【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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【SF小説の創作ノート 出だし部分】宇宙探査艦月読命(ツキヨミノミコト) 第一章 第2話 太陽膨張論と二つのコンピュータ【海部】

宇宙探査艦月読命(ツキヨミノミコト)


第一章 第2話 太陽膨張論と二つのコンピュータ

 スーパーコンピューターミカエルは、各国が誇るAIのすべてをつないだ時に現れたスーパーAIアースを宇宙船用に改変したものである。

 アースは限りなく脳に近く思考するようになった。というのはランダムとカオスを認識するということであるが、これまでのコンピューターが言語と数字で思考していたものを、言語の代わりにイメージをそのまま二進法に還元することができた。イメージは言語の数百万倍の情報を持つ。したがって、あらゆるシーンで映像と動画を使って瞬時に思考するアースは通常のコンピュータの一億倍の威力を持つとされた。

 そしてそのネットワークであるアースをさらに情報集約したものがミカエルであった。

 ところでアースの思考から、太陽の膨張が209年後に始まり、そこから10年以内に地球表面の温度は500度になることが判明したのである。

 残されたの200年。現在の技術ではまだ人類の移住は不可能。ここにおいて人類は二つのプロジェクトを同時進行させた。人はツキヨミの任務だ。

 もうひとつは地球そのものを人工的に移動させることだった。それはアースが受け持った。

 ミカエルは宇宙探索だが、アースの任務は困難を極めることからミカエルは絶対に失敗は許されないのだった。

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【これは本格SF小説のちゃんとした出だしだ!】宇宙探査艦月読命(ツキヨミノミコト) 第一章 第一話 ツキヨミとミカエル 海部

宇宙探査艦月読命(ツキヨミノミコト)

第一章 第一話 ツキヨミとミカエル

スーパーAIコンピューター「ミカエル」は声を無限に持っていたが、司令室では2種類を使い分けていた。

宇宙船 「ツキヨミ」の運行については女性の声で、未知との遭遇や緊急事態や戦闘に際しては男性の声がそれに加わる。それぞれ特定の声で統一されていた

千人の乗員が運航のための仕事に費やす時間は、いつも二つの声と一緒だった。が、それ以外の自分の時間には、ミカエルの声は人それぞれの、様々な要望に応じて無限の変化を見せるのだった。

ツキヨミの大きさは淡路島ほどであった。あるいは琵琶湖ほどであった。

アメリカと日本とEUで作られた宇宙委員会に、中国とロシアが参加して、月面基地が3年かけて建造された。その後そこで2年かけてツキヨミは建造された。もっともその前にミカエルを作るのに日米欧の共同作業で10年かかっていた。ミカエルの能力でその後の作業をしたから、後の作業は5年で済んだのである。

正式名称「地球艦隊所属宇宙探査艦月読命(ツキヨミノミコト)」は、表向きには包括的宇宙探査の名目で出港して1年が経過していた。本来の任務は別の太陽系で人類の移住できる場所の探索だった。もちろん太陽光線のなかの成分や、大気や土中成分などから完全にある星の生命体が別の惑星に移住できる場所などはありえない。ガラスドームと科学設備を使って、エネルギーの補充を受けつつその設備が半永久的に維持できる場所の探索ということだ。同時に、ツキヨミ型の艦で、恒久的に人間が暮らせるかの実験でもあった。

太陽系で地球の生命が存続できる時間はあと200年ほどだということが証明されてしまったのだった。(続く)



【創作のためのデッサン】『旅人の物語』第3章<馬車で薔薇の家に着く>

旅人の物語 第3章 「馬車で薔薇の家に着く」




 馬車の移動は夜行われた。

 体を休め、眠っている間にウィーンからアルプスへの旅も終わろうとしていた。

 馬車の窓から上空が紫色に染め上げられるのを眺めた。もう何度も太陽のもとで歩き、夜になると憩いの時をもった山々が連なる。荘厳な眺めは新たな一日を告げているがまだ鳥が鳴く前の時刻だ。いつまでも残る明の明星にこれからの人生の幸運を祈った。

 そして薔薇の家に到着したときに、ちょうど太陽がアルプスからその縁を出した。神々のスポットライトを浴びて薔薇の家の庭に降りた。薔薇の家の男爵がみずから迎えてくれた。小鳥がさえずり広大な庭も新たな日をはじめたところだ。

「ようこそ、ハインリヒ。あなたはついに家族の一員としてここに戻ってきましたね」

「ありがとうございます。最初は雨宿りにやってきて、今は晴れ渡った夜明けにまた参りました」

そして二人はナターリエの近況を話しながら屋敷の中へ入った。

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旅人の物語 第3章 「馬車」① 第二稿 海部奈尾人

旅人の物語 第3章 「馬車」① 第二稿

馬車の移動は夜行われた。

体を休め、眠っている間でさえ、船と同様動き続けることができるからだ。太陽のもとで歩き、夜になると憩いの時をもち、あまりのも遠さのため目的地を考えることなく、いつも翌日の天気を気にするだけの徒歩の旅と違い、馬車の旅は目的地を射程距離にもつ。もう土地を自分の足で歩き、頬を流れるそよ風とも無縁の旅となった。

