【ブログ版】世界の名作文学を甲論乙駁|名作の紹介と批評と創作

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境界の村で

境界の村で                古荘英雄

 

灰色の海面が大きくゆっくりとうねっている。うねりとうねりがぶつかる所では白い波頭が生まれ、沖合いのあちこちに数多く踊っている。うねりはそのリズムの中で、定期的に岸の方にも来る。それはそのまま岩場にせき止められ、あるいはしぶきを上げ、あるいはそのまま岩の隙間に流れ込んで行く。徐々にではあるが確実に水の陣地が増えて行く。

謙二が立っている大きな岩も、あと二、三分もすればすっかり水の中だ。世の中のごたごたのすべてを一日の終りに覆い隠す海の働き。この境目は、謙二の中にも同様の区切りを築くようでもあり、謙二は潮の満ちる様をすぐそばで見るのが好きだった。

秋は深まり、夕暮れ時は世界の滅亡を思わせるほど物悲しかった。こんな村が未だに日本に残っているのだなと、赴任当事はその事実に対しての驚きがあったが、やがて慣れてしまってみれば、それはすでに残骸にしか過ぎないことに気づく。

ともかく仕事中は仕事が最優先であり、心の端っこにすら紅葉の赤のひとかけらも印象を落とさないよう、謙二は心がけた。

 この村は路地ばかりで車は入れない。海岸線に沿って唯一の車道が走っているが、それはまるで村の外壁の跡のようなもので、しかも離合するのもやっとで、おのずと国道から、その通称海岸通が枝分かれするあたりの空き地に車は停めることになる。

 ここへ来るたび、謙二はまずは波打ち際に下りて海を眺める。そして自分の立った岩場に水が来ると、茶色の重い鞄を提げて村へ入る。

 車で通ると県道沿いの狭い集落に過ぎないが、歩いてその中に入ると、確かな世界を感じるのだった。

 村は大半が老人世帯であり、じわじわと一人になる者が増えていた。毎月一度、五年間通い続けたから、人の生き死にの話にも数多く接した。その都度死亡保険金やがん保険の給付の精算手続きをして来た。

人々は毛細血管のようなあぜ道を、ゆっくりと、ゆっくりと歩いた。人間という動物は本来これくらいのスピードで動くものだと妙に納得できるリズムだ。それはそのリズムの時にこそ、太陽の光の微妙な揺らぎや波音のかすかな変調や、植物が頭をもたげ地に帰る様を体感できるからだろう。感覚に訴える世界の調べはこれほどまでに多彩であり、何を今さら退屈しのぎに文化や芸術が必要になるだろうか。壊した分だけ埋め立てているだけなのだということがよくわかる。

それもこの村によそから来た者の感想であった。

密集して建っている家々の屋根にはあちこちに猫がおり、転寝をしたり、じゃれあったり、けんかしたり、屋根から屋根へ飛び移ったり、二階の戸の隙間や、古くなって破損してできた壁の穴から自由自在に家の中へ入ったりと、この村では猫という動物は屋根に住むものだと思えてしまう。謙二はこの村の猫が好きだった。猫がかわいいというのも単純な理由の一つだったが、それよりも猫がこのように暮らしている間は、村は続くのだということがはっきりしていたからだった。

そんな村の中を謙二は東京のオフィス街を歩くかのように歩いた。

よく通る大きな声で謙二は挨拶したものだ。

「こんにちは」 

「おや、東洋さん、今日も元気じゃね」

「鈴木さんからいつも元気を分けてもらってますから」

 腰がそろそろ直角に曲がろうかという鈴木さんとすれ違いながら、相手の十倍の声で話す。

 道端の雑草が謙二の勢いで吹き飛ばされそうになる。猫たちは下界で何が起ころうと、まるっきし関心がなさそうに、欠伸をしている。

 当初から概ね老人たちはゆっくりとにこにこ挨拶してくれたが、謙二の元気が近付くと、苦しげに顔をしかめる者もいた。異なる時間のリズムとオーラを撒き散らしながら闊歩する謙二は、彼らには完全なよそ者だったのである。

