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祖父の時計
母方の祖父は村で一番貧しい家に生まれて、七十八年後に最も裕福な人間として死んだ。
わたしが小学校に入学して間もない頃、祖父は入院した。治らない病気にかかってしまったので、病院からもう生きて戻っては来ないのだと母から教わり衝撃を受けた。それは、その事実に対してはもちろんのこと、祖父が自らの死をはっきりと知っていたことへの幼い驚きでもあった。入院する少し前、二人で連れ立った最後の散歩で、祖父は自らの間近に迫った死を厳かにわたしに告げていたのである。
慌しく祖父の死は我が家にやって来た。
梅雨入りしたばかりのある朝、大人たちの騒ぐ音でわたしは目が覚めた。玄関がけたたましく開けられ、担架に乗せられた祖父の遺体が運ばれて来ると、危篤の報に二、三日前から帰郷していた大勢の親戚が、あちらこちらでばたばたと動きまわり、また声を張り上げた。祖父の死に際に付き添い、連日夜間を病院で過ごしてぐったりとした祖母が、後に続いて入って来るとようやく皆落ち着き、騒ぎが収まると今度は家の中は静まり返ってしまい、そのことが一人一人に祖父の死という事実を真摯に受け止めさせることとなった。
わたしは、祖父の遺体が一日自宅に安置されていた時、祖父だったその「もの」に神秘を感じていた。死の威力の前に悲しみはまだ生まれていなかった。むしろ一番関心があったのは枕元に置かれた包丁だった。それを不思議そうにじっと見ていると、母から、魔物がおじいちゃんの霊をさらっていかないように置いてあるから、そのままにしておくようにと注意された。それは祖父を守っているのだなと深く感動し、夜になっても何度も何度もその包丁を見に行き、枕元に魔物がいないか目を凝らした。
翌日、祖父の遺体は神妙な手つきで裸にされて、全身を湯で洗われ、髪や髭を剃られ、爪もきれいに切りそろえられた。あの世への旅立ちなので、身なりを整えるのだという話にわたしは妙に納得した。それらの儀式の一連の流れは、あの世が存在するという大いなる仮想の上に成り立っていたわけだが、その中にどっぷり浸っていると、少なくとも遺族にとってあの世は明らかに実在していた。わたしたちの誰もが、祖父というものが完全に消えてしまって、後には無が残っただけとは考えていなかった。
身支度を終えた祖父は近所の寺に運ばれた。棺は村のしきたりに従い、白装束に脇差で身を固めた八人の男たちが肩に背負った。その後を親族一同付き従うのである。そして村中の者が通りに出て、その行列を見守り、通り過ぎると親族のあとに続いて寺に向かう。そして、最後にはかなり長くなる行列の周辺で、子ども達がお祭りででもあるかのように走ったり、指差したり、笑ったりして騒ぐのである。
このようにして一人一人の死を、村を挙げて見送っていた。