【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

「小さな花の夢の中に  叙情詩風に」 by amabe


海辺に花は似合わない

潮風が届くことのない

遠く船影を見下ろすこの場所でこそ
ひまわりは気兼ねなく
太陽と抱き合うことができるのだった




でも波音の代わりに

せせらぎの透き通るようなきらめきと

木々の緑のゆらぎのもとで

うつらうつらする小さな花の

真昼の夢の中にこそ

ぼくの心は揺れるのだった



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「聖徳太子  夢殿で見る夢」 辻冬馬

聖徳太子  夢殿で見る夢」

かつてはよく船が沈んだ

あの長安からの荷物を運ぶ船が沈むたびに
無数の教典も海の藻屑となったのだ
その教典の一文字一文字が
束縛を解かれて海中ににじみ出て
沈没船に降る雨のように
光り輝く仏となって海底に沈みゆく




かつてはよく寺社も宮殿も燃えた

われらの都は何度も燃えた

細胞が入れ替わるように

建築は交替していった

記録さえない名もなき寺の壮麗な最後には

ガンダーラに由来する人型の仏像たちが

人々の災厄のすべてを引き受けて

紅蓮の炎と共にその在り方を変えていった



かつてはよくその辺に死が転がっていた

老齢で家族に見送られながら家郷で死ぬ

などというものは錯覚であり

それは寿命でも生の全うの典型でもない

生き物の寿命というものは

弱った時 

最初に食われる立場になったときであり

弱った時

もう食い物を追いかけられなくなったときだ




そしてまた

人という生き物も

無数の病の穴倉に入り

無数の事故や災害や戦や

他人の不埒な心のために

赤子から若者までも

若い母親も壮健な男も

実にあっさりと死ぬのである

そのどれもが正当な死への縁なのであると

伝え諭し共に嘆き受け入れるために

かつて船は教典を運び

かつて寺社は都のシンボルとなったのだ

だが本当にわれらを救うべき存在は

沈没船に降り注ぐ仏たち光の雨であり

寺とともに紅蓮の炎と化す仏像の微笑みだったのだ

そしてそれを見た者は誰もおらず

伝え聞いた者がただ

想像してそっと新たな文字に変えて

書き残すのみなのだ



自作の小説| 船に乗る少女 第2章

第2章

 美津江は祖母の死の知らせを聞いて以来、慌しさの中にいた。

 その時、美津江はPTAの集まりで中学校にいた。何度もバイブレーションを繰り返す携帯に、不審を覚えて着信を見ると、見覚えがない。しかし、家族のような図々しさで、取るまではかけ続けるぞといわんばかりの機械音に廊下に出て受信してみれば、兄の沈んだ声が淡々と祖母の死と葬儀の段取りを告げた。

 

 事情を話してすぐに家に帰り、夫に連絡をすると一緒に九州に帰るという。娘の塾やピアノ教室やバレー教室にも連絡を入れ、帰宅すると間髪を入れずに用意をさせて、羽田に向かった。夫とは空港で待ち合わせた。チケットは夫が手配してくれた。

 

 埼玉から一時間半かけて羽田に着き、二時間弱飛行機に乗って大分空港に着き、迎えに来てくれた大学二年の兄の長男の車で、一時間かけて実家に到着した。夜の十時になっていた。

 翌朝は祖母の遺言に沿ってお通夜と葬儀が執り行われるU市に向かって出発。一時間半かけて美津江が高校までを過ごした古い家に到着するとお通夜と葬儀に集まる親戚と村中の人の相手に忙殺された。

 

 人の死に向き合うのは直美以来だった。あの時、高校生だった美津江は、ただただ直美の死を悲しみ、若くして死ぬことの不条理に体中締め付けられるような苦しみを覚えた。遠い記憶だった。

 

 その日、ようやく少し落ち着いた気分で朝食を終えて、美津江は一足先に埼玉に帰る夫を駅まで送った。

「ありがとう、あなた。あさってには帰るから」

「美香の学校がなかったら一週間くらいゆっくりしろよといいたいところだけど」

「晩御飯は・・・・・・どうせ飲むんでしょうね。朝ごはんだけはちゃんと食べるのよ」

「努力するよ。晩御飯は・・・・・・浮気の予定はない」

「・・・・・・」

「修一君は奥さんとの仲がうまくいってないのかな?帰らなかったね」

 娘と一緒に夫の乗った列車に手を振った。

 