 謙二は大きな木造家屋の前で立ち止まった。訪問する前には、玄関先で息を整え、それから呼びかける。この村にはチャイムを鳴らすより、鍵のかかることのない玄関ドアを開けて、大声で呼ぶのが礼儀にかなうやりかただった。

「中山さん、こんにちは。東洋生命の大木です」

 物音が消え「はーい」と返事がする。しかし、声のした場所から玄関までは距離があるらしく、足音がやっと聞こえて、徐々に大きくなった。

 やがてお金を持って七十半ばのお婆さんが現れる。

 見慣れた光景だった。お婆さんはニコニコ笑って玄関先に座っている。その、海風に吹かれ、さらにまた時の風雨にさらされてきた顔は、人間の誇りとして刻み込まれた皺で覆われていた。髪は後ろに上げているが、皺にふさわしい白であり、いたずらに黒く染めようとはしない。黒っぽい灰色の着物に白い前掛けをしている。

 玄関は六畳くらいの土間に、腰掛けるのにちょうどいい上り段がある。謙二はそこに腰掛けて玄関から上がったところの六畳の和室を眺めた。何に使うでもなく、他のすべての部屋につながる要のような空間だった。

 謙二は受け取ったお金を数え始める。106万6438円。いつもちょうど用意してくれる。

「じゃあ、領収証です」一枚ではなく、六十七件の保険の、一件づつにつき一枚渡す。それは会社のコンピューターがあらかじめ打ち出し、毎月同じ日に全国に一斉に送られてくる集金用領収証で、謙二は自分の印鑑だけ最後に押せばよかった。お婆さんの家の分のみならず、この村で入ってもらった人は皆お婆さんに保険料を払いに来るのだった。それをまとめて謙二が預かる。違法行為であるが、不正が混ざらない限り最も効果的なやり方だった。そして不正の入る余地はないと謙二たちは認識していた。

 もともと、この村の集金は営業職員時代にこのお婆さんがやっていたが、定年退職で後輩に引き継いだ。が、その後輩がすぐにやめてしまい、その後引き継いだ新人もすぐにやめてしまった。それで、大事なお客さんだし、先祖代々親しい人たちだから、営業所長自身で集金してほしいとのたっての申し出があり、謙二の前の所長からそういうことになった。

「勇太郎君は来年一年生ですよね」

「ええ、早いものですよ。この間こそ生まれたと思ったのに」

 ニコニコ顔のままお婆さんは答える。

「お兄ちゃんみたいにやんちゃっ子になったら、また親の苦労が増えるでしょうけどね。今日なんか修一は隣の漁師町に遊びにいってね。港で大変なことしたんですよ」

「と、いいますと?何かいたずらでも」

「いたずらっていうことでもないんだけどね。港で漁師町の子どもたちがね、発泡スチロールで人一人乗れるくらいのいかだを作ってたんだって、それで一人づつそれに乗って港を一周してたらしいんだけど、その子たちは水に落ちても泳げるし小さいときから港にはしょっちゅう飛び込んでたし、ずぶぬれになっても走って五分もすりゃ家に帰り着けるからね。面白がって掛け声出しながらはしゃいでたんだって。それで、修一が来たときお前もやれよと勧められたらしくてね」

「恐々と港の中を一周したんですね」

「ああ、それだけでも怖かったろうね。あの子はちょっとしかまだ泳げないからね。でも見栄っ張りだから」

謙二はお婆さんが孫の話をするのが好きだ。謙二自身は関東の郊外で生まれて、周りは何の変哲もない住宅街で、池袋まで一時間弱電車でかかるところで、どこかに行くには必ず池袋を経由したから、池袋というのも特別な地位をしめてはいたが、日常的には買い物は近くの大きなショッピングセンターに行くだけだったので、何の変哲もない住宅街が幼年時代の宇宙のすべてといってよかった。そこは猫の額のような公園でも息抜きにになるようなコンクリートに固められた人口の街だった。

