【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

音楽と絵画に技法が確固としてあるように文章にも技法がある



文章というものがある。
それを使ってわたしたちは
詩を書き
小説を書き
随筆を書き
となるがいずれにも属さない文章もたくさんある。

音楽なら楽器が弾けるかどうかははっきりしているから、演奏するには練習が必要だとだれでもわかる。
絵画でもうまい下手は相当はっきりするからとりあえずうまくないと書かない。うまい人以上の違いは普通はわからないが、平均的な絵と練習した人の絵は明らかに違うとだれでもわかる

さて文章である。
ここには音楽や絵画のような確立された技法がないとされているので、みんな自分の読書体験で書く。
多く深く読んでいる人はやはりうまい文章を書くものだが、ここで間違いを指摘しよう。
文章にも相当程度、確立された技法があるのである。
そんな話をしていきたいと思う。
今回が第一回。
全200回でその後出版しよう(笑)


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小説の文章とはどうあるべきか?どのように書かれるべきか?|考え方と実例

小説の表現

「風が吹く」

というのは詩の表現であっても小説表現としていまいちだ。




だから

「風が吹く。男はさっそうと車からビルの入り口に向かった」

こういう文章を書いていては小説世界が広がっていかないから、論文のような内面描写ばかりになっていく。


たとえば

「男はラジオで聞こえてくる最近のニュースに気分がくさっていた。

国際関係に役人たちの不正やごまかしなど。

馬鹿野郎と心でつぶやきながら車を運転していた。

しかし目的地についたとき、ちょうど虹が見えたので心がとても癒されてやさしい気持ちになって勇気がでてきた。

自分は運がまだいいみたいだ、これならいろいろな困難があっても自分は人並み以上の成果を出せるだろう、そんなことをつぶやきながら車から勢い込んで出た。

その時風が吹いた。男はさっそうと車からビルの入り口に向かった」



こんな文章になってしまうなら、その小説は作者の独善的な内面の語りになっていく可能性が高い。

この文章がなぜ小説世界を深めないかを理解しない人も小説は書けない。

書いたとしてもそれは繰り返すが内面を吐露する論文だ。

内面の声を書くのは一番簡単なのでそのまま書いたら小説はぼろぼろになるのである。

小説とは文章を使った芸であるから、芸であるからには芸を身に着けないといけない。

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ボードレール は全世界の近代詩のたった一人の父である

ボードレールの詩をフランス語で読んだことはない。

正確に言うと、フランス語では読めない。

だからボードレールを語ることはちょっとなのだけど、だから正しくはボードレールの詩を元にその意味を日本語に移した文章から感じたことを語るのだけど、それはまことに素晴らしい読み物である。

旅への誘い

というのがあるが、翻訳でも素晴らしい。こんな素晴らしい文章は、日本語の詩でほとんどない。

中原中也も、三好達治も、全く及ばない。

というのも言い過ぎだが、近代詩のすべてはボードレールから始まっているのは確かだ。

そして、詩集というカテゴリーがひとつの世界を作るのもボードレールが始めたことだ。さらにエドガーアランポーを発見し翻訳し、世に出したのもボードレールである。

さらに近代美術をひとつの大陸として発見したのも彼の功績である。

ボードレールの詩集は素晴らしいのである。

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文学の裾野の広がり|大陸のように広大な芸術形式

文学の領土というと固いけど

その範囲はどんなものだろうか?

文学というとざっと思いつく表現方法としてはこんな感じ。

 

小説

戯曲

随筆

優れた日記

優れた手紙

 

数えたこともないが日本語で出版されている文学のカテゴリーに入る書籍は

何冊あるのだろうか。

 

文学だけで一生退屈しないことは間違いない。

でも

たとえば30分以上同じ本を読み続ける時間

2時間通しで読書する時間

 

そんな時間が減っている

そんな時間は瞑想の効果もあるだろうけど

ひとつのことを15分以上することってあまりない

 

お酒を飲むことくらいか(笑)

 

 

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輝きというもの 


ふすまを開けるとそこからは
異形のものたちが入ってくる

 

それは恐怖だろうか
力だろうか
それとも光なのだろうか

 

それは明日からのものたちだろうか
それとも昨日たちの屍だろうか

 

 

 

ふすまの向こうの夜の闇では
表面に張り付いた光を肉眼で見ることができるが
昼には光は見るものではなく
青の深みに潜っていくときにだけ
感じるものだ

 

 

今は夜
この今がこのように連なる時は
いつも夜
ふすまの向こうが輝く時刻
私たちが世界と直につながる世界なのだ

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永遠 辻冬馬

永遠


瞳の瞬きの間に

星が死ぬ

星の瞬きの間に

人が死ぬ

だから

星も人も互いを知ることはない





星も人も

次に輝くとき

次に光が入り込むとき

すでに互いの命は消えている


だから

そんな不思議な命のことを

どんなに探ろうとしても

どこにもたどり着けないことを知るだけだ


だが

その瞬きの狭間では死滅していながら

次の輝きと

次の視界にだけ生きる

そんな命があることは

誰もが経験したことなのだ




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雲が消える  海部奈尾人

千億の心と二千億の目




この誰もが知る地から空にかけての広がりの中で

あの雲が青の中でまさに消えていった


雲が視界からなくなるときは

流れ去ると思い込んでいないだろうか


雲が千切れ剥がれ消滅するのを見た人は

いるだろうか?


人類の死者の総数は

1000億人を越えるという

1000億人の2000億の目が眺めたのは

流れ行く雲の姿であり

青の空間に吸い込まれる雲ではなかった

あの誰もが知る地から空にかけての広がりの中に

わたしたちは千億個の悲劇の映像が刻まれていることを

いつの日か思い知らされるだろう

それだけの人が共通して体験したものこそが

死であった






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