「ホームに石仏があるなんてのんきよね」

  美香が言う。少し言い方に険がある

「暢気な町をぶらぶらしてみる?」

「どっちでもいい」

「じゃあ、ぶらぶらして、ついでに港まで歩いて渡し舟で帰ろう」

「渡し舟なんてあったの?」

「ちゃんとエンジンで動く船だけど。おばあちゃんの家の近くの港にちゃんと泊るわよ」

「面白そう。ぶらぶらする」

「来る時は慌しかったからね。悲しむ暇もなかったな・・・・・・」

 

線路の向こうには丘のような低い山があり、木々の枝分かれが見えるほどにそれは近かった。上り下り合わせても数えるほどしかダイヤがなく、電車さえ通らなければ遠くでかすかに高校の校内放送が聞こえるくらいで、特急の止まる駅のホームにいるとは思えなかった。

駅前に出てもタクシー乗り場とバス乗り場しかない。古い町並みがロータリーを囲む。

「物音一つしない感じね、お母さん」

「静かよね。時間がゆっくり動いてるみたいね」

「おばあちゃんの家なんて止まってるみたいよね。でもここは駅なのに、駅ビルもデパートも何にもないね。ほんと何にもない」

 二人は歩いた。4月中旬の午前の柔らかい光が何もない町を照らす。駅前の道をまっすぐ五分ほど行くと、町の中心に向かう道に合流する。さすがに車どおりも増えて時間はいささか早めに流れ出す。が、美津江の時間は過去へと向かう。

「この道はね、祇園祭りの時、大名行列が通るのよ」

 美香はそれには反応を見せず

「あの小高い丘の上の城跡みたいなのは、おばあちゃんの家から、河口の向こうに見えてた公園?」と聞いて来る。

 

「そうよ、大きな公園。丘の上は町が一区画くらい収まる広さがあるけど、結構急な坂を上るのよ。春は桜がきれい。見下ろす眺めも素敵よ。夜は星がきれい・・・・・・」

 

 直美はあの公園の近くに住んでいた。

「もう少し早く来てれば桜が見れたんだ・・・・・・あっ、ごめん」

「いいのよ。おばあちゃんは笑って聞いてるわ」

 直美は笑って私達を見てくれてるかしら?

遠い昔のいくつかの場面が走馬灯のように意識のはしっこを流れたようだ。

 直美はこそこそ夫と神経戦を続けている今の私に何と言うだろうか?

「お母さん、公園に登ろうよ・・・・・・うん、私は登る。とりあえず行って来る。嫌なら待ってて。後で携帯に連絡する」

 娘の激しさは私と夫の間の微妙な、それでいて決定的は軋轢を感じながら育ったがためだろうか、美津江はよくそう思う。自分にも夫にも似ていない。直美にはよく似ている・・・・・・

 娘の後を追って急な坂道を必死に登った。

 

 「情緒あるね。この町。さすが城下町ね」

 展望コーナーからの眺めに美香は感心していた。屈託なく感想を言う。

 

 三重の塔や街中の広い神社、公園の北側の真下からすぐに広がる穏やかな湾、古い町並み、河口を白い波を切って走る船、遠くまで続く線路、山の中腹の由緒がありそうな寺、その寺に美香の視線が止まる。

 

「あれは藩主の菩提寺だったのよ。隣に病院があるでしょう。朝と夕方に聞こえるお経を聞いてありがたいという人がほとんどだけど、時々縁起でもないって苦情を言う人がいるって聞いたわ」

「昔でしょう。きっと今だとその比率は逆よ」

 

 美津江は死んだ祖母に教わって般若心経と観音経を諳んじる子どもだった。

「お経の意味を言える人ってママ以外にわたし知らないよ」

 おもむろに振り返って、公園内の少し離れた広い空き地を指差して美津江が言う。

「昔はあそこにお城があったんだって」

「まだあればいいのにね」

 娘の返事はおざなりに聞いて美津江は空を見上げた。海風を頬に受けて目を瞑った。美香はそんな美津江を見ている。

「夜、ここから見た星空はそりゃあ素敵だったわ」

 大方、そんなことでも言うのだろうと思っていた、といわんばかりに美香は上目遣いに空をチラッと見上げて足元に視線を落した。そろそろ公園にも飽きてきたところだった。

「お母さん、もう行こうか」

 美津江はいつしか目を開けて公園の下を走る道路を見ている。何かを探しているように美香には見えた。

「ねえ、ここから下に下りてみない?・・・・・・うん、ママは行くね。しばらく待ってて。携帯に電話するから」

 美津江はガードレールのわずかな隙間から細い道に下った・

「待ってよ。一緒に行くよ。お母さんったら激しいんだから」

 それはこっちのせりふだと美津江は心の中で反論する。しかし、すぐに足元に集中した。

「ちょっとお母さん、こんなの道じゃないよ。なんでこんなコースを知ってるわけ?」

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自作の小説|船に乗る少女 第一章  大分県臼杵市を舞台に魂の故郷を発見する物語

