フォークナーはアメリカ文学を代表する小説家であり、『響きと怒り』(The Sound and the Fury, 1929) や『アブサロム、アブサロム!』(Absalom, Absalom!, 1936) など多くの傑作を残しているが、訳者はかねてより、最初に読むフォークナー作品としては『八月の光』を勧めている。本書は、フォークナーが故郷ミシシッピ州の小さな町をモデルにして生涯書き継いでいった「ヨクナパトーファ・サーガ」の1冊だが、主要人物は全員「よそ者」であり、予備知識は不要である。また、難解という印象が強いフォークナー作品の中で、本書は例外的に読みやすいものとなっている。モダニスト的な実験性はそれほど目立たないし、ストーリーもおおむね直線的であり、筋がわからなくなるということはないだろう。ある文学事典では、「小説というものの面白さを存分に味わわせてくれる作品」と書かれているが、実際、「小説」というものが好きな人にとって、本書を読まずにいるのはあまりももったいないように思われるのだ。
そのような小説であるので、とにかく本を開いていただいて、読み始めていただければ結構である。主人公は、自分を捨てた恋人を追いかける田舎娘、自分には黒人の血が混じっているかもしれないと考える放浪者、世捨て人となって家に引きこもっている牧師という3人で、それぞれ個性が極めて強い。そうした個性の強い人物達の人生を結びつけるフォークナーの、ストーリーテラーとしての豪腕に驚嘆しながら読んでいくうちに、読者は1930年代のアメリカ南部という、21世紀の日本からは空間的にも時間的にも遠く離れている世界に、ぐいぐい引きこまれていくことになるだろう。
このように、「別世界」に「引きこまれる」経験は、外国文学を読むことの醍醐味であるといっていい。なぜこの田舎娘は男を頑なに追いかけるのか、なぜこの放浪者は自分の「血の色」にそれほど拘泥するのか、そしてなぜこの牧師はひたすら社会を拒絶するのか……といった数々の「なぜ」を主人公達の人生に寄り添いながら考えるということは、読者に「ジェンダー」「人種」「宗教」といったさまざまな主題の重さを、いわば実感させるだろう。この「実感」こそが、単なる「知識」とは異なる水準において、異文化への扉を開いてくれる。優れた小説を読むことが、自室にいながらも世界への旅を可能にしてくれることを、本書を読んだ方にはきっとわかっていただけるだろうと思っている。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 諏訪部 浩一 / 2018)