【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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連載小説「あの夏の向こうに」第10話  by古荘 英雄

 

小説と詩の創作と文学エセー

 
 

ママはその夜、ラメールを開けるのはやめた。少し風邪気味で、結局開店時間になっても直らなかった。熱っぽかったし、咳も出た。しかし、ことのほか波音が聞こえる夜だったから、しばらくそれを味わってから帰ることにした。

 

波音を聞くために、この店を買ったようなものだった。波音が響く店を自分で切り盛りするのは銀座時代の夢だった。今は満足していたが、これで満足してしまってはもうどこにも行かず、ここに一生立ち止まってしまう、それも恐いと考えなくもなかった。

 

  入り口のドアがきしんだ音とともに開き、物思いから覚めた。

 

  信一が入ってきた。素早く頭を軽く下げて、いつものようにカウンターの一番入り口側の席についた。そして、いつものようにボトルと氷とミネラルウォーターを注文した。

 

  あまりにいつも通りだったので、静江もほぼ条件反射的に出してやった。それにこの男は三十分くらいで帰るので、多少の例外は認めようとも思ったのだ。だが、外の看板はコンセントを抜き、暖簾もしまった。

 

  そういうことにも頓着せずに信一は一本目の煙草に火をつけ、一杯目を作った。

 

「あなたのとこのお爺さん、歩けるようになったんですってね」

 

。「ええ、でももう船はやめるそうです」

 

「引退するの?」

 

「はい、あとは年金で余生を過ごすだけ。おれの役目も終わりました」

 

  信一の表情にも一区切りついたことのある種の安堵感と、淋しさが浮かんでおり、今日のところは静江の色眼鏡もあるかもしれないが、淋しさの方が勝って見えた。

 

「あなたは?これからどうするの。船、譲ってもらって漁師やったら?」

 

「そろそろ家に帰ろうと思う」

 

「家はどこなの?」

 

「山の果樹園の一つです」

 

「あら、この街の人だったのね」

 

  静江はちょっと意外な感じだった。男がずっと、よそ者のようにふるまっていたからだ。

 

「本当はおれ、どこの人間でもないんですよ。ただこの街の人間になるために必死に自分を作ってきた…

 

  あなたはまだ若いけど、ずっとこの店をやってくんですか。この店、おれ、好きですね」

 

「果樹園の人じゃないの?」

 

「おれは養子なんです。本当の親は誰かもわからない。事故で死んだと聞いてましたが・・・・・・」

 

「そう」

 

「養子だと聞いたのは六歳の時でした。果樹園の両親は立派な人たちです。六歳の俺に、家族について真剣に語ってくれました。家族には二種類ある。神様が選んだ家族と、神様の代わりに人が自分で選んだ家族と。お父さんとお母さんは血はつながっていないけど、結婚して家族になった。そして二人で、血はつながってないけど信一を選んで家族にした。そして、この家族に悠太を加えようと神様が決めた。だからうちは、人と神様と共同作業で作り上げた家族だって。六歳のおれは震えながら聴いた。今でもはっきりと覚えている」

 

「中々言えることじゃないわね」

 

 

 

 

 

 

「幼いときは、言葉どおり確信できて、なんの問題もなかった。両親の言ったことに嘘はなかったし。でも中学くらいからずっと悩んでたんですよ。俺自身がその事実の前に勝手にのた打ち回ってたんだけど。世間は違う受け取り方をしていました。果樹園の後継ぎが欲しかったけど、子供ができなかった。そこで養子をもらった。ところが、そのあとで実子が生まれた。それでは困っていると。でもまあ、そういう見方は両親にはあてはまらないことははっきりしていました。愛情という点では、おれにとって非の打ち所がなかったから。問題はおれの気持ちだったんです。ここは本当の居場所じゃないという思いが、黒い雲になって心を覆い始めたんです。高校の時は、やりきれなくなって家出したこともある。そのときも今の漁師の親父さんのところに世話になった。あの人は、前の奥さんが連れて出た、おれと同い年の自分の息子を、おれに写してたんだと思う。

 

