【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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才能がないものほど多作である【文学版エティカ|1】

 【文学版エティカ】

定理1.才能がないものほど多作である
【注解】フェイスブックの文芸グループの創作ものを見ると、同じ人物が毎日詩をアップする。推敲のあとも、思考のあともなく単に思いついた言葉を改行しながら並べている。才能があればそんな風に作ろうとさえ思わない。
つまり才能があれば感性の言語化と、構成の妙と、寝かせる時間の必要性を肌感覚で知っている。
ゆえに才能がないものでしか多作になりえないことが証明された
【注解2,予想される反証】
①多作な詩人や作家もいたではないか?
Facebookの多作はほとんど毎日でありそれを多作な作家や詩人にあてはめると、全集にして1万巻にさえなるだろう。つまり多作という概念に使う縮尺が違うので意味がない反論である
②才能があるないは誰が決めるのか?
アキレスと亀のような詭弁に過ぎない。この理屈でいえば、誰かが「私はランボーゲーテよりも天才である」と言ったとき、それを否定するとしたら、どこの何様が私の天才性に反論するのか?と反論するのと同じである。
つまり、任意の主体の独断によって才能の判定が行なわれるのではなくて、下手な詩は主観によって色づくこともなく絶対的に単に下手なのである



【文学版エティカ】
定理2.才能がないものほどコメント欄で活躍する
【注解】才能があれば人の作品などどうでもよくなる。読んでくだらなければ読まないし、読んでいいなと思ったらそのエッセンスを記憶にとどめる
才能がないと、ほめられるかけなされたか、だけがネット活動のすべてになるので、批判されると、批判する方が悪いとばかりコメント活動に専念する。ゆえにコメント活動が活発なアカウントには才能がないことが証明された