お婆さんの孫の話は、興味深かった。港を発砲スチロールの筏で一周するなどと、なんといううらやましいことだろうと思う。それは子どもにとって、楽しいだけではなく、全神経を研ぎ澄まし、運動能力と度胸のすべてを使う大冒険だと容易にわかった。そのとき、どれだけ緊張しても、一生記憶に残る体験として、途方もない充実感を味わえるのだ。

お婆さんの話は続いた。

「それだけならいいんだけどちょうど帰ってきた漁船があってぶつかりそうになって、あわててよけた漁船の罵声と大波でいかだは転覆してね、何とか自力でへばりついて陸に上がったときは友達は皆逃げてて一人で漁師に怒られて腹をたてて帰って来たんですよ」

 残酷な子どもというのは普遍的な存在だ。エゴイストですぐに徒党を組んで正義の前から逃げ出し、人身御供を置きたがる。こんな卑劣な存在からちゃんとした大人に昇華するわけはないから、やっぱり人類に精神的な進化は起こらない。

「前にもあの子は濡れて帰ってきたことがあるんですよ。ドッジボールがグランドから転がって海に落ちてね、投げた修一のせいだからって皆が取って来いってはやし立てたんですよ」

「小学校は海のすぐ隣なんですよね。このあたりは本当に海ってものが生きてく時にいつもそばにあるって感じですよね」

 お婆さんはゆっくりと頷く。頷くことを知っているからこそ、頷いている途中なのだとわかる、そんな速さでゆっくりと頭が動く。

 違う種族の動物だとまで感じることすらある。

「そのときのことを作文に書いたらほら、この学校の文集に載ってるんですよ、よく書けてるって」

 謙二はざっと読んでみた。

 

 

捧げもの                    中山修一

 

 ぼくの大事な思い出を、何かはわからないけど心の中の一番大事なものに捧げます。それは目を閉じると広がり深まる闇なのだけど、その奥の方か、その向こう側に何かがあるって、小さい時から感じてました。最近ますますそこに何かの気配を感じています。もう少しでその何かと会えるような気がしています。それはぼくがいろんなときに、ぼくが生きてるっていうことを感謝する相手なのかもしれません。

ぼくの大事な思い出というのは出来事というよりは「もの」です。

晩秋の朝の光の中、小学校のグランドから車道を転がり、その下の海に落ちたドッジボールのことです。誰も取れないほど強いボールを投げるぼくは、普段から敵方には嫌がられてました。その日も結構相手にぶつけてたし、やられた方は意味のないくらい強く投げる奴だとぼくを恨む人もいたし、ぼくの強いボールが抜けて海に落ちた時、ここぞとばかり皆がぼくを責めたのも気持ちはわかりました。ぼくは責任を追求され、ぼくはそれを拾いに行かねばならなくなりました。知らんふりができたでしょうか?

喧嘩するか従うか、そこまで相手を追い詰めたらいけないと思います。喧嘩できない人は、従いたくないとき逃げるしかなくなるからです。その日だけならいいけど、学校そのものからだったり、この世から逃げてしまう人もいるのだから、だからこそ、そんな時にはやし立てたらいけないし、見て見ぬ振りをするのも同罪です。ぼくは喧嘩をすれば一対五まで勝つ自信があるから、余裕で敢えて従いました。でも、あのはやし立てごっこはこれから先、絶対にしないほうがいいです。したらぼくはその人たちをなぐります。これだけは言っときます。誰が誰を何の理由でなどと話し合いません。ぼくが見かけたらそのままなぐりかかっていきます。

