【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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【現代詩の徹底解説&批評】詩のタイトル 『ハタさん』2022/9/28

 《ハタさん》

  ハタさんというタイトルはどうか?

  作者の内面には当然過ぎる名前だろうけど

  私は近所の一人暮らしのお酒好きのおじさん の話と思って読み始めた

  自分にとって思い入れのあるものほど

  対象化して自分がまず咀嚼しないと作品にならない

  でないと多くの人は ハタさんという語彙から初恋を感じないと思う

  読み進めても感じない 意味はわかるけど感じない となる

  「初恋」とかでもいいくらい。 シンプルなほど読者は感動する

 

 

笑い声だ

ぽんぽんとゴムボールが

弾むような笑い声

 →わかりにくい

僕にはわかっている

 →読者にはわかりません

同級生のハタさんの笑い声

老いた僕はのろりと振り返るが

あまりのキレの良さと身軽さに驚く

ぼくもまた中学生なのだった

 →わかりにくい

校舎の昇降口に消え去るセーラー服の影

うらっしゃーッ

 →必要だろうか、擬声というか掛け声というか

  よくでてきますが 共有された感覚ではない

  ボールがビューンと来るというのとは共有

野球部の連中の気合いの叫びがコダマする

→これで十分 読者はばかじゃない

 

でもさきほどから僕を刺激しているのは

けして野球部の子供の声なんかではない

→前の回想のような文章から野球部の掛け声は

 回想と思っていたらここで目の前の中学生だと判明する

海馬が嘶き暴れるのは匂いだった

  →海馬が唐突に使われるのはどうかな?

   共有とまではいかないんじゃないか

なんだ?

この懐かしい匂いは?

野球部の連中のたてる汗と土埃の臭い?

そんなでない甘い何か

半分子供の、女の子の匂い

また振り返ったらそこにハタさんがいた

 →ここもわかりにくい

  今の目の前の現実から回想に入るところを

  工夫が必要 その工夫がまた詩になるはず

僕の背中を叩こうと忍び寄ってきたのだ

僕とハタさんの視線が交わる

動揺したハタさんが転びそうになった

僕は慌ててハタさんの手を引いて腰を抱く

ぴゅ――ッと真っ赤になるハタさんだ

→掛け声や擬声音が独自のもので読む人は止まってしまう

 いらない、作者には大事かもだけど作品としては逆効果逆効果

ハタさんは真っ赤になる とシンプルに書くのが一番情景が浮かぶ

そしてさきほどよりも強く香る女の子の甘さ

甘さに付随するのは白墨(チョーク)の煙たい匂い

鉛筆の黒鉛の匂い

上履きの独特なゴムの匂い

僕の海馬が狂ったように嘶くのも当然である

→やっぱり海馬には違和感を感じます 私個人は

 それに海馬は短期記憶の装置で長期記憶は違うんじゃないか?

 などいろいろ脇道に思考を誘ってしまう

 少なくともこういう特殊な用語は「海馬」とか≪海馬≫とか特別に表記が必要

それは「中学校」の匂いなのだった

→それは とか そうだ  とか ここにこそそんな言葉がいるんじゃないか?

 

僕の手を払いのけるとハタさんは

自らの胸を抱きしめて駆け去ってゆく

足をぴんと張り、なんて美しい後ろ姿なのか?

→ 張りなんて じゃなくて  張り なんて

  ここには空白がないと「はりなんて」と必ず最初読んでしまう

 

セミロングの髪が揺れて昇降口へと消え去る

待ちかまえていた女の子たちの歓声があがる

ハタさん

まだ生きていますか?

僕はまだ生きています

→最大の山場であり 作者はこの言葉を吐きたいためにここまで書いたのだと思う

 が あまりにも直接的な言葉で 他者は引いてしまうんじゃないか

 今までより 照射する光がいきなり強くなる

 「お元気ですか」

 ぼくはまだ生きています

の方が言葉は響くと思います

あるいは

今でも「ぽんぽんとゴムボールが弾むように笑っていますか」

 

 

あの頃のハタさんと言えばセーラー服だ

僕もまた詰め襟の中学生ではないか?

さあ、二人して中学校の匂いを振り撒こう

うらっしゃ――ッ

汗臭い野球部の怒鳴り声

これもまた中学校の匂いだ

もちろん許すとも!

うらっしゃ――ッ

校舎の裏でハタさんも叫んでいる

 

うらっしゃーという言葉をとても効果的に使っているが

うらっしゃーという言葉がどうなのかとなる