【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

日本語はメジャーな言語

日本語は

古く

多様で

漢文化と西欧文化を咀嚼したことで

筋金入りのものすごく発展した言語になっています。

世界の中でともすればマイナーな言語と思われがちですが

使用人口で世界ベスト10に入っていたと思います。

さらに 15世紀には人口でいえば、
中国語、アラビア語、ヒンズー語、そしてその次が生活言語としては日本語だったと思う。まだ英語もスペイン語もマイナー過ぎる言語だった。

さらに奈良時代でもペルシャ語と中国語とラテン語の残像の次くらい。

世界のメジャーの言語なのです

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小説の合評会というものについて HF

合評会について① 修正版

わたしは福岡の文芸誌らむぷに10年所属して20編の小説を書いた。会費3500円と年に2回の出版のたびに3万円ほどかかったので半年で5万円ほどになる。そして出版すると半年に一度の合評会が5時間くらい行われた。

一人あたり30分から1時間、重箱のすみをつつくように、酷評うずまく時間であった。そして攻撃と反論で喧嘩まがいの討論にもなった。

いろいろあっても「らむぷ」出身の高樹のぶ子片山恭一の存在がものを言って、ここで修行すれば作家になれるかもしれないと皆が思っていた。

特に高樹のぶ子の場合は、らむぷに掲載した「 光だく友よ 」が送付した群像で群像新人賞を取り、そのまま芥川賞まで取ったので、今回掲載した自作がもしかしたら群像新人賞か文学会新人賞を受賞するかもしれないとなどと思っていた。当時、出版された同人誌はあらゆる文芸雑誌に送付しており、雑誌がわでもざっと目を通していたのである。


合評会について②修正版

さて、私は「らむぷ」時代の10年間で、半年ごとに5万円かけて自作への批評を忌憚なく言ってもらったわけである。そりゃあもう、腹が立ってなぐってやろうかと思ったことも何度もあったが、結果的には、仲間や先輩たちの罵詈雑言のおかげで、文芸誌の新人賞の予選を突破したり、福岡のラジオに作家として出演したり、新聞で地元日曜作家と紹介されたりするレベルまで腕があがった。結局そこまでの才能でしかなったが、明らかに腕は上がった。みなあの酷評の嵐のおかげだと思っている。

才能は多くの人に埋もれている。取り出して磨きをかけるかどうかは自分次第である。間違ってならないのは、人のアドバイスを素直に聞かないといけないと勘違いすることだ。

まず自分は天才であると思ってないと罵詈雑言は聞けない(笑)

しかしアドバイスは聞かないと腕は上がらない

ここで大事なのはアドバイスを聞くと言う姿勢ではない。

自作への批評眼の鍛錬である。批評眼さえあればこれはいまいちだとわかり、人から言われたことがその時わからなくてもやがてわかる。

というようなことでありまして、批評されるというのはそれだけ欠点がわかりやすいから修正すれば一気によくなるということでもあります

辻邦生で文学を学ぶ  海部

文学を最速で学ぶ方法は辻邦生の文学エッセイを読を読むことです。小説とは何かが完全にわかる。その上で偉大の長編を一つ読む。それで理解を実感できる。






 特にこれを全部読んで理解できたら文学がくっきりと見える


これを読むと小説とは天地創造なのだとわかる。もっともわかりにくい概念は次のようなものだ

作者が窓ガラスを書くまでは窓ガラスは存在していない。

窓ガラスがあってそれを言葉で説明するのではない。文学創造とは作者がその窓ガラスを言葉によって作り出しているのである、というような概念です。
服装や表情や風景を書くことを余計な作業と感じて、ひたすら会話と内面描写を書きたくなるのは、まったくつまらないことだというのが、よくわかります

文庫本もある アマゾンで売ってる


これらは文学を学ぶつもりでないと難解で読む気がしなくなります。日記とはいえ文学論日記です。難しい人はこれからです


わたくしは永遠の書架を読んだことがある。あちこちいつも読んでいたからたぶん50回通読したくらいは読んでいる。なのでこの本の中身は骨肉化している。文学批評的にはこの本が肉体化している