ともかくその日、ぼくはボールを追いかけて学校を出て車道を越え、その下のわずかな砂浜に降りました。そしてまだ波打ち際に浮いていたボールに手を伸ばしたけど、わずかに届かずにそれはだんだんと離れていきました。その時すごくあせってまずいと感じました。たった五センチくらいの差だったのが、二メートルくらいになったときの情けなさといったらありません。取りに行け、取りに行けと皆が道の上に一列に並んではやし立てていました。

やがてぼくが膝まで水につかって、ボールとともにさらに歩を進めようとした時です。先生の大声がぼくを止めたのでした。

その時、海は青く水蒸気が見えていました。ボールが朝の光に波とともに揺らめき立ち、穏やかなひと時でした。ぼくはすっかり海の美しさに打たれていました。そしてボールを見つめました。もう十メートルくらい離れていました。

あれは生きたボールとの別れだったのだと思います。二、三日もすればいろんなごみの流れ着くあの浅瀬で、見かけるだろうけどそこではものはもう死んでいるのです。あのときあそこでぼくら子供たちと別れていくボールは、ものとしての寿命を終えようとしていたのです。

午前の光が海面にきらびやかに反射していました。その輝きの中で、ぼくたちの心が染み込みぼくたちを映していた、ものとしてのボールは、ぼくたちのはるか遠くへ、海のかなたへ、「生きている」から「死んでいる」の境目のかなたへ、未来へ 、ゆっくりと沖へ向かって旅を始めたのでした。

 そのあとで、ぼくは先生に叱られ母に叱られ、はやし立てたクラスの人たちは何のおとがめもなく、やっぱりこうなるんだと思いながら、誰にも文句を言わず一日を過ごしました。怒りよりボールとの別れが美しすぎて、思い出が壊れてしまうと思ったからです。

 でももう思い出は、この作文を書いたことでぼくの中の大事な何かに捧げられました。だから皆に言います。あんな風に大勢で友達をからかわないこと、誰かやってたらやめるように言うこと。一人一人が気をつけるべきことです。もし誰も気をつけなければ、ぼくはさっきも書きましたけど皆をなぐります。時にはぼくが負けるでしょう。でもぼくはなぐり続けますから、人を大勢でからかうときはぼくとの喧嘩を覚悟して下さい。大勢だから安全で楽しむだけだと思わないでください。先生にも親にも、一人でからかえばしかられるけど二十人ならおとがめなしだと計算しないでください。

ぼくは戦います。思い出のために、未来の友達のために、今この時、そこにいたくてたまらない場所から泣く泣く逃げ出してしまう人たちのために。

 

 謙二は穏やかに尋ねた。

「学校でいじめがあるんですか」

「友達が転校したさきでいじめられて登校拒否になったって聞いてショックを受けてたからね。思うところがあったんだね。いい作文ですよ」

 五年生の文章には見えなかった。きっと強い思いが大人びた、統一感を生んだのだろうと思った。ただ東京の小学校でこの文章を文集に載せる教師はいないだろうとも思った。暴力反対と一部の親が騒ぎ立てる。多くの親がそう思っていなくても、声高に主張する一部の人に世の中は引きずられるのだ。

「先生も立派ですね。この文章を文集のトップに載せるなんてですね、でもこの作文のせいで今日はずぶぬれになったのかもしれないですね」

 にこにこゆっくり頷く。

 心配していないのだ。結局は大人になってすべては体験として昇華するのだと、悟っているのだ。大人になれないほど弱い血統でなければ、あとは何もしなくても大人になるのだ。七十年を越えて生きると、植物的な思考になるのか、それともこの村に住んでいる人の特性なのか。