船にのる少女 第一章

 

 

 

  祖母の葬儀が終わった翌朝、美津江は中学生になる娘の美香から、この洋間のない古い家でお膳を囲んで食事をするのが、結構暖かくて好きだと言われた時、確かに昔この家の食卓に自分も同じことを感じていたのだと、かすかに頷いた。

 

*      *      *

 

 あれは兄の結婚を間近に控えた頃、美津江が高校二年になったばかりの春だった。

「部屋、そろそろ決めないとね」

 母は美津江の弁当を詰めながら弾むような声で言った。

 味噌汁をすすりながらかすかに頷き、兄は卵焼きに箸を伸ばしながら

「三つくらい候補は絞ったんだ。今度の休みに理恵と見に行って決めるつもりだよ」

 もうそこまで進んでいるとは知らなかった美津江は兄に聞いた。

「どの辺で決めようと思ってるの」

 納豆をかき混ぜている妹に兄は

「おまえって本当に納豆が好きだな」

としみじみ言った。朝食で美津江が納豆を食べなかったという記憶が兄にはないようだった。

 

 母が座って食事を始める。

「美津江の納豆好きは私からの遺伝よ。わたしは死んだおじいさんからの遺伝よ。この村で納豆食べるのはうちくらいのもんでしょうね」

「ねえお兄さん。どの辺にするつもりなの」

 

「そうそう、昨日保険屋さんが来たよ。中山さんの顔も立つから他で約束してなければ、○○生命で入ったら」

 

「ああいいよ、おれも話が聞きたいと思ってたんだ」

 

「保険って何?」と修一が聞く。

 

弟の修一が味噌汁の具を食べないと母が叱る。

 

「あおさ入りの味噌汁がぼくは好きなんだけどな」

 

「もし死んだらたくさんのお金をもらうために、少しづつお金を払うんだよ」と兄が言う。

 

「局長さんに預けてる修学旅行の積み立てみたいなもの?」と修一が言う。

 

 兄自身はこうやって新居を探し、保険を勧められることで結婚が着実に近づいていることを感じているようだった。

 

「お兄さん、離婚しちゃ嫌よ。直美のようなかわいそうな子どもを作っちゃ嫌よ」

 

 母は少し叱るように言った。

 

「結婚する人に離婚なんて言葉を使っちゃだめよ」

 

 猫のミルがちょうど二階から下りて来た。後に仔猫が四匹連なっている。五匹そろってライオンのように悠然と歩く。そして食卓の祖母の後ろにごろりと寝そべる。

 

「ねえお父さん、お母さんと別れようと思ったことないの」

 

 コーヒーとトーストの朝食を取っている父が答える。

 

「朝から馬鹿なこと聞くな。ないよ。別れるという考え方がそもそもお父さんにはなかったよ。昔はそういうものだった」

 

「お母さんも?」

 

「そうよ」

 

  祖母も同時に味噌汁をすすりながら、微笑んでいるのだった。戦死した夫に代わって家を守り、今は六人でお膳を囲んでいることがとても嬉しいのだと、口癖のように言う。

 

「ぼくのクラスには離婚したからって、お母さんの家に帰ってきた友達が三人いるよ」

 

修一が大人の会話に参加できるのを誇らしげに言う。

 

アメリカじゃ結婚前から別れたときのために、家具とかどっちが引き取るか決めとくんだってね」と母が言うと

 

「銀行預金とか子どもの親権とかも全部決めとく奴らもいるそうだよ」

 

と父が答える。

 

「ちょっとお母さん、結婚する人の前で離婚って言っちゃだめだって、さっきこそ言ったばかりだろう」

 

と兄が苦笑して言う。

 

 

  美津江はご飯と納豆を口に入れ、糸をくるくる巻いて口元から完全に切ったところで

「ねえお兄さん、部屋はどのへんできめるつもりなの」

 

と三度目の質問をした。

 

 父はお皿を自分で台所に持って行った。コーヒーのおかわりにホットミルクをたっぷり入れて席に戻る。

 

