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自作の小説| 船に乗る少女 第2章

第2章

 美津江は祖母の死の知らせを聞いて以来、慌しさの中にいた。

 その時、美津江はPTAの集まりで中学校にいた。何度もバイブレーションを繰り返す携帯に、不審を覚えて着信を見ると、見覚えがない。しかし、家族のような図々しさで、取るまではかけ続けるぞといわんばかりの機械音に廊下に出て受信してみれば、兄の沈んだ声が淡々と祖母の死と葬儀の段取りを告げた。

 

 事情を話してすぐに家に帰り、夫に連絡をすると一緒に九州に帰るという。娘の塾やピアノ教室やバレー教室にも連絡を入れ、帰宅すると間髪を入れずに用意をさせて、羽田に向かった。夫とは空港で待ち合わせた。チケットは夫が手配してくれた。

 

 埼玉から一時間半かけて羽田に着き、二時間弱飛行機に乗って大分空港に着き、迎えに来てくれた大学二年の兄の長男の車で、一時間かけて実家に到着した。夜の十時になっていた。

 翌朝は祖母の遺言に沿ってお通夜と葬儀が執り行われるU市に向かって出発。一時間半かけて美津江が高校までを過ごした古い家に到着するとお通夜と葬儀に集まる親戚と村中の人の相手に忙殺された。

 

 人の死に向き合うのは直美以来だった。あの時、高校生だった美津江は、ただただ直美の死を悲しみ、若くして死ぬことの不条理に体中締め付けられるような苦しみを覚えた。遠い記憶だった。

 

 その日、ようやく少し落ち着いた気分で朝食を終えて、美津江は一足先に埼玉に帰る夫を駅まで送った。

「ありがとう、あなた。あさってには帰るから」

「美香の学校がなかったら一週間くらいゆっくりしろよといいたいところだけど」

「晩御飯は・・・・・・どうせ飲むんでしょうね。朝ごはんだけはちゃんと食べるのよ」

「努力するよ。晩御飯は・・・・・・浮気の予定はない」

「・・・・・・」

「修一君は奥さんとの仲がうまくいってないのかな?帰らなかったね」

 娘と一緒に夫の乗った列車に手を振った。

 

「ホームに石仏があるなんてのんきよね」

  美香が言う。少し言い方に険がある

「暢気な町をぶらぶらしてみる?」

「どっちでもいい」

「じゃあ、ぶらぶらして、ついでに港まで歩いて渡し舟で帰ろう」

「渡し舟なんてあったの?」

「ちゃんとエンジンで動く船だけど。おばあちゃんの家の近くの港にちゃんと泊るわよ」

「面白そう。ぶらぶらする」

「来る時は慌しかったからね。悲しむ暇もなかったな・・・・・・」

 

線路の向こうには丘のような低い山があり、木々の枝分かれが見えるほどにそれは近かった。上り下り合わせても数えるほどしかダイヤがなく、電車さえ通らなければ遠くでかすかに高校の校内放送が聞こえるくらいで、特急の止まる駅のホームにいるとは思えなかった。

駅前に出てもタクシー乗り場とバス乗り場しかない。古い町並みがロータリーを囲む。

「物音一つしない感じね、お母さん」

「静かよね。時間がゆっくり動いてるみたいね」

「おばあちゃんの家なんて止まってるみたいよね。でもここは駅なのに、駅ビルもデパートも何にもないね。ほんと何にもない」

 二人は歩いた。4月中旬の午前の柔らかい光が何もない町を照らす。駅前の道をまっすぐ五分ほど行くと、町の中心に向かう道に合流する。さすがに車どおりも増えて時間はいささか早めに流れ出す。が、美津江の時間は過去へと向かう。

「この道はね、祇園祭りの時、大名行列が通るのよ」

 美香はそれには反応を見せず

「あの小高い丘の上の城跡みたいなのは、おばあちゃんの家から、河口の向こうに見えてた公園?」と聞いて来る。

 

「そうよ、大きな公園。丘の上は町が一区画くらい収まる広さがあるけど、結構急な坂を上るのよ。春は桜がきれい。見下ろす眺めも素敵よ。夜は星がきれい・・・・・・」

 

 直美はあの公園の近くに住んでいた。

「もう少し早く来てれば桜が見れたんだ・・・・・・あっ、ごめん」

「いいのよ。おばあちゃんは笑って聞いてるわ」

 直美は笑って私達を見てくれてるかしら?

遠い昔のいくつかの場面が走馬灯のように意識のはしっこを流れたようだ。

 直美はこそこそ夫と神経戦を続けている今の私に何と言うだろうか?

「お母さん、公園に登ろうよ・・・・・・うん、私は登る。とりあえず行って来る。嫌なら待ってて。後で携帯に連絡する」

 娘の激しさは私と夫の間の微妙な、それでいて決定的は軋轢を感じながら育ったがためだろうか、美津江はよくそう思う。自分にも夫にも似ていない。直美にはよく似ている・・・・・・

 娘の後を追って急な坂道を必死に登った。

 

 「情緒あるね。この町。さすが城下町ね」

 展望コーナーからの眺めに美香は感心していた。屈託なく感想を言う。

 

 三重の塔や街中の広い神社、公園の北側の真下からすぐに広がる穏やかな湾、古い町並み、河口を白い波を切って走る船、遠くまで続く線路、山の中腹の由緒がありそうな寺、その寺に美香の視線が止まる。

 

「あれは藩主の菩提寺だったのよ。隣に病院があるでしょう。朝と夕方に聞こえるお経を聞いてありがたいという人がほとんどだけど、時々縁起でもないって苦情を言う人がいるって聞いたわ」

「昔でしょう。きっと今だとその比率は逆よ」

 

 美津江は死んだ祖母に教わって般若心経と観音経を諳んじる子どもだった。

「お経の意味を言える人ってママ以外にわたし知らないよ」

 おもむろに振り返って、公園内の少し離れた広い空き地を指差して美津江が言う。

「昔はあそこにお城があったんだって」

「まだあればいいのにね」

 娘の返事はおざなりに聞いて美津江は空を見上げた。海風を頬に受けて目を瞑った。美香はそんな美津江を見ている。

「夜、ここから見た星空はそりゃあ素敵だったわ」

 大方、そんなことでも言うのだろうと思っていた、といわんばかりに美香は上目遣いに空をチラッと見上げて足元に視線を落した。そろそろ公園にも飽きてきたところだった。

「お母さん、もう行こうか」

 美津江はいつしか目を開けて公園の下を走る道路を見ている。何かを探しているように美香には見えた。

「ねえ、ここから下に下りてみない?・・・・・・うん、ママは行くね。しばらく待ってて。携帯に電話するから」

 美津江はガードレールのわずかな隙間から細い道に下った・

「待ってよ。一緒に行くよ。お母さんったら激しいんだから」

 それはこっちのせりふだと美津江は心の中で反論する。しかし、すぐに足元に集中した。

「ちょっとお母さん、こんなの道じゃないよ。なんでこんなコースを知ってるわけ?」

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