夜の窓からは星々が見えた。天の川の荘厳な背骨に感嘆し、北斗七星とカシオペアを意識して北極星を確かめ続ける。だが馬車には馭者がいる。馭者への信頼せ確かなら北極星を無視して、さそり座とそのアンタレスを眺め、冬には白鳥座に物寂しさを感じたりもできる。

夜明け前の1時間、夜から朝への転換の時間を何度馬車で過ごしたことだろう。あの頃は多くの人がその時間に目を覚ましたものだった。

遠くの山の上空が紫色に染め上げられるのを人々は、起き抜けの眼で毎日眺めていたものだ。

そして私は馬車の窓から、いつまでも残る明の明星に新たな一日に幸運を祈ったものだ。また新たな太陽の一日が始まる。

だが雨の日でも、地平線まで続く雨雲が荒野を半ば湖のように変えてもやはり新たな一日は始まるのだった。

ギリシャ神話の彼方に  第一章 第一話 辻冬馬

ギリシャ神話の彼方に  第一章 第一話

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夏の太陽を見ると古代ギリシャを思いだすのは、ギリシャ人の生まれ変わりだからではないのか?

遠藤光司がそう思ったのは小学校6年生の夏休みだった。あの頃は、ギリシャ神話の印象が強く夢に出てきたものだ。そして屋根の上の太陽や森の中に差し込む光線や、海面に揺らぐ光の道のどれを見てもギリシャ神話の舞台の一つに感じられたのである。夏休みの読書感想文でギリシャ神話のことを書いているうちに生まれ変わりの発想がふいに現れた。

やがて成長して、ギリシャ悲劇を読み、ホメロスを読みプラトンまで読むに至って、自分はあの世界にいたのだと確信を強めていった。

歳月が過ぎ、30歳の誕生日に紹介された若い女性のヒーラーの家で、精神の中をかき回された。

そして自分もヒーラーも同じ映像を見た。エーゲ海に沈む夕日、葡萄酒色の海からの風に心地よく目とつぶっている。

ヒーラーは言った。

「間違いない。あなたは古代ギリシャ人の生まれ変わりです。それもどうやらホメロスその人の生まれ変わりです」

馬車 海部奈尾人

馬車


まずは歩いた。するとそよ風たちが頬を流れるのだった。

最初の旅は急ぐ旅でもなかった。鳥が空たかく丸を描いて飛んでいた。時々立ち止まって大きく空気を吸い込んだ。


それから馬車の時代が来た。馬にまたがり駆けるものもいた。私は、馬車に揺られて次の駅なるものを向かう。だがこの旅も急ぐものではなかった。ただ遠くに行く旅に変容していたのだった。

窓からは頂きに雪をかぶった山々が地平線近くに連なっているのが見えた。あの山の向こうにも世界が続くが今はすぐそばの草の影に、アリたちの行列を眺めてんとう虫の羽を眺める。

私の旅はいつはじまったのだろうか。

どこかで、誰かに、何者かに、出会うはずだと言われたこともある。歩いてたどり着かなければ馬車でとばかり馬を取り換えながら進んだが、いったいどれほどの違いがあったろうか。

いつしか馬車道ができあがり荒野には人と馬があふれてくる。雲の薄い膜を通して太陽がさす。荒野は薄暗い世界に代わり、やがて雨が来た。

地平線まで続く雨雲たち。

そんなときでも私は馬車に乗ってずっと次の駅へ進んでいるのだった。

函館の花火大会|大学3年の時の北海道旅行

 1982年の夏。 

 あれはまだ青函連絡船が北海道と本州をつないでいた頃のことだ。

 まだ国鉄が全国の鉄道を管理しており、地域ごとに周遊券という切符が発行されていた。

 20歳の私は仲間と北海道の周遊券を購入し、これで2週間、普通電車なら道内を乗り放題の権利を得たのである。

 さすがに東京から青森までは特急に乗った。

 当然新幹線はまだない。

 そして夜中に青函連絡船に乗って目が覚めたら函館港に到着。生まれて初めて北海道の地を踏んだ。

 

 そこからは強行軍だった。

 積丹に行き、襟裳岬に行き、稚内樺太の島影を見て、旭川近くの旭岳に行き、姿見の池を見た。釧路湿原に行き、礼文島に行き、札幌でジンギスカンを食べてビールを飲みまくった。

 要するに2週間以内にできるだけ多くの場所に行くというのが目的の旅だったのだ。周遊券様々だったのである。

 

 そして最後の夜は函館で過ごした。

 青函連絡船が夜中に出る前、函館山に車で登った。

 そして函館の花火大会を見た。

 花火は普通見上げるものだが、函館山からの花火は見下ろすのである。

眼下に広がる函館の夜景は100万ドルの夜景と言われていた。それを背景に花火大会の美しい光の花がちりばめられ行くのだった。

 

 そのときの気持ちはなんとも形容しがたいものだった。

 こんな美しい場所にはいつまでもいられるわけもない。そんな風に感じていたと思う。

夏の函館の花火と夜景がひと夏の夢なら、この青春の旅も青春そのものも人生の夢に過ぎない。移ろい去り行くものだ。いつまでもいられるわけがない。

 

 私は函館が織りなす光の舞踏を見ながら「さらば青春に光」と格好よく呟いてみたのだが、今でもそのことをよく覚えているのである。

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