 ミルがあくびをすると、仔猫が一斉に真似をする。祖母はにこにこしながらそれを見ている。

 

「三つ候補がある。山のふもとと海の近くと街の真ん中」

 

「それって山が好きだけど海も好きで、街の中でも暮らしたいってことね」

 

「うん」

 

「何かどこでもよくて、まだ決めていないって感じ」

 

 兄は笑った。

 

「今度の日曜日に理恵と見に行くんだよ、ちゃんと考えてるよ」

 

「理恵さんがでしょう?」

 

 皆笑った。祖父母は食べ終り、日本茶を飲んで、猫たちがごろごろしているのを見ている。父はおかわりしたミルクと新聞に没頭していて、母は漬物に箸を伸ばす。

 

「○○生命の人はいつきてもらおうか」

 

「今度の日曜はだめだけど、休みの日の午前中ならいつでもいいよ」

 

*      *      *

 

「曾おばあちゃんも私たちと一緒にお膳の回りにいるみたい。曾お祖父ちゃんは会った事ないからうまくイメージできないけど、それでもおばあちゃんの隣に座ってるのは感じられる」

 

 娘の感想は少し大げさで、大人受けを狙っているように感じて返事をしなかったが、親戚一同が集まった仮初の大家族で囲む食卓は、たとえ祖母の死を真ん中に置いていても、自ずと賑やかになり、母と兄嫁と三人で全員の食事を作る美津江は、騒々しい忙しさに追われて、涙が乾いていくばかりか昔を懐かしむ気持ちの余裕さえ生まれて来るのであった。

 

 美津江は祖母の死の知らせを聞いて以来、慌しさの中にいた。

 

 その時、美津江はPTAの集まりで中学校にいた。

 

 

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水しぶき by辻冬馬

水しぶき



真昼時

小舟に乗って 川を下りていく

深く 青く 透明な

心のような空


その中に吸い込まれそうな危険

誰も溶け込むことから

逃げることはできない





時おり揺れる船と 水しぶきが

彼を彼として 引き留める

天に張り付く青は巨大だが

彼もまた巨大なのだ


小舟にあおむけに寝て

空を抱く

風が来る

川上から 川下から 上から

神々のように 舞い降りて来る


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連載小説「あの夏の向こうに」最終回 第14話   by古荘 英雄

この海は三年間いつも意識の脇にあった。夕日を浴びて、真っ赤になった海と空が、柏木の胸に迫った。

 

  麻美の家に自分の知らない女がいて、自分は特別な使者として会うのだと思うと、何だか得意げな気持ちになった。

 

  さきほどの、主任からの思いがけないキスに後押しされた、上機嫌も力を与えた。

 

  麻美の家に向かう道すがら、本当にこの街を自分は熟知しているのだと改めて感じた。次の信号を右に曲がると高校があるだとか、次の角にはパン屋があるとか花屋があるとか、一つ向うの筋にスポーツクラブがあるとか、または何の標識も目印もないところでも、ここがどこであるかが、よくわかるようになっていた。街のすべてを知っているといってもよかった。

 

  こうして、一つの街になじんで来たら転勤になるのだった。自分たちは風のような存在だと、かつて上司から言われたことがある。吹くだけ吹いて、枝や幹を揺らすだけで何も後に残さない。でも、何か残せた者だけが生き残る。

 

 

 

  よく知った赤い屋根の二階建ての家の前で車を止めた。そして、三年間で始めてポーチを開け、玄関まで四、五メートル歩き、その間麻美の両親が手を施したガーデニングの見事さに心を打たれながら、麻美の原点を見る思いがした。

 

 カンナの花が少し周囲から浮いていたが、見事な色合いで門の脇を飾っていた。

 

  チャイムを鳴らす。麻美がドアを開ける。

 

  麻美は茶色のワンピースを着ていた。夏のこの時間にしては、堅い印象だった。最後にもう一回抱きたいなと、柏木は思った。

 

 

  「こんにちは。どうぞ。うちに上がるの、はじめてね」

 

  リビングに通されると、玲子は喪服を着て、背筋をぴんと伸ばして座っていた。

 

  柏木が入って行くと立ち上がって挨拶した。麻美よりほんの少し背が高い。ロングヘアーで薄化粧で、麻美を和風にした女という印象を受けた。

 

  応接のソファーに腰掛けて、玲子の前に宮津と、家主からの手紙を差し出した。

 

