【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

自作の小説|船に乗る少女 第一章  大分県臼杵市を舞台に魂の故郷を発見する物語

船にのる少女 第一章

 

 

 

  祖母の葬儀が終わった翌朝、美津江は中学生になる娘の美香から、この洋間のない古い家でお膳を囲んで食事をするのが、結構暖かくて好きだと言われた時、確かに昔この家の食卓に自分も同じことを感じていたのだと、かすかに頷いた。

 

*      *      *

 

 あれは兄の結婚を間近に控えた頃、美津江が高校二年になったばかりの春だった。

「部屋、そろそろ決めないとね」

 母は美津江の弁当を詰めながら弾むような声で言った。

 味噌汁をすすりながらかすかに頷き、兄は卵焼きに箸を伸ばしながら

「三つくらい候補は絞ったんだ。今度の休みに理恵と見に行って決めるつもりだよ」

 もうそこまで進んでいるとは知らなかった美津江は兄に聞いた。

「どの辺で決めようと思ってるの」

 納豆をかき混ぜている妹に兄は

「おまえって本当に納豆が好きだな」

としみじみ言った。朝食で美津江が納豆を食べなかったという記憶が兄にはないようだった。

 

 母が座って食事を始める。

「美津江の納豆好きは私からの遺伝よ。わたしは死んだおじいさんからの遺伝よ。この村で納豆食べるのはうちくらいのもんでしょうね」

「ねえお兄さん。どの辺にするつもりなの」

 

「そうそう、昨日保険屋さんが来たよ。中山さんの顔も立つから他で約束してなければ、○○生命で入ったら」

 

「ああいいよ、おれも話が聞きたいと思ってたんだ」

 

「保険って何?」と修一が聞く。

 

弟の修一が味噌汁の具を食べないと母が叱る。

 

「あおさ入りの味噌汁がぼくは好きなんだけどな」

 

「もし死んだらたくさんのお金をもらうために、少しづつお金を払うんだよ」と兄が言う。

 

「局長さんに預けてる修学旅行の積み立てみたいなもの?」と修一が言う。

 

 兄自身はこうやって新居を探し、保険を勧められることで結婚が着実に近づいていることを感じているようだった。

 

「お兄さん、離婚しちゃ嫌よ。直美のようなかわいそうな子どもを作っちゃ嫌よ」

 

 母は少し叱るように言った。

 

「結婚する人に離婚なんて言葉を使っちゃだめよ」

 

 猫のミルがちょうど二階から下りて来た。後に仔猫が四匹連なっている。五匹そろってライオンのように悠然と歩く。そして食卓の祖母の後ろにごろりと寝そべる。

 

「ねえお父さん、お母さんと別れようと思ったことないの」

 

 コーヒーとトーストの朝食を取っている父が答える。

 

「朝から馬鹿なこと聞くな。ないよ。別れるという考え方がそもそもお父さんにはなかったよ。昔はそういうものだった」

 

「お母さんも?」

 

「そうよ」

 

  祖母も同時に味噌汁をすすりながら、微笑んでいるのだった。戦死した夫に代わって家を守り、今は六人でお膳を囲んでいることがとても嬉しいのだと、口癖のように言う。

 

「ぼくのクラスには離婚したからって、お母さんの家に帰ってきた友達が三人いるよ」

 

修一が大人の会話に参加できるのを誇らしげに言う。

 

アメリカじゃ結婚前から別れたときのために、家具とかどっちが引き取るか決めとくんだってね」と母が言うと

 

「銀行預金とか子どもの親権とかも全部決めとく奴らもいるそうだよ」

 

と父が答える。

 

「ちょっとお母さん、結婚する人の前で離婚って言っちゃだめだって、さっきこそ言ったばかりだろう」

 

と兄が苦笑して言う。

 

 

  美津江はご飯と納豆を口に入れ、糸をくるくる巻いて口元から完全に切ったところで

「ねえお兄さん、部屋はどのへんできめるつもりなの」

 

と三度目の質問をした。

 

 父はお皿を自分で台所に持って行った。コーヒーのおかわりにホットミルクをたっぷり入れて席に戻る。

 

 ミルがあくびをすると、仔猫が一斉に真似をする。祖母はにこにこしながらそれを見ている。

 

「三つ候補がある。山のふもとと海の近くと街の真ん中」

 

「それって山が好きだけど海も好きで、街の中でも暮らしたいってことね」

 

「うん」

 

「何かどこでもよくて、まだ決めていないって感じ」

 

 兄は笑った。

 

「今度の日曜日に理恵と見に行くんだよ、ちゃんと考えてるよ」

 

「理恵さんがでしょう?」

 

 皆笑った。祖父母は食べ終り、日本茶を飲んで、猫たちがごろごろしているのを見ている。父はおかわりしたミルクと新聞に没頭していて、母は漬物に箸を伸ばす。

 

「○○生命の人はいつきてもらおうか」

 

「今度の日曜はだめだけど、休みの日の午前中ならいつでもいいよ」

 

*      *      *

 

「曾おばあちゃんも私たちと一緒にお膳の回りにいるみたい。曾お祖父ちゃんは会った事ないからうまくイメージできないけど、それでもおばあちゃんの隣に座ってるのは感じられる」

 

 娘の感想は少し大げさで、大人受けを狙っているように感じて返事をしなかったが、親戚一同が集まった仮初の大家族で囲む食卓は、たとえ祖母の死を真ん中に置いていても、自ずと賑やかになり、母と兄嫁と三人で全員の食事を作る美津江は、騒々しい忙しさに追われて、涙が乾いていくばかりか昔を懐かしむ気持ちの余裕さえ生まれて来るのであった。

 

 美津江は祖母の死の知らせを聞いて以来、慌しさの中にいた。

 

 その時、美津江はPTAの集まりで中学校にいた。

 

 

小説家ランキング
小説家ランキング