《ハタさん》
ハタさんというタイトルはどうか?
作者の内面には当然過ぎる名前だろうけど
私は近所の一人暮らしのお酒好きのおじさん の話と思って読み始めた
自分にとって思い入れのあるものほど
対象化して自分がまず咀嚼しないと作品にならない
でないと多くの人は ハタさんという語彙から初恋を感じないと思う
読み進めても感じない 意味はわかるけど感じない となる
「初恋」とかでもいいくらい。 シンプルなほど読者は感動する
笑い声だ
ぽんぽんとゴムボールが
弾むような笑い声
→わかりにくい
僕にはわかっている
→読者にはわかりません
同級生のハタさんの笑い声
老いた僕はのろりと振り返るが
あまりのキレの良さと身軽さに驚く
ぼくもまた中学生なのだった
→わかりにくい
校舎の昇降口に消え去るセーラー服の影
うらっしゃーッ
→必要だろうか、擬声というか掛け声というか
よくでてきますが 共有された感覚ではない
ボールがビューンと来るというのとは共有
野球部の連中の気合いの叫びがコダマする
→これで十分 読者はばかじゃない
でもさきほどから僕を刺激しているのは
けして野球部の子供の声なんかではない
→前の回想のような文章から野球部の掛け声は
回想と思っていたらここで目の前の中学生だと判明する
海馬が嘶き暴れるのは匂いだった
→海馬が唐突に使われるのはどうかな?
共有とまではいかないんじゃないか
なんだ?
この懐かしい匂いは?
野球部の連中のたてる汗と土埃の臭い?
そんなでない甘い何か
半分子供の、女の子の匂い
また振り返ったらそこにハタさんがいた
→ここもわかりにくい
今の目の前の現実から回想に入るところを
工夫が必要 その工夫がまた詩になるはず
僕の背中を叩こうと忍び寄ってきたのだ
僕とハタさんの視線が交わる
動揺したハタさんが転びそうになった
僕は慌ててハタさんの手を引いて腰を抱く
ぴゅ――ッと真っ赤になるハタさんだ
→掛け声や擬声音が独自のもので読む人は止まってしまう
いらない、作者には大事かもだけど作品としては逆効果逆効果
ハタさんは真っ赤になる とシンプルに書くのが一番情景が浮かぶ
そしてさきほどよりも強く香る女の子の甘さ
甘さに付随するのは白墨(チョーク)の煙たい匂い
鉛筆の黒鉛の匂い
上履きの独特なゴムの匂い
僕の海馬が狂ったように嘶くのも当然である
→やっぱり海馬には違和感を感じます 私個人は
それに海馬は短期記憶の装置で長期記憶は違うんじゃないか?
などいろいろ脇道に思考を誘ってしまう
少なくともこういう特殊な用語は「海馬」とか≪海馬≫とか特別に表記が必要
それは「中学校」の匂いなのだった
→それは とか そうだ とか ここにこそそんな言葉がいるんじゃないか?
僕の手を払いのけるとハタさんは
自らの胸を抱きしめて駆け去ってゆく
足をぴんと張り、なんて美しい後ろ姿なのか?
→ 張りなんて じゃなくて 張り なんて
ここには空白がないと「はりなんて」と必ず最初読んでしまう
セミロングの髪が揺れて昇降口へと消え去る
待ちかまえていた女の子たちの歓声があがる
ハタさん
まだ生きていますか?
僕はまだ生きています
→最大の山場であり 作者はこの言葉を吐きたいためにここまで書いたのだと思う
が あまりにも直接的な言葉で 他者は引いてしまうんじゃないか
今までより 照射する光がいきなり強くなる
「お元気ですか」
ぼくはまだ生きています
の方が言葉は響くと思います
あるいは
今でも「ぽんぽんとゴムボールが弾むように笑っていますか」
あの頃のハタさんと言えばセーラー服だ
僕もまた詰め襟の中学生ではないか?
さあ、二人して中学校の匂いを振り撒こう
うらっしゃ――ッ
汗臭い野球部の怒鳴り声
これもまた中学校の匂いだ
もちろん許すとも!
うらっしゃ――ッ
校舎の裏でハタさんも叫んでいる
うらっしゃーという言葉をとても効果的に使っているが
うらっしゃーという言葉がどうなのかとなる