  麻美はやさしい瞳で姉を見た。柏木はそんな麻美を見て、敬子のこんな目はまだ見たことがないと思った。

 

  玲子は封を切った。そして、中からきちんと折りたたまれた便箋を取り出し、ゆっくりと開いた。そして、かつての恋人の死に際の思いのすべてに、正面から向き合ったのだった。

 

 

 

 

長い時間だった。

 

  その間、麻美と柏木はずっと見つめ合っていた。

 

玲子は最後まで涙を拭おうとしなかったが、読み終わった時、顔を被って泣き出した。麻美も涙を浮かべて姉の両肩を抱きしめた。柏木は二人をほれぼれと眺めた。本物の舞台を前にしていると思った。そして、この女より本当に敬子のことが好きなんだろうかと自分に問うて見た。初めて湧いた疑問だった。玲子が泣き止むまで麻美のあらゆる姿を思い返した。砂浜の光りを浴びた笑顔や、映画館の感情が高まった眼差し、バーやレストランの軽快にしゃべる唇、ベッドの中の白い肌。どれも敬子に劣る物ではなく、それは別のものであるだけだった。

 

ひとしきり泣くと、玲子は家主からの手紙を麻美にそのまま渡して、読んでと頼んだ。

 

  濡れた瞳で、麻美は手紙を受け取ると読み始めた。

 

 

 

拝啓

 

  夏の暑さが街を覆ってしまう時候になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 

 本当にご無沙汰しております。

 

  悠太が他界して四度目の夏を迎えますが、私たちは未だに目を閉じれば、あの子の姿がはっきりと映ります。これは一生涯変わることなく、いつもあの子はわたしたちの傍にいるのだと思います。

 

  もしも、あのまま、婚約破棄ということがなく、あなたと結婚していれば、あなたは今ごろわたしたちの果樹園に住み、二人の間に生まれたわたしたちの孫は庭先で走り回っていたかもしれませんね。わたしたちはずっとそんな風に物事を考え、あなたを怨んできました。そして、自分たちの不運を呪っていました。ほんの少し何かがずれていれば、今と全く違う幸福な現在があったはずなのに、それは全く失われてしまったのです。

 

  かくあったはずの未来とありのままの今を比べては、あなたと西野さんに責任をかぶせて心のはけ口にしていたのだと思います。そして、柏木さんに悠太の代わりにあの家に住んでもらい、淋しさを紛らわし、あの子の死を認めたくないと思い続けていました。

 

  信一は、責任を感じて家を出ました。そのことは親であるわたしたちには淋しさをよりかきたてるものでした。養子であるあの子は、本来いるべきでない自分が、いるべき悠太を、行かなくてもいい山に連れていったためだと悔やむことしきりでした。わたしたちには、あの子が未だに養子であることを意識していたこともショックでした。

 

  神様が用意したのかもしれませんが、悠太のあなたあての手紙がみつかりました。柏木さんが引っ越しの整理をしていて偶然みつけたのです。わたしたちは、これをあなたにお届けし、あなたの幸せが悠太にとっても、一番なのだということをお伝えしようと思います。止まってしまった悠太の時間、あなたの時間、あなたと西野さんの時間、信一の時間、わたしたち皆の時間を動かす時が来たのだと思います。

 

 西野さんとお幸せに。そして、お二人が悠太の思い出をいつまでも大事にして下さることを、わたしたちは知っています。悠太の見なかった人生の数々の舞台を、どうぞ手をとりあって踏みしめていって下さい。それこそが、悠太の望んでいたことでした。そして、わたしたちも、今では心からそれを望んでいます。

 

敬具

 

 柏木は自分の役回りの崇高さに、自身心を打たれながら玲子に言った。

 

「今年の命日には是非いらして下さいと、おしゃってました。くれぐれもこのことをよろしくと、ぼくに頼まれたのです」

 

  麻美が美しい涙に輝いた瞳を向けて行った。

 

「明日が命日なのよ。あなたがこの街を出て行く日が」

 

   二人の間には、いろんなものが行き来した。

 

「必ず伺いますって、お伝え下さい」

 

玲子が言った。そして柏木は立ち上がった。

 

  玄関まで麻美は柏木を送った。

 

「今日はご苦労様でした。ありがとうって、心からお礼を言うね。お姉さんはようやく吹っ切れたと思うわ」

 

