【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

詩の構造を創造するという文学行為

 批評1

西脇順三郎風のタッチなので読んでいて言葉のリズム感みたいなものはいいですね。
そしてまた、一行ごと、一節ごとの表現もなかなかいいです。
聞こえた通りに詩にするということは言葉がひとつづつ紡がれていくのだろう思いますし、イイ感じの言葉が並んでいきます

批評2
なので出だしは素晴らしいし、その流れで読むから途中までは、素晴らしい詩として鑑賞できます。
途中からよくわからなくなるのです
着地が悪いというのは結果であって、この詩の根本的齟齬がそうさせているし、野村さんの他の詩もおおむね同じ構造を持つので、その齟齬について考えてみたいと思います

批評3
わかりやすく言うと個別にメロディを紡いでいき、すべてのメロディは耳障りがいい、でも一つの曲になっていないのです。そのため羅列されたメロディを並列的に読むことになるから読者はなんのことが途中でわからなくなるし、最後までいってもこの詩の世界を統合する言葉もない、なので着地が悪いとなります

批評4
音楽で言えば旋律を統合する追走低音やリズムがなく、ギターが勝手にバラードを弾いて次はヴォーカルが勝手にさびを歌い、ピアノが勝手に軽妙な流れを弾くようなもので、それぞれいいけどね、この曲ってなに?
という現象がまさにこの詩の姿です

批評5
作者の頭の中では統合するイメージがありそれが言葉になっているので、作者が自分で詩を読むときは、リズムも追走低音も聞こえているのですが、他者にはまるで聞こえません。自分のイメージは言葉になったとたんに自分のイメージではない実体を持つ言葉になってしまってイメージが変容しますね。
だから聞こえてきた言葉を書いてみたあと、全体を統合する作業をしないと空中分解してしまうのです

最後の批評
推敲とは言葉尻の変更や修正ではなく
構造の構築なんですね
詩の構造を作ると詩じゃない感じがするかもしれませんが
4行を超える詩は構造が語るのです
この詩は構造を創造すればとてつもなく素晴らしい詩になります。故に一歩前か3歩前くらいで創造作業を辞めてしまっているのが明瞭なのです