ちなみに最初に紹介したパリの手記シリーズはとてもむずかしいので実は気に入った箇所しか読んでいない。あと辻邦生にはこれがある。これを読むと辻邦生の評論文章は難解だというのがよくわかる。わたくしも半分も理解できなかった。ヘミングウェイの作家としての姿勢がわかったのとディケンズは偉いということくらいしか読み取れなかった


考えてみたら辻邦生は哲学的思弁が大好きで語学勉強が趣味という秀才。その知性でルールにそって小説を書くから面白い。だが作り物感がどうしても出る。漱石や鴎外や北杜夫の自然さがない

ところでこれらの評論をマスターしたうえで辻邦生の短編を読んだらとても分かりやすい。本人がいうところの理論で書いた物語だから短編の書き方が手に取るようにわかる










その少年   海部

その少年

これは随筆ですから。(笑)


  1

むかしむかしのことだった

海を越えたあるとこに

何をやっても

ほんとにだめな

とろくてまぬけでそれでいて

言い訳だけは哲学的な

そんな少年がいたんだと


野球をやればマウンドで

相手チームがヒットの山

バットをもって意気込むも

バットは空を切るばかり

アメフトやれば正面の

キックのチャンスも転ぶだけ

勉強すれば教室で

ミスター・昼寝があだ名となって

起きてる時でも先生の

指名に答えたこともない


  2

そんな彼も成長し

いつしか就職活動に

やっぱりどこも不採用

さすがに少しはがっくり来たが

気を取り直して決心した

こうなったら漫画家だ

元々漫画が大好きで

漫画を描くときすべてを忘れる!!

きっと神様みていてくれて

わざと就職だめにした


それから毎日楽しみながら

せっせと書いては出版社

どれもこれもがゴミ箱行き


  3

さすがに彼も気が付いた

生まれてこのかたなにかをやって

うまくいったためしがない

よしもう死のうと思った時に

せめてぼくの思い出を

みんなに知ってもらおうと

自分のことを書いてみた

*************

野球をやれば下手くそで

アメフトやれば馬鹿にされ

勉強できない 就職できない

女の子にももてないし

飼い犬からさえなめられる


ミスター・シュルツが自分を書いた

その少年の名前こそ

「チャーリーブラウン」なんだって。

だからその飼い犬の名前こそ

スヌーピー」だったんだって。

一通の電子メール~学生時代の同級生の女の子が40台半ばで子供を残して亡くなった時死後友人たちにメールが来た F

1通の電子メール


あれはもう15年も前のことだ。

学生時代の友人から電子メールが来た。彼とは東京と福岡にいても時たまメールで近況報告する仲だったので、いつもの変哲もないメールだと思った。

私は軽い気持ちで何気なく読んだ。


「私の人生を彩ってくださった皆様へ」

と書かれている。

なんだ?これは?

「人生、長さじゃなくて質だと思うことにしました。充実した人生を送りました。心は晴れ晴れです。ありがとうございました」


友人の言葉がそのあとに続いていた。

「○○さんが3日前に亡くなりました。彼女のご主人から彼女の最後の言葉がメールとして発信されていて、できるだけ多くの、彼女にかかわった人たちに届くようにしてくださいとのことなので、送ります」


私たちと同級生の彼女は享年42歳。上の子供もまだ高校生だった。

私は彼女をはじめ多くの親しい人たちの死を見送ってきた。一つだけ言えることは、孤独な死はどこにもなかったといことだ。

当時私は彼女の知人の末端に位置していたからどこにもメールを転送しなかった。だが、今、遅まきながらこうして拡散させていただいた。この文章を読む読者は彼女を知らない人ばかりだが、きっと彼女も喜んでくれると思う。


【創作のためのデッサン】「夏の風とともに」

 

一回に「ワン パラグラフ」の連載小説。時々多めに。

 

「 夏の風とともに 」

 その年のビーチは暇だった。8月になっても梅雨が居座り続け気温だけが上がって行った。

 峯健司のバイト先の「海の家」も毎日ぱらぱらの人出だった。時給は変わらないからとても嬉しかった。

 住み込みで働くリゾートバイト、いわゆるリゾバでT市の海岸に滞在して1週間になる。食費も宿代も出て、バイト代ももらえる天国のようなバイトで20日の予定だった。昼は旅館の経営する海の家、夜は旅館の仕事だった。

