【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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連載小説「あの夏の向こうに」第一話

 

 

 小説と詩の創作 随筆

 

  車のシートに身を沈めて、リモコンのボタンを押す。暗かった車庫の中に、滲むように、徐々に光りが入ってくる。キーを回すと、狭い空間にエンジン音が響く。シャッターが開くまでの間に、目が明るさに慣れて来る。やがて、完全に視界が開けるとアクセルを踏む。

 

 

 

 

  二十メートルほどの砂利道を徐行する。後方、二百メートルほど離れたところに、果樹園を営む家主の邸宅と、大きな作業小屋がある。柏木の借りている二階建ての家は、母屋に比べてずいぶんと新しく、敷地の端に位置して、見張り小屋のように見えた。

 

 海側の斜面全部が果樹園になっており、その中腹に家はあった。海と街の両方を見下ろせるこの場所から、柏木は眼下の世界に向けて毎日発進するのだった。

 

  広大な果樹園の一角に立つ小屋と車庫を借りて三年になる。この街で家を探すことになった時、不動産会社の紹介で、駅前や少し町外れのマンションを見て回った。そこそこ満足の行く物件に決めて、通りがかったちょっと珍しい店で昼食を摂り、その店のマスターと四方山話をするうちに、今の家を教えてもらった。

 

  マスターの話しはこうだった。ただでいいから誰かに住んでもらいたいという人がいる、その家は二階建てで一階がキッチンとリビング併せて二十畳ほど、それに風呂とトイレも設備が新しい。二階は螺旋階段を登って、十畳と六畳の部屋、それぞれ壁一面が天井まで窓になっており、ベランダも広い。あたりに家はないから、音楽を大音響で聴いても大丈夫、難点を言えば、街から大分遠いのと、安全面が心配と言えば心配、しかしあんな山奥に泥棒しに行く奴もいないだろう、ただこれだけは伝えないといけないが、とマスターは最後にせわしげに付け加えた。

 

「その家は家主の息子が結婚に備えて作ったんです。彼はぼくの親友でした。この夏、完成して一人で一週間くらい住んでいましたが、山で死んだんです。不幸な事故のイメージが気にならなければ、良い部屋です、ぼくも見たことがあるけど中々のものです」

 

  マスターから電話してもらって、部屋を見に行き、たちまち気に入ってしまって、すぐに契約した。一つ問題があって、それはただで借りてほしいということで、会社名義の契約だからただというわけにはいかないと言うと、それなら会社から家賃が振り込まれたら、全額あなたに返すと言われ、それではそのお金は退去するときにまとめて返せば良いか、という気になって、奇妙な契約は成立したのだった。そして月に七万円の返金を、家主から受けるようになった。

 

  家主は誰かが住むことで息子の悲劇は克服され、霊は清められると考えたのだった。息子が丹精込めて作った小屋が、ほったらかしになっているのを見るのが忍びなくもあったし、かと言って取り壊す踏ん切りもつかなかったのである。

 

 

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