「ところで勇太郎君の同級生はこの村に何人いるんですか」

「子どもは減ったからねえ。たしか・・・・・・」

そして一人一人の顔を思い出しているようだった。思い出そうと努力するおばあさんの顔は頬の皺が縦に伸びきり水路のようだった。

「二人しかいないね。わたしが学校に上がる時は二十人くらいはいたけどね」

「みんな学資保険に入ってもらうといいですけど」

「わたしから言うときましょう」

 そして思い出したように付け足した。

「天戸さんとこの長男が今度結婚するのよ。まだ保険に入ってないからね。この間ちょっと奥さんに保険の話したから、今日でも行くといいよ。長男は市役所で働いてる」

「いつもすみません」

 ありがたい情報センターだなと思う。お婆さんは所長をよこせと言った代わりに実によく情報をくれる。それも半分話をつけてくれている。先祖代々のこの村の保険に関わるすべてを仕切っていると言って良い。それだけに途中でやめられては困るので所長という立場のものと接しているのだった。

 それから入院中の年寄りたちの噂を聞いた。誰がどんな病気で入院中で、誰はもう危なくて誰それは退院できるがもう一人暮らしに耐えられず、老人ホームに入る予定だとか、大阪の息子のところに行くのだが泣いて村に残りたいと訴えてるとか、老人世帯の生き死にと、体力の限界のあと、人生の最後の場面の展望とか様々に話しを聞いた。謙二はいつも思うのだが、この父祖の霊に満ち満ちた故郷を離れ、生まれてから七十年以上住み続けた村を離れ、人生の最後を縁もゆかりもない場所で送ることになるのはとんでもない不合理な話しだ。何かが間違ってしまって修正できなくなったのだ。

 父祖たちの霊を収めた墓場も、村はずれの山のふもとから中腹まで広がっていてそこは日常使う道でもあり、どの墓がどの家の墓で、最近の葬式のあの人はあそこに入ると、子どもでも知っていたのだ。謙二にとっては全く驚異的な話だった。

それから十軒の契約先を廻って、その途中郵便局長とすれ違い、ライバルとして軽く頭を下げあうが、向こうは貯金ももらうから中々同じようにはやれない。

最後にお婆さんに紹介してもらった天戸さんの家に向かう。

 もう日は暮れていたが、西の空には夕焼けが、不気味などす黒さで残っていた。烏の最後の一鳴きが広場に響いた。夜が告げられたのだった。

 玄関前でゆっくりと長く息を吐く。そして一気に吸い込む。さらに続けて大きく吐き出す。訪問前の儀式だった。

 玄関ドアを開けようとした時

「こんばんは」と、謙二の脇をすり抜けて、高校生くらいの女の子がドアを開けた。そして「ただいま」と奥に向かって大声で言って

「お客さんよ」と告げた。

「母が来ますから」とにっこりと笑う。幼さの中にも華やかさがあって、謙二は思わず緊張の糸が緩んでしまいそうになった。何より老人の中に混ざる若さは神秘的だった。

 母親は夕食の支度の最中で、慌しそうに玄関先に出てくる。娘と同じ種類の笑顔を浮かべて、大人になっても未だに屈託のない態度を持ち続け、落ち着いて振舞う。

「中山さんのところに来ている保険屋さんですね。今日電話をもらいました。いい評判を聞いてますよ。保険のことはあなたに聞けば大丈夫だって」

 自分自身もそのように思っているので、いいえそんなことはないです、という気もしない。ゆっくりとかつしっかりと二三度うなずき、用件を切り出した。

「息子さんがご結婚なさると伺いました。おめでとうございます。こういった保険がありますのでご検討いただければと思いまして」

とパンフレットを渡す。

「生年月日を教えていただければ詳しい資料を作れます。その上で、一度ご本人様にお会いできればと思います」

 この時間帯で長居は無用と生年月日を聞いて、ついでに家族全員の分も聞いて家を出た。さっきの女の子は十七歳、美津江

という名だった。

 恵まれた家庭だった。三世代が一緒に暮らし、人生の最後の日々を子どもと孫に毎日囲まれて過ごせる稀有な立場だ。だが、次の世代はそううまくはいかないだろう。現に結婚する息子の新居は川向こうの町になるという。しかし、そこそこ車で三十分なら上出来だと言えるだろう。この家はこの村にあって、あるべき人間たちがきちんと配備されている最後の城のように感じた。夕暮れ時に水面に沈む岩のように、時間が経てば消えてしまうのが摂理なのかもしれない。