 

「 夏の風とともに 」

 

海のすぐそばにいつもいる。曇り空ばかりの夏。海は空を映し鉛色にうねる。バイトの20日間に2回休みをもらいその最初。時間は夜明け前。ぎっしりと財布に詰まった一時間という名の紙幣。ここに来るには理由を持っていた。理由を作り、理由をバッグに入れて理由とともにこの海岸に立っている。

 
 

曙はない。鉛色の雲が漠然と全体として見えるようになる。爬虫類のような夜明け。隔絶された生活と本当の生活。

 

戻る場所がなくなったかもしれないこのリゾバプロジェクト。気になったのは猫のペーチャ。人間のことなどどうでも良い。

 

ビーチに海の家の椅子を出してそこに座る。明るくなってうねる波。かもめもいない。何もない。薄暗い光のような膜にとらわれて視線の置き所もなくうつらうつらする。

 

 

 

 

一回に「ワン パラグラフ」の連載小説。時々多めに。

 

「 夏の風とともに 」③

健司がこのリゾート・ビーチランドに到着したのは早朝だった。

 

海面には午前の日の光がキラキラと波と一緒に揺れていた。旅館のあてがわれた部屋に荷物を置いて、昼の職場の海の家に向かう。午後から海の家の仕事に入る前、海の家の定食を食べた、リゾバは食事がオール無料なのでメニューはおまかせだった。

 

 
 

仕事開始までの40分をさっそく砂浜で過ごした。と言ってもぶらぶら歩くだけだ。カモメが飛び、波音に交じって遠くセミの鳴き声が聞こえる。

 

夏の太陽の熱線を海風が穏やかに覆うかのようだった。

 

そもそもは、と健司は思った。俺はここで焦土と化した自分の心を、満潮がゆっくりと砂浜を覆い隠すように、何かに覆われたいと期待してやってきたのだ。

 

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【SF小説の創作ノート】滅亡からの旅立ち|第一章第3話<ツキヨミの姿>


 宇宙艦ができるまでは月面基地に一端設置されたコンピューターミカエルは探査艦ツキヨミの設計と製造のほぼ100%を請け負った。製造器具に内臓されたコンピューターもみなミカエルソフトであった。

ミカエルはツキヨミの動力に重力牽引装置を作った。これはアースが発明したものを転用したのだった。

 原理はこうだ。


 宇宙船の前方に重力場を作る。宇宙船の質量とのバランスで規模と距離はミカエルが計算した。そしてその重力場が空間に、坂道を作ることになる。

 アインシュタインの有名な重力モデルがあるが、平面におもりを置くとそこがへこんで、坂ができる。惑星の公転は太陽というおもりが作ったへこみを、ぐるぐる回っているということだ。

 重力場を重くすると、へこみは坂ではなく崖のようになる。すると亜高速で宇宙船は飛ぶ。

 ちなみにこの重力場が究極的に重くなるとブラックホールとなるのだ。

探査艦ツキヨミは目の前にできた重力の坂道を延々と転がり続けることで移動する。そこに地球の空を飛ぶための工夫は一切不要だ。翼も流線形も空気を利用する装置だが宇宙空間では役に立たない。

宇宙空間の高速移動の問題点は「宇宙のちり」=宇宙塵との衝突や亜高速時にぶつかる分子の影響により艦が傷むこと、そして他の恒星からあびる宇宙線だった。地球では太陽線をバンアレンタインが守っている。なければ生命は死滅する。

 ミカエルは、ツキヨミの表面を実際の小惑星から採取した岩石で覆って、それを衝突するものと熱線からの盾とした。そうしてできあがったツキヨミの形は「月」にそっくりだった。大きさは日本の琵琶湖ほどであった。

 惑星や衛星の球体は、生命を運びながら宇宙空間を飛翔するために最も合理的な姿なのであった。

月そっくりの宇宙探査艦は当たり前のように「月読」と命名されたのだった。(続く)


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