<祭り|地球上のどこであろうと人がいる限りそれはあり続ける>
地球上のどこであろうと
どんな宗教を信じていても どんな言葉を話していようと
山であろうと海であろうと そこに人間がいさえすれば
そこには祭りがある
森!
そこにあるのは森という<共生のシステム>だと
21世紀の科学が見つけた
1本の木は自分を犠牲に他の木々へ昆虫が押しかけぬよう
自分に引き付けるための粉末を気体にして噴霧するという
また
高い木々は生まれたての木々に地下の菌ネットワークを通じて
光の栄養を分け与える
他者である菌が森中の木々を地下で結びつけているというのは
メタファーに満ち満ちた生命本来のありかたではないか!
そんな森に入るとそのシステムの荘厳さに人は厳粛な気持ちになり
それを神さびた森として崇め敬う
そこにはきっと人をおとなしくさせる化学物質の噴霧さえ
行われているのだときっとやがて発見される
神々は不死だが 地上の生命は死ぬ
子供なのに死ぬ
若者なのに死ぬ
子供を産むときに死ぬ
子供を育てているときにも
成長したわが子の顔を知ることなく死ぬ
いったい いつから人は年をとって病院や家のベッドの上で
安らかに死ぬものだと思い込んでいったのだろう
死の縁は無量なりと 親鸞の時代にはすでに喝破されていたのだ
だからこそ
すべてを忘れあきらめ 受け入れ
再び 明日へ向かうために
祭りが行われる
始原の祭りはいつだったことか
その日 誰が どんな気持ちで
祭りをしようと言い出したことか!
火山が夜陰を引き裂き 神が怒ったかのような
音響と熱量を地上にもたらしたあとか?
大洪水が築いたものと結ばれたもののすべてを押し流していったあとか?
冬の日の雲が 溶けて舞ってくる白い華が
美しくやさしく大地を覆い続け
残酷に食料のすべてを閉ざしたあとに訪れた春の とある一日だったか?
祭りとは
生き残ったものたちの
安堵と感謝と悲しみと
死者への記憶との結婚の場だったのかもしれない
だからこそ
歌い
踊り
酒を浴び 太陽を浴びる
地球上のどこであろうと
どんな宗教を信じていても どんな言葉を話していようと
山であろうと海であろうと そこに人間がいさえすれば
そこには祭りがある