【 大村氏の 「胡麻ぽん」を読んで 】
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全体として、いつも言うことですが、安定した筆致で面白く読めます。実際物語は面白い。描写はうまくて、納得しながら読めます。なので技術的にはもうなんの問題もないレベルだから、構成や主旨、狙い、盛り上がりの効果などに論点がなっていきます。普通、SNSではそんなことを語る前に、文章や自我の齟齬がありすぎて批評も前にすすまないわけです。
さてそういうベースがあるという前提で以下は、この作品から感じた私見を述べていきます
1.胡麻ぽん というタイトルはこのようなタイトルをつけるのは、かなり思い切ったことなんですね。普通ではないから。なので、そうとうぴったりとはまってないと、しらけてしまうリスクを抱えるのですが、この作品のタイトルとしては「赤い月」とか「ねぶたが終わる時」とかのほうがはるかにいいですね。胡麻ぽんでは、作品世界をうまく表現できないと思いました
2.時間経過がわかりにくい。
2年と区切って季節の変化を書いていくと春夏秋冬が2回づつ登場するので、わかりにくくなります。たとえば春夏秋冬と4つの季節を書くにしても
今年夏、今年の冬
来年の秋、再来年の冬、などに工夫して書かないと読者は必ず混乱します
3.海上運航の描写は5行で終わるのですが、ねぶたまつりについての論評はあっても描写がないので、小説世界を突き動かすねぶた祭というものにリアリティを感じない。目いっぱい、バルザックばりに描写してほしかった。
この小説には中心の柱がないと感じるのもそれが原因かもしれない
4.直子が一度も見舞いに行かないことに説得力がない、
また同様に田坂さんが「直子をよろしく頼む」という死の床のセリフも説得力がない、えっ?って思ってしまう
5。4章冒頭の海上交通が会場交通になっています
6.直子を抱くという情念が途中から主人公のメインテーマになっていますが、
冒頭にそれを書いているので実に安直に、あたかも商売女を抱くように抱いてしまっているように描写しているので、最大の盛り上がりの機会がネタバレになっている。
7.というわけで田坂さんや直子、ぼくのキャラがいまひとつよくわからない。
思うに田坂さんもぼくも、作者の自我に感じてしまい、直子は作者がすがりたい理想像のようにも感じてしまうので、自我が出ているように思う
ラックスマートを舞台にするとどうしても自我がでるように思います
主人公が掃除のおばさんとか、パートでしょっちゅう休む問題社員とかを主人公にするといいのかもしれないけど、たぶんあまりにも圧倒的な現実だからまだ小説で対象にできないように思います。気晴らしに書くなら、明治時代の話とか書いてみるといいかもしれません。