A
言葉が有機的とは言葉が肉体化しているということですね。
言葉が肉体化しているというのは
その言葉が作者によって十分に咀嚼されているということです
それとともにどの地平に作者が立っているかというのも大事で
この詩では
作者はだいぶ余裕のある立ち位置にいます
なので
迫力がでない
というか
調味料なしでうまく調理された料理であり
上手にやったとはわかるけど
味がない
詩の場合は言葉で作者の立ち位置がそのまんまわかります
この手の表現を使うときは、よほど壮大にバックグラウンドを用意してないと、うわべを流れます。
からからの湖
から枯渇した音を連想することはわたしにはできません。あまりにも安易にあまりにも背景もなくいきなり単純な言葉が来るとき、それは読者への挑戦です。
このあとよほどのことがなければがっかりして終わります
枯渇した音
という表現が素晴らしいだけに
後の言葉たちが追い付いていないのです。
結局枯渇した音というすばらしい発想を
詩の言葉たちがかばーしきれないまま終わっています
F
枯渇した音、というテーマの着想は素晴らしいが、そのテーマをどう表現するかがまるでなっておらず、一歩踏み出して終わっているように見える。格闘もしていない。自分も出していない。羅列でイメージできるだろうということだがその羅列した言葉のチョイスも実に安直です。
足りないものは自分が納得するまで言葉と格闘しょうという覚悟。
それがないなら、音のない世界とタイトルつけて
歌詞のようなものを書けばよいのです
F
オデュッセイアはわたしも今年の春前後に通読しましてこれは面白すぎですね。神々が日常生活にどれほど深く絡み合っていたかが良くわかります。あの神々はみな、無意識から出て来た幻想であるという説を書いたのが、「神々の沈黙」
意識の気づきは、2000年前には、神々の言葉となって脳内に響いていたというとてつもない発想の本でした
A
ユリシーズ(オデュッセイアの英語読み)だけは1/4を読んでそこまでは真剣に読んだがどうしても先にいけない。かわりにホメロスのオデュッセイアを読んだらアラビアンナイトのように面白かった。ジョイスはすごい