その後、大学に行って心はずいぶん安定した。親元を離れたのが不思議なほど効果があった。文学や哲学を読み漁り、自分の居場所についての考えを本の中に探した。でも、都会に一で人暮らしてると、単純に果樹園が故郷だた思えた。少なくとも今いるこの東京の下宿の他に帰る場所があるのは間違いなかったし、登山をして、体を酷使して、よく勉強した。古典的な学生だったと思いますよ。そして克服したと確信できた。

 

でも弟の死は連れて行かなきゃよかったっていう後悔と一緒に、古い問題もまた呼び戻した・・・・・・。

 

婚約破棄された弟を山へ連れて行ったのはおれ。不幸な事故・・・・・・とはいえ、親に申し訳なくてね。そもそも、悠太がもっと早く生まれていれば、おれはここにいなかったのだから。

 

家を出た。でも、両親にはおれも赤ん坊のころから育てた我が子であり、おれまでいなくなるのは、より悲しませると言うこともわかっていたからね。中途半端に帰ってきて、海辺に住んでたんですよ」

 

  ママはぼんやりと、昔話を聞くような気楽さでいた。今ここにいるこの男は過去の葛藤を克服しているとよくわかったからだ。

 

  ママはCDをセットした。雨音だけが入っている音響CDだった。現実の海の音とよく溶け合い、海に雨が降っているように聞こえる。二人は黙って耳を傾けた。

 

  やがて、ラメールを出た信一は、港に足を向けた。コンクリートの防波堤を抜けて、多くの船が接岸している波止場に入り、真っ直ぐな道をゆっくりと歩いた。街灯が幾つかあるがみな電球が切れたままになっている。

 

  時々灯台の点滅が沖合いに見える。

 

  今夜は月が出ていて、まるで何かの舞台のようであった。信一は船を一艘づつ丁寧に眺めていった。それぞれの持ち主の顔も、振る舞い方も、皆知っていた。それらの人々を船に映しながら、漁師生活を振り返った。

 

  やがて、一番はしっこの一番古い、一番小さな船の前で止まった。

 

  あの日もこんな夜だった。

 

  弟の死以来二年間、街を離れてあちこちさまよった。自責の念から、からだを徹底的に痛めたかった。自暴自棄の放浪の旅だった。心も自由に飛ばさずに、徹底的な限定の中で現在だけに常に集中した。

 

  その閉じ込められた状況の中で、ほんの少し悲嘆は乗り越えられ、故郷に戻って来た。その夜のことだった。

 

  何という気もなく、こうやって港をぶらついていたら防波堤の向うから、急ブレーキの高い音が響き渡った。そして、鈍い金属音と共に人が倒れこむ音がした。

 

  急いで表通りに出ると誰かが自転車と一緒に跳ね飛ばされており、そこに見覚えのある車が停まっていた。

 

  西野の愛車は二年前と変わっていなかった。

 

 

 

 

 

 

  その車からは誰も出て来ず、老人をほおって走り去った。信一は西野の顔をはっきりと見た。

 

  近くの公衆電話から救急車を呼んで、つきそって病院に行った。老人の奥さんがやって来て、ずっとお礼を言われ続けた。診断は右足の複合骨折と右肩の脱臼、右腰の打撲、右手親指の骨折だった。

 

  漁が当分できないという状況になって、奥さんはひどく困惑していた。それで、なんの予定もない信一は自分が手伝いますときっぱりと申し出た。漁などしたことはなかったが、これはこの旅の総仕上げだと不思議な機会に感謝した。

 

  戻っては来たもののすぐには果樹園には帰りたくもなかったのである。

 

  ちゃぷちゃぷと音を立てながら、船が揺れていた。廃棄されるか、人手に渡るか、どちらかに決まっている船。もう老人のものではなくなり、自分が故郷の海で乗り、汗と緊張の中に、弟のことなどを閉じ込めていた船。もう、ただのものであった。

 

 

  信一は煙草に火をつけた。闇の中にボワッと赤い光が広がりすぐに元に戻る。なおしばらく船を眺めた後、少しだけ地面に目をやり、やがて素早くきびすを返して、港を後にした。

 

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