 

 予定通りの訪問が終わった。車に戻る途中、思いついてもう一軒寄った。

 先月の訪問の際に、死亡保険金の支払い手続きが済んだ小さな家の前で、複式呼吸による心の調律もせずに、そのままドアを開けた。自分本来の自然な行動だったのだ。

 これから村の墓場が始まる、裏の山に登る道の脇にその家はあった。

「おや、東洋さん、こんばんは」

 謙二は神妙に挨拶を返した。平屋で四DKの家はきちんとものが置かれ、玄関を登って右側に仏間があった。遺影を前に謙二は手を合わせた。

「お茶でも飲んでいって下さい。来てくれて嬉しかったですよ」

謙二は無言で頷き、お婆さんが運んできた日本茶に手を伸ばした。「もう、落ち着かれましたか」

「ええ、ええ」

お婆さんはにこやかに繰り返すばかりである。

 このお婆さんの微笑みには心を打たれた。夫の死を本当に乗り越えているのが謙二には信じられなかった。長年連れ添った夫を亡くしたばかりのお婆さんは、悲しみを超越して、すべては先祖伝来のこの土地の土に戻るのだという単純な哲学で、生死を一体化させていた。そのような叡智が刻んだ皺は、この村の老人に共通のものだった。

 あの日、謙二は帰り際に、車に向かう途中広場を横切りながら、いつものように山を見た。海際には墓はなく神社とその両側に立つ枯れた松の木がシンボルのように目立ち、その松に烏がとまっているのを見ると芭蕉の俳句そのもののような場面に立ち会ったようで、何かを発見したような気分になる。夕闇が視界をふさぎ、神社と松の木の輪郭が消えようとした頃、何かが松の木から飛び降りた。烏より大きく枝が落ちたかとも思ったが、別の物体のようであり、余所者だからその辺を凝視していたから気づいたようなものの、住人であればそもそも視界が途切れる時間帯に山の神社などに目をやりはしない。

 凝視を続けてある時点ではっきりとわかった。人が飛び降りて、木の枝と地面の途中でぶら下がっている!謙二はそこまでの五百メートルくらいの距離と、五十段の石段を飛ぶように走った。本当に飛べないことが、もどかしく感じるほど全力で走った。

 その老人のからだは二メートルくらいの高さに浮いており、一人ではどうしょうもなかった。わざわざ木に登り、高い位置に枝に縄を縛り、首に巻きつけ飛び降りたのだ。後で見つかった遺書によると、村を見下ろせる神社で、日が暮れて村が見えなくなるまで眺め続け、思い出に耽り、いよいよ闇の中に没し去る時、この世からあの世へ飛び移りたいと書いていたそうでその通りにしたのだ。

 謙二は大声で村中に呼びかけながら階段を駆け下り、中山のお婆さんの家までまた大声で訴えながら走った。その日は村を上げての大騒ぎとなり、謙二は村中に感謝され、今や転勤間近の頃合になって絶大な信用を得たのだった。

 葬式は華やかだった。脇差をつけた男たちが棺を担いで村を一周する。その後ろに親族の行列が続くのだが、子どものいない夫婦だったので妻のほかは、村の世話役たちが並ぶ。この行列は変則的であれ、作らなければならなかった。そして、村中の人が行列に紙ふぶきをかけ、行列の先頭の人がシンバルを叩く。より良い世界への旅立ちに見えた。

 六十年間、渡し舟をこいで、年をとってからはディーゼルエンジンのついた船を操縦し、無免許がばれて営業を禁止され、陰口を叩かれ、妻からなじられ、病の床について寝たきりとなり、面倒見切れないと施設に移ることが決まった日だったという。最後の信じがたい力を使って歩き、石段を登り木によじ登り、後は身を倒して、わずか宙を飛んだのだった。

