海辺のカフカの文体について考える
みずからの構築する世界を支え切れない文体。1973年のピンボールまではこの文体が共振して森の中にメタファーの音楽を奏でたが、いまでは響きのない単調な音が連なるだけ。
こうしてマーロウのシニカルさを追求したセリフは宙に浮き効果をなくし、用意した壮大な物語は特別な展開を見せず秘密は秘密のままで終わってしまう。
もう少しでフランツカフカのような世界が出来上がるのに、あえてそこまで行こうとしない。1973年という曖昧な年代にピンボールという曖昧なボールで遊ぶ村上春樹の限界かもしれない