【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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文学日記 文学的故郷を持っていますか?  HF


文学的故郷を持っていますか?

ヘルマン・ヘッセに「世界文学をどう読むか」という100ページにも満たない小冊子がある。冒頭からいきなり素晴らしい一文で始まるのだが作家を目指す人にはぜひおすすめの随筆である。

その中にこんなくだりがある。

「自分はあらゆる本を読みインドやロシアやフランスの詩や小説も読むが、精神的な故郷は18世紀の南ドイツの文学である」

それは少し時代の変動はあるもののおおむねゲーテや、メーリケやジャン・パウルなどの世界である。そしてモーツァルトやバッハの世界でもあるようだ。

さて私自身の文学的故郷はというとやはりある。

ヘッセの郷愁、春の嵐、詩集。

カロッサの幼い頃、青春変転、美しき惑いの年 詩集

シュティフターの 晩夏 石さまざま

ケラーの 緑のハインリヒ


これが私の文学的故郷である。ドストエフスキーアンドレジード、カミユにカフカトーマス・マンヘミングウェイなども好きだが故郷というとこうなる。

ゲーテは入らない。ヘッセも荒野のオオカミや、ガラス玉演技などは入らない。

尊敬する作品と、愛好する作品と、故郷となる作品は違うのである。

4人のドイツ人の記載の作品こそが本来の私であって、あとは人生の紆余曲折を経て読み込んで行って感動したのである。もともとは南ドイツとオーストリアとスイスのドイツ語の作家の翻訳が私の精神を形成したのである。

ということはヘッセと同じ故郷の出身なのだと思った。

武者小路実篤の若き日の思い出が文学の世界の入り口だった HF

キックオフ
中学一年生の冬のことだった。突然姉が文学本を読み始めた。そしてその流れ弾が私にあたった。
武者小路実篤の「若き日の思い出」があの日目についたのである。
炬燵に座ってぱらぱらと読んでみる。文学本は芥龍之介の羅生門をもっていたがなんでこんなつまらない話が名作なんだと12歳の私は思っていた。
しかし武者小路という苗字がなんだかおもしろさを予感させたのだった。
読み始めて30分経った。
普通に読める文章だ。
そろそろ寝るか、もう10時だ。と早寝早起きの私は思ったのだが炬燵で気持ちがいいのに眠くならない。
1時間半が過ぎた。
この辺りまで来ると面白くやめられなくなっていた。


そして12時くらいに一気に読み終えてしまった。私の初の文学体験だった。
若き日の思い出」はたぶん5回は読んでいる。今でもこの小説について講演で1時間話してくださいと言われたら話せる自信がある。(笑)
裏話だが、熱中して読んだ本当の理由は、女主人公の名前が当時片思いの女の子と同じ名前だったのだ。しかしそのおかげで私は武者小路実篤の市販されている本を中二のときにすべて読んだのである。
文学へのキックオフだった。

文学日記 はじめて村上春樹を読んだ日のこと

 大学を卒業して半年の間に、同じサークルだったK子と何度か会った。
ある時は大学の近くで夜食事をしたし、あるときは大学の近くで昼お茶を飲んだ。
なぜK子と会っていたかよく思い出せない。就職してしばらくの間は大学時代が恋しくて
サークルにいって後輩たちと話すのが楽しくK子もそんな風に思ってみたいでよくキャンパスで出会っていたのだ。
 大学時代には二人で会うことはなかったが、卒業したら急に親しくなった。
 日曜のたびに電話をしていた時期もあった。結局何事も起こらず二人のこういう仲も終わったのだがK子がぼくに残していったものがある。

村上春樹だ。

あるとき喫茶店で待ち合わせていて、ぼくが店に入ったとき彼女は村上春樹の最新作の小説を読んで暇をつぶしていた。
「何を読んでるの?」
と聞くと
村上春樹っていう作家、知ってる?」
「知らない」
「割と面白いよ、最新作は初の長編で『羊を巡る冒険』っていうのよ」
へえ、と思ったぼくはほどなく
『1973年のピンボール』にはまって何度も読んだ。
この乾いた哀愁のような世界、でも確かな自分を持ち合わせた強さを感じる主人公が
とても好きになった。1985年の秋のことだ。
 そしてその年の冬『羊を巡る冒険『を読んで素晴らしい才能だと思った。
 やがてぼくは大阪に転勤になり、大学時代から続いた東京生活を終えた。最後のK子に餞別に財布をもらった。カード入れのポケットがたくさんついていたがなぜだかわずかに大きくてカードを入れられなかった。でもその財布は結婚するまで持っていた。

村上春樹をほとんどの人が知らない時代の思い出だ。




詩の批評文

A
言葉が有機的とは言葉が肉体化しているということですね。
言葉が肉体化しているというのは
その言葉が作者によって十分に咀嚼されているということです

それとともにどの地平に作者が立っているかというのも大事で
この詩では
作者はだいぶ余裕のある立ち位置にいます
なので
迫力がでない
というか
調味料なしでうまく調理された料理であり
上手にやったとはわかるけど
味がない


 詩の場合は言葉で作者の立ち位置がそのまんまわかります

この手の表現を使うときは、よほど壮大にバックグラウンドを用意してないと、うわべを流れます。
からからの湖

から枯渇した音を連想することはわたしにはできません。あまりにも安易にあまりにも背景もなくいきなり単純な言葉が来るとき、それは読者への挑戦です。
このあとよほどのことがなければがっかりして終わります


