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たとえば中原中也の詩を読んでみると、ヒラメキだけで書かれていないことは明らかですね。作りこんで推敲して完成させてますよね。あの枠組みで書いて言葉を整えるのはそれはたいへんな作業です
そう、詩作も作業なんですよ。英詩の天才キーツも毎日20行必ず書く、みたいな感じで職人的に作業していました
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他者の作品の収まりはわかるのに、自作のおさまりがわからない人が多い。ということは自作への批評眼の欠落ということになるかなと思います。自作をいかに客観視できるかというのは、描いたものへの対象化ということにもなりますね。4行までならヒラメキで作れますがそれ以上は技量がいるんですけどね
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短歌や俳句はヒラメキだと思いますか?技量だと思いますか?明らかにうまい人とそうでない人がいて、少し練習したら向上しますよね。なぜ詩だけが、練習してはいけないとなるのか意味不明です。それはピアノの基礎を知らずにいきなり弾くようなものです
たとえば岩間さんの詩はうまい、才能もある。才能は固有のものだけど、あのうまさは技量であり相当に修練を積んでいます。
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ヒラメキと霊感による最初の1行が創造だとする考えですね。真の創造は、推敲による世界創造ですよね。詩でもそれはまったく同じですね
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自作への批評眼が向上すると、筆がなかなか進まなくなるのですよね。何も考えなければどんどこどんどこ原稿用紙が積み重なって行きますから(笑)
どんどこどんどこ書いてる時点で子供の塗り絵です(笑)
なかなか筆が進まず書くのが大変だと感じること自体が才能です