「これ以上ない幸せな最後だったと思います」

 噂では責め殺して保険金をもらって喜んでいると、とことん誹謗されているが、奥さんは保険金の手続きの時、謙二に向かってしみじみとつぶやいたのだった。本当だろうと思う。奥さんに責められて苦しかったのかどうかわからない。当事者でないと知り得ないことがたくさんあるだろう。奥さんに苦労をかけまいと思ったのかもしれない。きっとそうなんだろうと謙二は自分の中では決めている。

 あの日あの時、老人はどんな思いで木の枝にまたがり村を眺めたことだろう。遺影を前に深く考える。遺影は船を漕ぐ全身像であり、背景の海もはっきり写っていた。普通ではなく極めて風変わりであった。毎日死ぬまで見る写真に、一番あの人らしい姿が写ってないないのはおかしなことですと、お婆さんが風変わりな遺影を頼んだのである。大きな顔写真を見たくないからだという、悪意の評判など気にしていなかった。その中傷の渦も潮の満ち引きで風化して、やがて皆互いに認め合う仲になり、火葬場の炎で骨にくっ付くすべてのものは焼き払われる。

老人の瞳は少年のようでもあり、同時に深い哲学を秘めていた。そして謙二に語りかけて来るのだった。

あの日の夕暮れ、謙二が眺めていた松の枯れ木の上から村を眺め渡して、心はつぶやき続けていたのである。

 

・・・通り過ぎて来た数多のわたしが この夕暮れ 重なり始め やがて一つに収束する。わたしが一つになる。許せないわたしも誇らしいわたしも この世の理屈を越えて一つになっていく。世界が時間の中に 夜の中に沈んでいくのにあわせて ますます加速して一つになって行く

そのとき これが最後の風であると そこに現れたありとあらゆるわたしが はっきりと知る 誰一人反駁するわたしはいない これが最後の風であると

その風と離れることは不思議なことだ その風が含む匂いや感触や声や風景や そういったことすべてと離れることは不思議なことだ そんなことがあるのだろうかとさえ疑うほどに不思議なことだ 

それは何かを越えて未知への思いを生み出しては それごと連れ去るものだ

その最後の風の奥深く すでに世界そのものとなったわたしが 自らを感じ尽くす・・・

 

 遺影から言葉が切々とやってくる。この村そのものが語りかけて来るようだ。ほおっておくと取り込まれそうになる。それは謙二には耐えられない。

 父祖の土地に飛び込んだのだ。飛び込める場所がなかったらどうなっていたのだろう。海辺の小さな平野で潮が満ち潮が引くように生きていく。皆土から生まれ土に返る。昔から誰もが持っている共通の心情だ。この村の老人たちに死の恐怖はないように見えた。もし一人で見知らぬ街のアパートや路上で死のうとすれば、世界からはじけだされるかのように破滅していったことだろう。

 丁寧にお婆さんと挨拶を交わし、家を出た。

 車に戻った。エンジンをかける。営業所まで四十分ほどのドライブとなる。夜の田舎道を軽快に運転しながら考える。死亡保険金を受け取った人をその翌月に必ず訪問するのは、病的な癖だろうか。誰かが死んだ後で遺族と話すのは、まるで納まりの着いた後日談を聞くようであり、それはつまり、死んだ人たちの不安定な物語に対する、補償のようなものを欲しがるということだろうか。謙二には分からなかった。

 ラジオをかけて気分を変える。そして有里のことを思い出す。この世の生のあらゆるものを代表する彼女のイメージが広がり、ラジオから音声や音楽が流れ、古の共同体から、現代へ戻ってくる。

正月休みには会えるが、それも慌しい。

 あの頃は敬子と結婚するつもりでいた。遠距離恋愛も五年を超えて、次に転勤になったらそれを機にと漠然と、しかしはっきりと考えていた。

 そんな時代の思い出だ。