《私にくれ》
飯干良作作
私にくれ
言葉をくれ
昼日中の街道をゆく弔いの行列だ
先頭の者が掲げる大きな写真は
黒いリボンで縁取られた
遥か昔の少年の私である
笑っていた
私は、と言えば
街道沿いの坂の上の木立ちに隠れて
弔いの行列を睨みつけていた
金属バットを握る右手が汗ばむ
やるなら今だ
今しかない
だが弔いの行列に乱入したとて
誰が喜んだりするものか
さっさと行かせてしまえばよい
なにも私が手を下さずとも
死骸は墓で朽ちて土となる
そして
いずれ誰かが墓の前で深刻そうに
「青春」について長々と語るだろう
それが許せないのは私の我が儘でしかない
しかし私は深呼吸をすると
おおおおおおおおおおおおおおおおと吠える
空が
初夏の澄んだ青い空がびりびりと震える
弔いの行列が止まった
私は雄叫びをあげ続けながら
金属バットを振り回して坂を駆けおりる
行列の者たちが抜刀するが
→これは最後に私を刺し殺すのだが正体不明か?
もう止まらない
金属バットは曲がり血塗れだ
私もまた傷だらけだが
さっぱり痛まない
私は血煙をあげながら
放置された樽の棺桶へと突っ込んでゆく
そして棺桶を殴り続ける
やがて金属バットは折れてしまい
今や手で棺桶を引き裂き続ける
とうとう中の死骸が転がり出た
少年の私のアスファルト色の眼
老いた私の血走った眼
目と目がかち合う
その時背中から心臓を一突きされてしまった
私は崩れ落ちて死骸に抱きつく
意識が暗闇へと遠のいてゆく
それでも互いの目は交差したまま
ばちばちと火花をちらす
そしてなおも語ろうとするのだ
私にくれ
言葉をくれ、と
赤字は??と思ったところ
青字はいいなあと思ったところ
この詩は素晴らしい
これは作品になっていて、多くの人にその人が自分の人生でもつテーマとして、各人様々に心を動かせる。普遍的な鏡になっている。
作品のレベルに到達した詩に対しては、批評などする気も起らない
それはもう味わえばいいだけである
私はと言えば、これは老いた自分が、子供の自分と対峙する精神の物語として読んだ。ワーズワースが 子供は大人の父であると 歌ったが、この子供はあるいは理想の自分であり、もう死んでしまっていないのか。
そして今の自分はこの理想像を殴り殺さねばならない、憎しみを込めて。しかし理想を守る者たちは剣を持っているのだ。
テロリストのように犯罪者のように聖なる理想の、儀式をぶっ壊さないといけない
そうしないと今の自分が生きていけないからだ。
みたいなことを読みながら感じた。
赤字は??と思ったところ
敢えて言えばこの赤字の表現はどうなんだろうと思う。
しかしそれもわずかなことだし
しかし人の好みもあるしこのままでもいいかもしれない
ただ私的には無意味な反復に感じた、反復したい作者の気持ちと読後感の効果のずれがあるかもしれない。
おおおおおおおおおおおおおおという咆哮は
この詩の中では明らかに浮いていると思う
作者には必然かもしれないが、たぶん読者はここで止まってしまう。