「どのみち、西野さへ持ちこたえられたら、いつかは解決したと思う。おれじゃなくて別の奴があそこに住んでたらもっと早く手紙は見つかったかもしれないしね。最後はこうなるようになってたのさ。でもあの手紙はわざと隠してたような気もする。とすると死ぬ気だったのかと思ったりするけど、わからないね」

 

  麻美は首を横に振って、柏木の首に腕を巻きつけ、キスした。

 

 

 

 
 

  耳元で

 

「 好きよ」

 

と言った。

 

  柏木は微笑んだ。

 

「敬子よりお前に先に会ってたら・・・・・・」

 

「そこまででいい・・・・・・知ってるから。わたしは、彼とは別れられるけどね。あなたは敬子さんのことも好きだもんね。わたし以上じゃなくて、わたしくらいね。だから順番の問題なんでしょう」

 

「最後の最後につらいこと聞くなよ」

 

「わたし、明日は見送りに行かないから。ここでお別れするね」

 

 柏木はもう一度、麻美を抱きしめた。この時間がいつまでも続けばいいとさえ思った。

 

柏木は、敬子が自分の原点なのだと自分に言い聞かせて、麻美から体を離した。そして玄関のドアを開けた。

 

二人は微笑んで手を振って別れた。門の脇のカンナの黄色が、鮮やかに、麻美の最後の思い出となって、柏木の脳裏に刻み込まれた。

 

 

 

  四度目の命日には、来るべき人は皆来た。玲子と西野、兄の信一も果樹園に戻った。

 

 そこには悠太の喪失だけがあった。それが引き起こした混乱は収まり、すっぽりと、一人の人間が失われたという事実だけが残った。その底なしの穴に、今や誰も絡めとられることなく、それぞれの場所に足をしっかりとつけて、穴の存在そのものを大事に出来るようになっていた。

 

最後の挨拶のため、家主の家に行き、柏木も悠太の仏前で焼香をした。そして、外に出て車を車庫から出した。

 

  信一に車庫のシャッター開閉用リモコンを渡す。

 

「礼を言いますよ。おれがしなきゃならないことをあなたはやってくれた」

 

「そんなことはないですよ。あなたはやっぱり、出て行ってなきゃならない人だった。あのお爺さんなんて、あなたに救われたようなものですよね」

 

「あの人に救われたのはおれのほうです。あなたが言うのは結果論です」

 

「そうじゃないと思う」

 

 目だけで笑って。信一は素早く礼をして家に戻った。

 

  西野が少し言いにくそうに、しかしはっきりと口にした。

 

「保釈してもらった。おまえの会社からの入院給付金が、そのまま保釈金になった。爺さんが今更拘留しても一緒だと、警察署長に掛け合ってくれた。二人は友達なんだよ。おれはしばらく入ってるつもりだったけど、おまえもいなくなるし、みんなの新出発に、おれがいなきゃ片手落ちだって、爺さんが言ってくれたんだ。今になってみればつまらないこだわりだった」

 

「まあ、最後に会えてよかったよ。でも、不思議な巡り合わせだった」

 

「淋しくなるな」

 

「あのな西野、おれは想像するんだけど、きっと信一さんが毎日お前の店に行くようになって、麻美を抱くようになる」

 

 

 

  西野の口元に微笑みが浮かび、何度も小刻みに肯いた。

 

「それは、何かこう、過去を取り戻していくような、過去をやり直すような・・・・・・そんな未来のあり方だな。でも、未来は取り戻していくものじゃなくて、やっぱり離れていくものなんだよ。別のものが現れて、全く違う形のしっかりした時間が・・・・・・始まるんだと思うよ。」

 

  柏木も口元に微笑みを浮かべて大きく一度肯いた。

 

  柏木は敬子に向かって車を出した。元々望んだことなのに、この地を離れることの名残の方が、敬子の存在より大きかった。

 

  後に残った西野は、仏前の皆のところへ大きく何度も肯きながら、戻って行った。

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神々の帰還 by辻冬馬


再び夕暮れの赤い海の中から

船がやって来る

古代の港に神々の姿が浮かび上がる

集う人々を目にもかけず

神々は一人の男のもとへ進む

男は優雅に神々を迎える



*クロードロラン 夕日の港



人々はその館を囲み

やがて

詩人と神々の宴が始まる

すぐに

神々は人々を排除する

そして

人々は港に戻り星々を眺める

遠くから

神々の奏でる音楽にあわせて

詩人の歌が聴こえてくる

それからずっと

人々は歌と音楽を浴びながら

酒を飲み続け

星々を眺めるだ



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