現代文にて
沈痾自哀(ちんあじあい)の文①
沈痾自哀(ちんあじあい)の文①
「 ひとり考えてみると、朝夕に山野で狩猟をして生活の糧を得る者ですら、殺生の罪をうけることなく生活することが出来、昼夜に河や海に魚を釣る者すら、なお幸せに世を暮らしている。
まして、私は生れてから今日にいたるまで、進んで善を修める志を持ち、未だ一度も罪を犯すような心を持っていない。そこで、仏の三宝である仏・法・僧を尊び、一日も欠かさず勤行を行ひ、多くの神を尊重して、一夜として礼拝を欠いたことはない。
なんと、恥ずかしいことでしょう。私が何の罪を犯して、このような重い疾病になったのでしょうか。
初めて重病にかかってから、もう年月も久しい。今年七十四歳で、頭髪はすでに白きをまじえ、体力は衰えている。この老齢に加えて、この病がある。諺に「痛い傷の上にさらに塩をつける。短い木の端をまた切る」というが、このことである。
初めて重病にかかってから、もう年月も久しい。今年七十四歳で、頭髪はすでに白きをまじえ、体力は衰えている。この老齢に加えて、この病がある。諺に「痛い傷の上にさらに塩をつける。短い木の端をまた切る」というが、このことである。
手足は動かず関節はすべて痛み、身体は大変重くて鈞石の重さを背負っているようである。
布を頼って起き立とうとすると翼の折れた鳥のように倒れ、杖にすがって歩こうとすると足なえの驢馬のようである。私は、身は十分に世俗に染み、心もまた俗塵に汚れているので、過ちの原因、祟りの潜んでいる所を知ろうと思って、亀卜の占い師や神意を聞くものの門を叩いてまわった。
布を頼って起き立とうとすると翼の折れた鳥のように倒れ、杖にすがって歩こうとすると足なえの驢馬のようである。私は、身は十分に世俗に染み、心もまた俗塵に汚れているので、過ちの原因、祟りの潜んでいる所を知ろうと思って、亀卜の占い師や神意を聞くものの門を叩いてまわった。