枯渇した音
という表現が素晴らしいだけに
後の言葉たちが追い付いていないのです。
結局枯渇した音というすばらしい発想を
詩の言葉たちがかばーしきれないまま終わっています


F
枯渇した音、というテーマの着想は素晴らしいが、そのテーマをどう表現するかがまるでなっておらず、一歩踏み出して終わっているように見える。格闘もしていない。自分も出していない。羅列でイメージできるだろうということだがその羅列した言葉のチョイスも実に安直です。
足りないものは自分が納得するまで言葉と格闘しょうという覚悟。
それがないなら、音のない世界とタイトルつけて

歌詞のようなものを書けばよいのです



F
オデュッセイアはわたしも今年の春前後に通読しましてこれは面白すぎですね。神々が日常生活にどれほど深く絡み合っていたかが良くわかります。あの神々はみな、無意識から出て来た幻想であるという説を書いたのが、「神々の沈黙」
意識の気づきは、2000年前には、神々の言葉となって脳内に響いていたというとてつもない発想の本でした


A
ユリシーズオデュッセイアの英語読み)だけは1/4を読んでそこまでは真剣に読んだがどうしても先にいけない。かわりにホメロスオデュッセイアを読んだらアラビアンナイトのように面白かった。ジョイスはすごい

近代日本最大の詩人は夏目漱石だと古井由吉が言った

近代日本の詩人と言えば萩原朔太郎三好達治島崎藤村北原白秋などが思い浮かびますが・・・・
夏目漱石は実は近代日本の最大の詩人であった。そしてその漢詩の素晴らしさは日本文学史全体の中で最高峰と言われる室町五山文学の面々に、たった一人で比肩しうるほどの力量であった、そんなことを古井由吉さんが書いてます。漱石漢詩の理解には古井由吉の本がベストだと思っています。
 

漱石漢詩を読むと近代的自我を漢詩にしているのがよくわかります。漢詩ということで、「大意」で意味を羅列しても感じるところは少ないが漢文のままで味わうためには膨大な勉強が必要です。そこで、外国語からのような真剣な翻訳があればいいのですが、漢文自体が日本語ということもあって、それがされないのは日本文学の悲劇です。

 

そうなると実は夏目漱石という文人の小説しか知らないことになってしまう、つまり漱石の半分しか知らないことになってしまう。詩人漱石という日本文学屈指の漢詩の作者を知らないですましてしまう。

 

そんな現象が起こるのです。

 

 
 

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万葉集の中の随筆を知ってますか? |山上憶良の随筆は日本最古の随筆ではないか?

万葉集は歌集ですが、中には随筆もありますね。
山上憶良が病に伏したわが身を顧みて書いたもの。
現代文にて
沈痾自哀(ちんあじあい)の文①
「  ひとり考えてみると、朝夕に山野で狩猟をして生活の糧を得る者ですら、殺生の罪をうけることなく生活することが出来、昼夜に河や海に魚を釣る者すら、なお幸せに世を暮らしている。
まして、私は生れてから今日にいたるまで、進んで善を修める志を持ち、未だ一度も罪を犯すような心を持っていない。そこで、仏の三宝である仏・法・僧を尊び、一日も欠かさず勤行を行ひ、多くの神を尊重して、一夜として礼拝を欠いたことはない。
なんと、恥ずかしいことでしょう。私が何の罪を犯して、このような重い疾病になったのでしょうか
初めて重病にかかってから、もう年月も久しい。今年七十四歳で、頭髪はすでに白きをまじえ、体力は衰えている。この老齢に加えて、この病がある。諺に「痛い傷の上にさらに塩をつける。短い木の端をまた切る」というが、このことである。
手足は動かず関節はすべて痛み、身体は大変重くて鈞石の重さを背負っているようである。
布を頼って起き立とうとすると翼の折れた鳥のように倒れ、杖にすがって歩こうとすると足なえの驢馬のようである。私は、身は十分に世俗に染み、心もまた俗塵に汚れているので、過ちの原因、祟りの潜んでいる所を知ろうと思って、亀卜の占い師や神意を聞くものの門を叩いてまわった。
彼らのいうところは、時として本当であり、時として虚妄だったけれども、その教えのままに神に幣帛をささげ、祈りをささげつくした。しかし、いよいよ苦しみを増すことはあっても、一向に癒えることはなかった 」

万葉集第五巻の896首と897種の間に
山上憶良の随筆!が文庫本にして13ページ分(漢文と読み下し分が交互にあるから実質は7ページ分)もあります。
歌以外にもこういう珠玉の随筆があるところがすごい。もっと脚光を浴びてもいいのではないだろうか。
なにせ日本最初の随筆だろうから。

志賀直哉雑感 FF

芥川龍之介が日本人作家としてもっとも尊敬していたのは志賀直哉でしたね。その文章力と言う点での尊敬です。
志賀直哉は、流れで一切書かない、調子がでてきたらその勢いで書く作家がほぼ全部ですが芥川によると志賀直哉は、調子がでてきて流れに乗ってきたら立ち上がってそういう雰囲気を自分の中から消して、またゼロから書き出すのだそうです。
例で取り上げられた文章などもぼくなどもこれをもう数えきれないほど読みましたが、やはり志賀直哉の典型的な文体であり、勢いのすべてを消した文体というのはこういうものだなあと感じます。

この簡潔さ、この的確さ、それがぱさぱさして来ず詩情を生む、さすがに芥川をうならせた短編の名手です