1982年の夏。
あれはまだ青函連絡船が北海道と本州をつないでいた頃のことだ。
まだ国鉄が全国の鉄道を管理しており、地域ごとに周遊券という切符が発行されていた。
20歳の私は仲間と北海道の周遊券を購入し、これで2週間、普通電車なら道内を乗り放題の権利を得たのである。
さすがに東京から青森までは特急に乗った。
当然新幹線はまだない。
そして夜中に青函連絡船に乗って目が覚めたら函館港に到着。生まれて初めて北海道の地を踏んだ。
そこからは強行軍だった。
積丹に行き、襟裳岬に行き、稚内で樺太の島影を見て、旭川近くの旭岳に行き、姿見の池を見た。釧路湿原に行き、礼文島に行き、札幌でジンギスカンを食べてビールを飲みまくった。
要するに2週間以内にできるだけ多くの場所に行くというのが目的の旅だったのだ。周遊券様々だったのである。
そして最後の夜は函館で過ごした。
そして函館の花火大会を見た。
花火は普通見上げるものだが、函館山からの花火は見下ろすのである。
眼下に広がる函館の夜景は100万ドルの夜景と言われていた。それを背景に花火大会の美しい光の花がちりばめられ行くのだった。
そのときの気持ちはなんとも形容しがたいものだった。
こんな美しい場所にはいつまでもいられるわけもない。そんな風に感じていたと思う。
夏の函館の花火と夜景がひと夏の夢なら、この青春の旅も青春そのものも人生の夢に過ぎない。移ろい去り行くものだ。いつまでもいられるわけがない。
私は函館が織りなす光の舞踏を見ながら「さらば青春に光」と格好よく呟いてみたのだが、今でもそのことをよく覚えているのである。