ぼくは詩もよく読みます
昔 高校生の頃から40代半ばに至るまで
福岡市にあった「パルナシウスの会」という詩の同人誌に参加して
約20年に及んで 年に3~4本の詩を発表していました
だから詩とは読むのも書くのも長いつきあいです
参加していた同人誌の「パルナシウスの会(」以下パルナ)では
毎月一度集まって掲載作品の合評会をやっていました
(そのあとは近くの居酒屋に飲みに行ってましたね これが楽しかった)
そこで思ったのは
詩を読む行為で一番良いのは 5人から10人くらいで朗読しあうことだ!
と いうことです
1人で黙読
1人で熟読
1人で音読
1人で書写
という風に対象に深く入っていきますが 一人の限界もあります
合評会での朗読会
合評会で詩を読むと不思議なパワーが生れます
合評会がはじまり
ではこの作品は〇〇さんが朗読します
と担当の人が朗読を始めると
他のメンバー 5人から10人が真剣に聞きます
真剣に聞かれるから朗読者はより真剣に読み
より真剣に読むし 他の人が真剣に聞いているから
1人1人の朗読への傾聴力はいやがおうにも増して行きます
そうして作られたその空間の
場のエネルギーみたいなもの!
そんなエネルギーは一人では作れません
その作品に集中する仲間の気のようなもので満ちてきて
詩とひとりひとりが一体化するのです
それはもう自分で書写をして詩を読んだとしても
追いつけない集中と詩空間の世界に身を置くことになるのです
ということでゲーテも同じようなことをゲーテとの対話の中で語っています
「戯曲というのは仲間内4~5人で 一緒に朗読するのが一番だ」
文学が自宅で一人で読まれるようになったのは
産業革命のあと 小説芸術が勃興してからの話です
もともとはどこの文化でも 複数集まって 声に出してともに味わうものが
詩であり戯曲でした
ということで詩を本当に理解したかったら
朗読会は必須です
その体験がないと詩とのシンクロ体験があいまいなままで きっと終わっていることでしょう