客観的に吟味したからだ。

それは言葉を整えるという作業に由来する

推敲であれ初稿であれ、文字にするとき言葉を整える。

上の文章を自我で書くとこんな感じになる。

②「ぼくは悲しい

落ち葉を見ると君の別れの言葉が舞ってるように見える

道を枯葉が覆うと生きてる意味も隠される」


これは単純に目の前の光景に自分の感情を、それも恋愛という単純な感情をかぶせただけである。景色という鏡に自分固有の感情を映しただけである。

一方①の文章はまず目の前の光景があって、それを舞台にして、想像の世界が作られている。そして恋愛感情を示す別れの言葉が落ち葉になっているシーンから、裸木となった樹木の力強さを詩的創造によって作り出しているがこれは目の前の光景を詩的に発展させているのである。


そして生きる意味が落ち葉に覆われるという自我のつぶやきを昇華させて、葉は落ちても本体の幹と根は青空を背景にそこに凛としてあると語ることで、もはや目の前の光景と現在の感情という即物的世界から、詩的想像で発展した世界と、詩的想像で拡大した感情が創造されているのである。

***********************

自我から普遍的自己へ至る道がつまり文学的創造なのである。文学によって、言葉を創造することによって、思考も感情も世界も文字通り拡大深化するのである。

ということでこのことをサブローさんも古荘さんも語っているわけでわたくしも語っているのである。

とくに詩作品において、投稿されるものは目の前の出来事や景色や体験や、思い出などを鏡に今の感情を書いてるだけのものが多い。それはまだ文学的創造の醍醐味を知らないままに作られた自我のお菓子のようなものだ。

本当の創造はおいしいお米のごはんを炊き上げることだ

秋を見つけた日に  NA

秋を見つけた日に

✳️

それは山の中にいた

すすきが細やかな影を作る道を

揺らめく夢となって風が吹き抜ける時
それは街の中にいた
ビルの上を通りすぎる大きな雲が
遠い場所へ人の心を誘う時

それは思い出の中にいた

ある朝目が覚めて

懐かしさとともに青空が目に飛び込むとき

人々の心がそれを作り上げた

共に紅葉を眺め

共に心地よい空気を吸い込み

共に虫の音に聞き惚れ

共に夕日の赤を追いかけるとき

秋は共同体の中に生まれた

秋は幻想として生まれた

秋はそこにいつのまにか

立っている

世界は秋一色に染まっている

秋以外にもう何もない

秋はそこに

住むものたちによって成り立つ

山には栗を拾うリスたち

やがて間もなく

雪に覆われる夜のために

巣を作る狐たち

森を食べ続ける熊たちがいる

街には憂えと恐れの上着を着た

男たちと女たちがいる

雲の上には

そんな人間たちの憧れと夢がいる

そして過去と未来の中には

人生がいる

秋の中に

人々は夏の癒しを見て

冬の憩いを見る

秋の彼方に

私はいま

何を見ているのだろうか?