【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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文芸作品批評:大村洋氏の「社長が店にやってくる」

 【序文:大村さんの「社長が店にやってくる」】

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読了しました。
この作品については多くのことを語り合いたいと思います。
リアルにお酒を飲みながら合評会したら楽しいだろうと思える作品です。
まず前提として申し上げておくと、今や大村さんの小説創造能力はプロ級であり、とくに、描写やセリフはある種のパターンもできて、一級品であり、ほとんどプロ級の安定感で読めます。
なのでこの作品も楽しく読めたし、パーツパーツはとてもユーモラスで面白かったです。なかなかこんな風に書くのは名人芸です。
もう自然体で小説を作れるレベルになっています。
素人の(私もですが)小説は、「書き上げました!!!!!」という作者の心の声が、一文ごとに自己主張するものであり、読んでてこちらがはずかしくなるものですが、大村さんの小説にはそういうところはまったくなくて、完全に小説作法の方法論を身につけられたのだと思います。
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ということで
ここまでが「社長が店にやってくる」への批評の序文です。
もし続きも読みたければ、
「小説を書いても失敗しないワクチンの接種券の発行申請」
をしてください
ラックスマートの自転車売り場の脇にある1973年のピンボールの右側のバネボタンにテープで張り付けていますので、そこに書かれた認証番号を心の中で3回唱えてください

【批評の第一章<些末なこと>:大村さんの「社長が店にやってくる」】

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うまくてパーツごとはおもしろい、という前提を序文で書きました。
さて、しかし構成とキャラ設定が私には失敗に感じられました。
これは中途であり、さらに整理する必要があると思うのです。なのでこれが完成品であるとすると失敗です。と思います。
まず、些末なことですが一言。漢字変換をすることで自動的に漢字になるわけですが、日常感覚からこれは平仮名やカタカナがいいのではないか?というのが散見されました。三島などは漢字と平仮名のヴィジュアルにまでこだわっていたのだとか、少し検討が必要ではないかと思いました(私の自作でもそんなこと意識してませんが人のだとわかってしまう(笑))
主人公の一人冬司の苗字にかなが一度もフラれていないのですが、私は最後まで読めませんでした。もしこれが出版物なら読者はその時点で閉じるかもしれません。今ググったらいかりなのですね。普通読めないと思います。

【批評の第2章<並列的なキャラの存在感>:大村さんの「社長が店にやってくる」】

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さて、しかし構成とキャラ設定が私には失敗に感じられました。
これは中途であり、さらに整理する必要があると思うのです。なのでこれが完成品であるとすると失敗です。と思います。
構成として言えば、この黒猫になった秀一と猫店長の関係性、ファウストメフィストを示唆するような関係性の由来がまるでわからない、それと黒猫の魔法の力の由来もまるでわからない、これははずさずなんらかの形で示さないといけないし、それを示すことでもう少し猫店長の存在が浮かび上がり、全体の柱として、重しとしての存在となるでしょう。
この小説には何本もの柱が並列的に立っていてエースとしての柱がないし、エースになれるのは猫店長だろうと思われるからです

【批評の第3章<時系列と複数の視点>:大村さんの「社長が店にやってくる」】

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一番の失敗(失敗と言っていいのではないか?)は構成にあります。
イデアは面白いのですが、異なる時系列を複数の人間の視点で、表現したために、普通に読んでいて今、何の話なのか?がわからなくなります。
私は途中から時系列と人物を表にして読みましたがそうしないとわからないわけです。普通に読んだら、今のインタビューが秀一についてなのか、冬司についてなのか?わからなくなると思います。
だからこの大がかりなやりかとを維持するのであれば、時系列の整理は必須。
二つの物語を、別人の視点で順不同に語られると混乱を招きます

この小説の最大のポイントだったかもしれません


【批評の第4章最終章<キャラの破綻>:大村さんの「社長が店にやってくる」】

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めずらしくこの作品には大村さんの自我が、普通の人の自我の出し方とは異なる形ででているのだと思います。それはやはりリアルタイムで自社のことを語るところからきているのだと思います。
小説創造のマネジメントが、会社のことをいうたびに破綻していると思いました。
ゴルフ場のキャディーと、職場の若手社員と思われる人物は、読んでいて単純に同一人物にしか思えませんでした。人物と状況があってセリフがあるのではなくて、働き方批判がまずあって、次にどこの誰でもいいからそれを語らせたいという、そんな作者の自我を感じたわけです。
さらに時系列と複数の視点でわかりにくかった世界に、さらなる混沌をもたらすのがキャラです。
わたしには、秀一と冬司と裕司は、同一人物にしか感じないのですが、そのため、誰の話を今読んでいるのかがますますわからなくなり、一覧表を作ったわけです。
この3人が同一キャラに感じるのはここにも作者の自我が出ているからだと思います。
そうやって2度目の再読においては、実にすらすら読めて単純に面白かったのですが、ということは初読のときには、普通の読者はこの世界は脳内で空中分解するのではないかと思います

ということでアイデアも面白く、セリフも面白く、物語も面白く、つまり今読んでいるところはまちがいなく面白いのに、なのに、全体としてよくわからない、という作品になっています。

でもこれは単純に構成上の問題なので、整理すればいいと思います
でも3人の主要人物のキャラの同一性は、このままで少し小説が弱くなると思います

最後に単純な疑問点ですが
秀一が死亡したときはドクターヘリがなく今はあるという理瀬の思いがありましたが、とすると数年は経過しているように思うんですが、しかし前後の関係から冬司死亡と秀一死亡はまるで一か月後の出来事のように語られているように感じました。
このあたりも時系列としての混乱を招いていると思います

追伸:
とても意欲的なチャレンジ作品だというのがひしひしと伝わるので批評も長くなりましたが、全体のマネジメントは大事なんだということですね。文章と描写と物語という観点では完璧ですけどね。
今回はおそらく、大村さんにしてはめずらしく自我が出るようなテーマだったのでこうなったのだと思いました。