この文学ブログでは文学日記というタイトルで日記を書いている
別のブログでは、単に日記と書い たりする。
その違いは何かというと結構プライベートなことについてはこの文学ブログには書かないのと スポーツや政治経済などについてもここでは書かないから、おのずともうひとつの裏ブログのようなものが必要になってくる。
でも実はそこにだって知人友人の実名で書いたりはしないから、ノートに万年筆で日記や雑文を書いたりもする。
文学に関係することだけ書いたら評論と変わらなくなる
文学ブログに書くからやはり文学関係のことを書くものかなと思う。
前述のように 文学以外の日記なら別ブログに書くという流れがある。ただ「ゴンクール日記」というゴンクール兄弟の日記は、あれは文学日記だ、でもナポレオン3世のクーデターや普仏戦争のことも書かれている。自分たちの生活や女性のことなども書かれてある。でも作家であるゴンクールが書くから何を書いても文学日記になるんだきっと。同じ理屈がドストエフスキーの作家の日記にも当てはまる。さらに日記ではないが、フローベルの見事な書簡集でもあれは文学手紙だろう。プライベートなことが大半だけど。
ということは、作家ではないぼくが何を書いても文学日記には本質的にならないのかもしれない。でもぼくは20編の小説と100編の詩を書いてきた人間だから、もしかしたらぼくの書く日記は文学日記でいいのかもしれない。
ひとつ思うのは ゴンクール兄弟の日記にしろフローベルの手紙にしろ、克明に、小説のように出来事を書いている。動画も写真もネットもない時代だから、その場の情報は、文章か絵しかないわけで、作家たるもの小説のように日記や手紙を書いていたようだ。
なのでやはり作家が日記を書くと文学日記になってしまう
でもぼくが書いても文学日記でいいかなと思うのである