新約聖書
「おまえの神はどういう神なのか?」
「わたしの神は父なる神である」
というイエスの返事が日本語聖書に載っています。
ここで父を意味するヘブライ語でのアベーは
現代日本語の語感としてパパ、おとうちゃん、との話を聞きまして、
そうすると ここでのイエスの返事のニュアンスは正しくは
にっこり笑って許してくれるんだ」
みたいなものかと不敬ながら思いました。
ユダヤ教の神は切れるおやじです(不敬ながら)
いつも顔色を気にしてしまうこわいおやじ。
そんなユダヤ教の世界に
あるとき颯爽と
しかし聖書の随所にこんなニュアンスミスの翻訳があるのかと思うと、
まあそれは語りだすと本が100冊でも足りないでしょうけど(笑)
モーリアックと遠藤周作と阿刀田高のイエスと聖書の話
モーリアック
新約聖書にあるイエスの事績を小説的に 第三者の視点で淡々と描いたモーリアック。
テレーズ・デスケールーで有名なこのフランス人ノーベル賞作家は熱心なキリスト教信者でした
遠藤周作
このモーリアックの イエスの生涯 のあとに
日本のキリスト者作家 遠藤周作の キリストの誕生 を読みました
伝説として神話として記録された事績であり実際に起こったことではないと。
なので人々がイエスを慕ったのはその神のような奇跡の力ではなく
無限に共感し寄り添う姿勢にあるとしています
無限に万人に寄り添うこと自体神のような行為ですが
ただ やっぱり多少の奇跡めいたものはあったんじゃないかと思います
まさか死人が生き返ることはなくても 病気が治ったり 心が改心したり
現代でいうヒーリングみたいなことは行っていたと思います
阿刀田高
です
これはモーリアックと遠藤周作のあとに読みましたから
ほとんど丸被りです
が
ユーモアたっぷりの阿刀田高の文章は楽しかったです
キリスト教徒でないからこその書き方だったと思います
ということでとても満足のいったイエスと聖書の3冊でした